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2013年10月25日12:47

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種村直樹先生と美人SF作家(2)

 12:45〜13:25 第二部 種村流・鉄道仕事の流儀
 パネリスト 富田康裕(クラッセブックス)・栗原景(フォトライター)
 司会/田中正恭(鉄道紀行作家)
栗原「作家活動20年の91年(平成3年)頃に、先生の元でアルバイトをした。作家というのが規則正しい生活なのだと感心した。仕事時間が9時から20時まで。正午と19時にラジオのニュースのスイッチ。夕方にお茶。時計とにらめっこの生活だった。原稿が早かった」
富田「国鉄にいて後にJR東海の社長になる須田寛さんが、国鉄の担当者より制度に詳しい人だと言っていた」
栗原「冷蔵庫にサッポロ黒ラベルが入っていて、補充するのが僕の役目だった。オン・オフの切り替えがはっきりしていた。仕事時間が終わると、うがいをしようと、麦酒で一杯となった」
富田「新潟の菊水を薦められた」
田中「先生は非常に癖のある字だった」
富田「癖のある字だったが、原稿を渡されて、その場で読んでくれとなる。良ければ、ありがとうございます。違う所がある時は、すぐに書き直して送ろうと、企画通りに書き直してくれた」
栗原「江戸時代の古文書のような文字だった。慣れると、すらすら読めるようになった」
 宮脇俊三「最長片道切符の旅」(新潮文庫)
 http://www.amazon.co.jp/%E6%9C%80%E9%95%B7%E7%89%87%E9%81%93%E5%88%87%E7%AC%A6%E3%81%AE%E6%97%85-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%AE%AE%E8%84%87-%E4%BF%8A%E4%B8%89/dp/4101268029
富田「オン・オフがあり、怒るスイッチ、怒らないスイッチがあった」
栗原「「鉄道旅行術」資料の、最長片道切符の旅の計算を3回間違えて、一日潰してしまって、本当に怒られた時がある。ひっぱたかれた。また、ある時は、ちょっと来いと苦言を呈され、10秒ぐらい考えたところで、俺の間違いだったと、その時は素直に謝っていた。
 読者から手紙が届くと名前を京大式カードにまとめ、50音順に整理していた。多くの人の名を空で覚えていた」
 種村直樹「種村直樹の新汽車旅相談室〈汽車旅の基礎と運賃・料金篇〉」(自由國民社)
http://www.amazon.co.jp/%E7%A8%AE%E6%9D%91%E7%9B%B4%E6%A8%B9%E3%81%AE%E6%96%B0%E6%B1%BD%E8%BB%8A%E6%97%85%E7%9B%B8%E8%AB%87%E5%AE%A4%E3%80%88%E6%B1%BD%E8%BB%8A%E6%97%85%E3%81%AE%E5%9F%BA%E7%A4%8E%E3%81%A8%E9%81%8B%E8%B3%83%E3%83%BB%E6%96%99%E9%87%91%E7%AF%87%E3%80%89-%E7%A8%AE%E6%9D%91-%E7%9B%B4%E6%A8%B9/dp/4426548012
富田「玄関先のタクシーから、列車、バスの行程を全てカードにまとめていた」
栗原「旅先の宿で麦酒を飲みながら、一日ごとにまとめていた」
富田「レイルウェイ・ライターの巨匠、種村直樹先生、宮脇俊三先生、それぞれの娘さんは、今では出版の道に進んでいる。まだ進路が決まっていない時に両巨匠から、うちの娘をおたくの出版社にと頼まれた時には冷や冷やした」
 宮脇俊三「時刻表2万キロ」(角川文庫)
 http://www.amazon.co.jp/%E6%99%82%E5%88%BB%E8%A1%A82%E4%B8%87%E3%82%AD%E3%83%AD-%E8%A7%92%E5%B7%9D%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%AE%AE%E8%84%87-%E4%BF%8A%E4%B8%89/dp/404159801X
富田「先生が列車でウトウトしていて麦酒をこぼしそうになった時、こちらから手で支えると、何をするんだと苦言を呈された。そこを、先生、一滴飲ませて下さいという言い方をすると、苦言を呈されなかった」
