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2014年02月15日07:01

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【南京大虐殺】 史学(史料批判)のルールとトンデモさん

史学は科学と大きな共通点を持っています。それは「真実は1つしかありえない」と言う点です。
しかし、史学は自然科学とは異なる体系です。特に大きなことは、史学には再現性というものがありません(考古学データという顕著な例外がありますが)。
それでも、史学には史学のルールというものが存在します。

ここでちょっと史学のルールのおさらいをしてみましょう。
例えば、A国があったとする。そして、A国がB国と戦争しました。
歴史学者達は、この戦争をどのように調査するのか?
史料の欠落は、史学では当り前のように起こることです。
そんなわけで、
史料はこれ1つしか無かったとする。

A国史料「4月1日、オタンチン平原でA国とB国が戦争した。先に攻撃を仕掛けて来たのはB国である」

史料がこれしか残ってない場合、歴史学者は、この記録だけを「最も有力な説」として受け入れざるを得ません。
ところが、ここでB国が残した記録が出てきたとする。

B国史料「4月1日、オタンチン平原でA国とB国が戦争した。先に攻撃を仕掛けて来たのはA国である」

これは歴史学者にとっては、非常に嬉しい大発見です。
歴史学者は、このA国とB国の記録の「すり合わせ」を行います。
例えばA国は「4月1日にオタンチン平原で戦争をした」と書いてる。
同様にB国も「4月1日にオタンチン平原で戦争をした」と書いてる。
見事に一致している。
こうなりますと、4月1日に、オタンチン平原で戦争が起こったと言うことは、強固な定説となるわけです。

しかし、両者の記録に違いがあったら???
A国は「先に攻撃して来たのはB国である」と書いてる。いっぽうB国は「先に攻撃したのはA国である」と書いてる。
歴史史料というのは、どうしても個人の主観によって書かれてしまいます。こうなると、その史料の著者は、自分に都合の良いことばかりを書いてしまったりする。こういうことは、よくあることです。
さて、こうした場合、歴史学者はどうするのでしょう?
「この戦争は4月1日にオタンチン平原で起こったことは多分間違いない。しかし、どちらが先に攻撃したかについてはA国説とB国説の二つの説がある」
……とするわけです。

ところが、ここで、新たな資料として、中立国だったC国の記録が出てきた。

C国史料「4月1日、オタンチン平原でA国とB国が戦争した。先に攻撃を仕掛けて来たのはA国である」

これは歴史学者にとっては、さらに有難い。
中立国のC国は、「先に攻撃したのはA国だった」と書いてる。
こうなると、先に攻撃したのはA国だという説の方が信憑性は増し、有力な説となるわけです。
さらに、D国の史料が出て来た。

D国史料「4月1日、オタンチン平原でA国とB国が戦争した。先に攻撃を仕掛けて来たのはA国である」

いよいよもって、「先に攻撃したのはA国だった」と言う説は強化され、もはや定説です。

ところがところが。

E国史料「4月1日、オタンチン平原で戦争なんか起こってない。誰もそんなものを見ていない」

あれれ?
こうした場合、歴史学者は、この史料は何かの間違いだろうと判断し、保留します。しかし切り捨てるようなこともしてはいけない。
この史料から新たな発見があることもあるからです。
例えば、これがきっかけになって、「E国は、この戦争を否定したい理由があったのではないか?」と推測され、その結果「当時E国は、A国とB国の和平調停をやっていたらしい」と言う発見につながったり。

そんなわけで、史料というものは、どうしても虚構が混入します。
それは書き手の主観のこともあるし、記憶違い、誤解、写し損じ、歪曲、ウソ、様々な理由で混入します。
史料と言うのは、真実と虚構が混じることのほうが普通で、むしろ虚構が全く混じらない史料のほうが珍しいでしょう。

史料というものは、1つだけを見ちゃ説得力は弱いんです。なるたけ多くの史料を集めまくり、複数の史料を照らし合わせ、真実を探す。

こうなりますと、A国とB国の例で言えば、A国が残した記録は「4月1日にオタンチン平原で開戦した」という事実は信憑性が高いですが、「先にB国が攻撃した」という記述は、あまり信用できないわけです。
A国の記録を無批判に信じ込んではいけません。このように他史料との照らし合わせを行って、取り入れれるものは取り入れて、信用できない記述は批判的に扱う。

もちろん虚構が混じっていたからといって、その史料を丸ごと100%信用できないなどとするのも間違いです。
よくトンデモさんは、自分の気に入らない史料の重箱の隅をつつきまくり、ちょっとでも矛盾があると全否定したりしますが、これは間違いです。

これが、本当の史料批判というものです。

史料批判には、他にもいくつもファクターがあります。
例えば「A国の陣地に天使が降臨し、聖なる剣を授けた」のような、あきらかに非科学的な記述はカットします。
また「実際に戦場に居た者が書いた史料」のほうが、「噂で聞いた者が書いた史料」より信憑性が高い。
しかし、1つのファクターだけでは判断できません。
複数のファクターを併用し、総合的に判断しないといけません、絶対に。さもないと、思わぬ落とし穴にはまることがある。


以上を理解すれば、
「証言があっても公文書が無いから信用できない」
「これは二次史料、三次史料だから信用できない」
「一部に矛盾があるから、その証言は全部信用できない」
これら、トンデモさんの得意技が間違っている理由が分かるでしょう。
嘘つきが書いた公文書より、正直者の話す証言のほうが信用できるに決まっています。そもそも「文書」は視点を変えれば「紙に書かれた証言」にすぎないわけですし。
嘘つきが書いた一次史料より、正直者が書いた一次史料を写し取った二次史料、三次史料のほうが信用できるに決まっています。
それらを判断できるのは、結局総合的な「すり合わせ」作業しかないわけなんですね。

トンデモ歴史に転がり落ちる人は、そのほとんどが、こうしたルールを理解していないか、使いこなせないでいるかのどちらかです。

でもこんな話しをトンデモさんに話しても、あんま効果は無いんですよね。


で、南京論争なんですが、当時南京で、日本軍による捕虜の大量殺戮があり、また民間人にも少なからぬ数の犠牲者があったことは疑問の余地はありません。

なお、僕は「数字を「人間」に戻せ! 」と主張する人なので、数の論争には参加しない主義です。
(信憑性が高いと支持する説は、ありますけどね)
4万であれ10万であれ、大勢の人命が理不尽に奪われたことには変わりは無いからです。

あと、原爆ドームは反米ではありません。アウシュビッツ跡地も反独ではありません。
ぼくは南京事件も、同様の人類視点の「負の遺産」とするのが理想だと思っています。

で、歴史修正主義、もっとはっきり言えば「ネットに蔓延しているトンデモ理論」は、そのほとんどが論破済みです。

議論自体が非常に古いので、当然と言えば当然ですが。
それでネットで広がっている否定論のほとんどは、そうしたとっくに論破済みの古い主張の使い回しにすぎません。
ゆえに、これらへの答えは、以下のリンクを参照すれば9割方、答えは見つかるでしょう。

「南京事件FAQ」
http://seesaawiki.jp/w/nankingfaq/d/FrontPage

「南京事件−日中戦争 小さな資料集」
http://www.geocities.jp/yu77799/

「南京事件資料集」
http://www.geocities.jp/kk_nanking/

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