mixiユーザー(id:7846239)

2015年06月27日18:35

544 view

第578回札幌交響楽団定期演奏会

【プログラム】
1 ベートーヴェン: 交響曲第4番 変ロ長調 Op.60
     〜〜〜休 憩〜〜〜
2 ブラームス: 交響曲第4番 ホ短調 Op.98

《ロビーコンサート》
モーツアルト: 協奏的大六重奏曲 変ホ長調 第1楽章

札幌交響楽団
ラドミル・エリシュカ(指揮)

2015年6月20日(土),14:00〜,札幌コンサートホールKitara


札幌コンサートホールの改修工事が行われていたため,6月の定期演奏会が今年度第1回目の札響定期となった。

指揮は名誉指揮者のラドミル・エリシュカ。1931年チェコに生まれ,ブルノのヤナーチェク音楽アカデミーで指揮を学び,チェコ国内のオーケストラを中心に指揮活動を行う。札響とは2006年に初共演し,2008年から首席客演指揮者を務め,今年度から名誉指揮者に就任した。

エリシュカのベートーヴェンとブラームスに対するアプローチは,チェコの音楽家ならではという雰囲気に満ちている。もう少し正確にいうと,古き良き中欧の伝統が生きている音楽といえる。旧東ドイツの演奏団体や音楽家のように,冷戦期を通じて音楽の伝統のよい面が温存されてきた結果のように思う。

シューマンはベートーヴェンの交響曲第4番を「北国の2人の巨人に挟まれた,清楚可憐なギリシャの乙女」と評した。エリシュカの演奏は清楚可憐な乙女という側面を残しつつも,筋肉質で敏捷な運動神経に恵まれた逞しいアスリートという側面が強調されていたように思う。ベートーヴェンの交響曲第3番と第5番がワーグナーのリングに登場する英雄や神々であるとすれば,この日の交響曲第4番はブリュンヒルデに相当するような印象である。

そして,エリシュカの演奏はやや古風な正々堂々とした正攻法のベートーヴェンでありながら,ドイツ語の“musizieren”(音楽をする悦び)に満ちた演奏の魅力にあふれていたことが最大の特色といっていいように感じた。とにかく,聴いていて嬉しさがこみ上げてくる演奏なのである。カール・ベームの演奏にもこういった要素があったように思うが,いまでは流行らなくなったせいか,すっかり廃れてしまった演奏スタイルだ。

顰めっ面の小難しい表情の演奏が主流を占めるようになって久しい今日,音楽をする悦びにあふれた演奏は新鮮に響く。おそらく,嬉しさを込めることをモットーにしたアーティキュレーションとでも表現すればいいのだろうか。音を出すことが楽しくてたまらない,音楽を奏でることを心の底から楽しんでいるといった楽団員の様子が見て取れる。

ただひとつ不思議だったのは,ティンパニの音量を抑え過ぎていて,その存在感が希薄だったことだ。この曲でティンパニが大人しくなると,ベートーヴェンらしさも半減するように思うのだが。それから,フィナーレのクライマックスが,やや腰砕け気味に終わったのも惜しかった。

ブラームスはドヴォルジャークのメロディー・メーカーとしての才能を羨んでいたそうだ。この点で,ブラームスの作風はチェコの音楽との親和性がベートーヴェンよりも高いという見方も成り立つのではなかろうか。この日のブラームスの交響曲第4番は,このような説がより強い説得力をもって迫ってくるような演奏だった。

ブラームスのメロディー・ラインの浮き立たせ方とチェコの音楽家特有の音楽の歌わせ方は,ことのほか相性が良好である。意識して歌わせようとしているわけではない,懸命に美しく演奏しようとしているわけでもない。自然体でブラームスに取り組んだ結果に過ぎないのだが,それがブラームスの音楽の核心を表現しているといった風情なのである。ドヴォルジャークやヤナーチェクの民族的なロマン主義とブラームスのロマン主義とが,中欧文化圏の深いところでつながっていることを実感する。

この曲の演奏でも,音楽をする悦びは健在で,ブラームス晩年の枯淡の境地や諦念の世界とは,良い意味で無縁の演奏である。瑞々しく颯爽とした,天真爛漫でおおらかな青年期の若々しさを思わせる音楽に仕上がっている。何よりも,明るく透明で艶やかな響きに込められた多様なニュアンスが醸し出す充実感が,この演奏を意味深長な味わい深いものにしている。機能主義全盛の現代でも,チェコには古き良き時代の貴重な伝統が残っていることの証だろう。こうした価値をもう一度見直す必要があるところまで,オーケストラの演奏が変化したことを如実に示しているような気がしてならない。

ベートーヴェンの交響曲第4番に比べて,ブラームスの交響曲第4番は演奏技術の点で格段に難しくなっていることを知らしめるような札響の演奏だった。第1楽章の冒頭,ヴァイオリンが演奏する主題の箇所では,弦が金属的な響きになっていた。また,ホルンのソロでも音を外すアクシデントがあった。そのほか,アンサンブルが乱れる寸前までいくことも何度か。ブラームスの交響曲第4番が難曲である所以がよく分かる演奏だった。ただ,ミスにこだわり過ぎることなく,勢いをだいじにして前を向いた演奏を繰り広げていたことが強く印象に残る。

ベートーヴェンのときもそうだったが,ブラームスでもクライマックスで腰砕けになる傾向は同じ。あっけない幕切れである。ただし,最後の最後まで,飛ばしに飛ばしまくっていたこともあり,不思議なくらい不満を感じさせない。これも,エリシュカが長年培ってきた芸風の成せる業か。

今年の2月,音楽監督を退任する尾高忠明が,オーケストラにとって最も大事なことは色々な指揮者と演奏することだ,という趣旨のことを言っていた。この演奏会を聴いて,尾高の発言の意味が少しだがよく理解できるような気がした。たぶん,札響がこれからも伸びてゆくために,彼らがいま必要としている音楽を補うためにエリシュカの存在が欠かせないように思った。この指揮者との関係が10年近くも続いている理由も,このあたりにあるのだろう。

ところで,ロビーコンサートで第1楽章が演奏された協奏的大六重奏曲は,ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲の室内楽版。ヴァイオリン2,ヴィオラ2,チェロ1,コントラバス1の編成。原曲の美しさを元のままに湛えたすばらしい演奏だった。

話しは全く変わるが,ベルリン・フィルの次期首席指揮者がキリル・ペトレンコに決まった。個人的には,BPOが最良の選択をしたと考えている。K.ペトレンコが指揮したプフィッツナーの歌劇「パレストリーナ」(フランクフルト歌劇場)を聴いて,名前は知られていないが凄い指揮者がいるものだと衝撃を受けた。録音や演奏会も含めて,この指揮者の演奏に接する機会に恵まれていないが,バイエルン国立歌劇場の公演やBPOのコンサートでK.ペトレンコの演奏を聴くチャンスが増えたのは喜ばしいことだ。また,これまで以上にCDがリリースされることも確実だろう。

札響だろうが,BPOだろうが,その時,その時でオーケストラが必要としている指揮者がいるのだろう。

3 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2015年06月>
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930