栗原「乗り継ぎ取材旅行の4日目あたりになると、歌を歌い始めた。その都度メロディーが違う、バスが来ないという歌だった。だからと言って、来なかったバス会社に苦言を呈すような事はなかった」
 種村直樹「気まぐれ郵便貯金の旅―ただいま3877局」(自由國民社)
 http://www.amazon.co.jp/%E6%B0%97%E3%81%BE%E3%81%90%E3%82%8C%E9%83%B5%E4%BE%BF%E8%B2%AF%E9%87%91%E3%81%AE%E6%97%85%E2%80%95%E3%81%9F%E3%81%A0%E3%81%84%E3%81%BE3877%E5%B1%80-%E7%A8%AE%E6%9D%91-%E7%9B%B4%E6%A8%B9/dp/4426885000
富田「先生にとって、旅行貯金が大きな流れだった。1時間に1本しか来ない鉄道なのに、列車から郵便局が見えると降りてしまう。こちらから苦言を呈すると、何とかなるよと言っている。取材の行程を決めている編集者は冷や冷やだった」
栗原「降りてから説明がある時もあれば、何も説明がない時もあった。大韓民国の取材旅行でも旅行貯金をしていた」
 種村直樹「韓国気まぐれ列車」(シグナル)
http://www.amazon.co.jp/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E6%B0%97%E3%81%BE%E3%81%90%E3%82%8C%E5%88%97%E8%BB%8A-%E7%A8%AE%E6%9D%91-%E7%9B%B4%E6%A8%B9/dp/toc/4902658038
富田「福知山線脱線事故の後には、大きな花を用意して献花に行った。私が、遠いから駅からはタクシーに乗りましょうと言うと、そんな気になれないと歩いて事故現場に向かった。事故現場では肩を震わせて手を合わせていたが、ここでもスイッチの切り替えがあり、すぐに取材を続けていた」
 種村直樹「気まぐれ列車の時刻表」(講談社文庫)
 http://www.amazon.co.jp/%E6%B0%97%E3%81%BE%E3%81%90%E3%82%8C%E5%88%97%E8%BB%8A%E3%81%AE%E6%99%82%E5%88%BB%E8%A1%A8-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E7%A8%AE%E6%9D%91-%E7%9B%B4%E6%A8%B9/dp/4061843354
 13:30〜14:15 第三部 種村直樹の鉄道時間
 パネリスト/伏見ひかり・岩野裕一(実業之日本社)
 司会/武田元秀(『週刊私鉄全駅・全車両基地』デスク)
岩野「中学校時代に「鉄道旅行術」を読んで、感激して手紙を出すと返事が来た。次の日に学校で自慢をした。先生の学校時代からの友人という、環白穏さんが事務局長をしているファン・クラブ入会のお誘いがあった。
 1000人ぐらいの会だった。今で言うオフ会のお喋り会にも参加をした。夏休みには一泊の旅行会もあった。先生の読者とは仲良くさせて貰った」
 種村直樹「鉄道旅行術―きしゃ・きっぷ・やど」(交通公社のガイドシリーズ)
 http://www.amazon.co.jp/%E9%89%84%E9%81%93%E6%97%85%E8%A1%8C%E8%A1%93%E2%80%95%E3%81%8D%E3%81%97%E3%82%83%E3%83%BB%E3%81%8D%E3%81%A3%E3%81%B7%E3%83%BB%E3%82%84%E3%81%A9-%E4%BA%A4%E9%80%9A%E5%85%AC%E7%A4%BE%E3%81%AE%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%89%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA-%E7%A8%AE%E6%9D%91-%E7%9B%B4%E6%A8%B9/dp/4533001475
伏見「私が中学に上がったばかりの時、東京・奥多摩のバーベキューお喋り会に参加した時に、岩野さんに初めて会った。岩野さんはブレザーの高校制服で来ていた」
 種村直樹「種村直樹の汽車旅相談室―列車・きっぷ・時刻表についてのQ&A」(自由國民社)
 http://www.amazon.co.jp/%E7%A8%AE%E6%9D%91%E7%9B%B4%E6%A8%B9%E3%81%AE%E6%B1%BD%E8%BB%8A%E6%97%85%E7%9B%B8%E8%AB%87%E5%AE%A4%E2%80%95%E5%88%97%E8%BB%8A%E3%83%BB%E3%81%8D%E3%81%A3%E3%81%B7%E3%83%BB%E6%99%82%E5%88%BB%E8%A1%A8%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%AEQ-A-%E7%A8%AE%E6%9D%91-%E7%9B%B4%E6%A8%B9/dp/4426548020
岩野「先生は締め切り、取材のある生活の中で、全ての読者からの手紙に丁寧な返事を書いていた。おかげで、友の会を活動を通じて旅仲間ができ、いろいろな体験ができた。
 先生の仕事場でのアルバイト時代、就職活動に全て失敗してしまった。先生に眼鏡を取れと言われ、お前はたるんでると、いきなり往復ビンタをされた。親からも叩かれた事はなかった。
 その後、実業之日本社を受けた事を先生に言うと、先生が会社の人に頭を下げて回ってくれたと、何年かしてから知った。
 会社では、どうしても、そういう目で見られてしまうので、入社してからは、先生との仕事はしなかった。旅行本の担当になったとたん、異動になったためもある。
 9年目、10年目になって初めて仕事で一緒になったが、一度も編集担当者になっていない。お酒が飲めないという点もあって、一緒になっていない。
 81年(昭和56年)の読者参加の、福塩線、上下駅から松浦線、左石駅への、7泊8日の乗り継ぎ旅に参加した事はある」
 種村直樹「乗ったで降りたで完乗列車」(講談社文庫)
 http://www.amazon.co.jp/%E4%B9%97%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%A7%E9%99%8D%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%A7%E5%AE%8C%E4%B9%97%E5%88%97%E8%BB%8A-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E7%A8%AE%E6%9D%91-%E7%9B%B4%E6%A8%B9/dp/4061838695
伏見「家族旅行は、ほとんどした事はない。京都に帰省した時に新幹線には乗った。マナーが悪い乗客がいると、いかがなものかと苦言を呈していた」
岩野「どんなにお酒を飲んでいても、克明に、もそもそとメモを取っていた。趣味と仕事を一緒の線に乗せている。
 ほかの人の見方とは違うが、オン・オフ切り替えの印象はなかった。友の会メンバーとして叱られた経験がある。先生は、良い鉄道ファンであれと、真剣に考えていた」
伏見「学校の授業参観では、お父さんそっくりと良く言われた。姉妹で、種村ひかり、種村こだま、という名前だったので、こだまちゃん元気かとも言って貰えた。名前で覚えて貰えるのはありがたいし、気に入ってもいる。こだまも、気に入っているようだ」
岩野「奥さんが良くできた人で、いつもニコニコと歓待してくれた。会社を辞めて作家になっても、文句を言わずに支えてくれた。家族あっての、種村直樹先生だと思う。
 私も編集に携わっているので手に取って分かるが、今回の『旅と鉄道』増刊「種村直樹の鉄道旅行術」には、いい本だというオーラがある。本来は、もっと早く、種村直樹先生の足跡をまとめなければならなかった。ここから新しい何かが生まれて行けばいいと思う」
 旅と鉄道増刊 種村直樹の鉄道旅行術 2013年 12月号 [雑誌]
 http://www.amazon.co.jp/%E6%97%85%E3%81%A8%E9%89%84%E9%81%93%E5%A2%97%E5%88%8A-%E7%A8%AE%E6%9D%91%E7%9B%B4%E6%A8%B9%E3%81%AE%E9%89%84%E9%81%93%E6%97%85%E8%A1%8C%E8%A1%93-2013%E5%B9%B4-12%E6%9C%88%E5%8F%B7-%E9%9B%91%E8%AA%8C/dp/B00FJBL23Y.
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