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2013年10月25日12:42

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種村直樹先生と美人SF作家(1)

平成25年10月20日(日)。
 まず、最初に、こんなCDを紹介します。
 池澤春菜/「夜想サァカス」(ジェネオン・ユニバーサル)
 http://www.amazon.co.jp/%E6%B1%A0%E6%BE%A4%E6%98%A5%E8%8F%9C-%E3%80%8C%E5%A4%9C%E6%83%B3%E3%82%B5%E3%82%A1%E3%82%AB%E3%82%B9%E3%80%8D/dp/B003C2TJNW
 さて、今日の丸美先生は、東京・千代田区の秋葉原で開催される、種村直樹レイルウェイ・ライター40周年記念企画スペシャルトークショーと、江東区の台場で開催される、日本SF作家クラブ創立50周年記念トークイベントの聴講である。
 今、地図を見ながら書いていると、秋葉原は台東区の地名で、台場は港区の地名で、実際に行った所とは離れている。
 正確には、千代田区の神田、江東区の青海が正しいようだ。
 でも、今回、行ったのは、千代田区の電気街がある秋葉原と呼ばれている所で、江東区の大観覧車がある台場と呼ばれている所である。
 分かりやすく、通称の方を記した次第である。
 朝起きると、豪雨だった。
 うんざりして、行くのはよそうと思ったが、今はインターネット掲示板という物がある。
 豪雨に負けずに行く人がいたので、開始時間の12時に間に合うよう、丸美先生も家を出る事にする。
 東京放送(954kHz)・受信記録(10:00〜10:15)。安住紳一郎の日曜天国(千葉県館山市からの公開生放送。雨の中の公開生放送、ほか)。SINPO=55555。
 電車に乗ってしまってから、名刺を忘れたのに気が付いた。
 JR東日本・総武本線・御茶ノ水枝線(総武線電車)、秋葉原駅下車。
 御茶ノ水駅を出た所で、電車が登山鉄道みたいな急勾配で登って行たので驚いた。
 秋葉原駅は鉄道が立体交差で何層にもなっているので、その上を行かなければならないのだった。
 この線は、何度も乗っている筈なのに、初めて気がついた。
 種村直樹レイルウェイ・ライター40周年記念企画!『旅と鉄道』増刊「種村直樹の鉄道旅行術」発刊記念スペシャルトークショー
 http://www.tabitetsu.jp/news/tabitetsu/2013/10/272/
 秋葉原は、平成19年にメイド喫茶に来て以来だと思う。
 会場は、昭和通り口そばにある大型書店、書泉ブックタワー9Fイベントスペースだった。
 開始20分前にエスカレーターで上ると、大雨のためか、50脚ほどのパイプ椅子がほとんど空いたままだった。
 主催者でもないのに不安になったが、時間になると満席になって、予備の椅子まで出して立ち客までいた。
 丸美先生もその一人だが、読者はありがたいものである。
 なお、どくとるマンボウ・北杜夫先生のように、もそもそ先生との愛称で親しまれている種村直樹先生本人は、長い事、病気療養中で、今回の参加はない。
 伏見ひかりさんは、先生の娘さんである。
 ここはアイドル写真集のサイン会も開催される会場のようで、正面には芸能人インタビューの時などに背後に立てられる、書店名が書かれたパネルがあった。
 左側は全面の窓で大雨の秋葉原が見えたが、人の息でたちまち曇っていった。
 トークショーは、だいたい、次のような内容だった。
 レイルウェイ・ライターの辻聡先生は漫才師の石塚英彦師匠のようで、体を仰け反らせる笑い方までそっくりだった。
 種村先生の著作にも同行者としてスナップ写真が収められているけれど、まるで別人の風貌だった。
 種村直樹「時刻表の旅」(中公新書)
 http://www.amazon.co.jp/%E6%99%82%E5%88%BB%E8%A1%A8%E3%81%AE%E6%97%85-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%B0%E6%9B%B8-550-%E7%A8%AE%E6%9D%91-%E7%9B%B4%E6%A8%B9/dp/4121005503
 12:00〜12:40 第一部 種村直樹レイルウェイ・ライター40周年
 パネリスト/伏見ひかり・辻聡(作家)
 司会/武田元秀(『週刊私鉄全駅・全車両基地』デスク)
辻「会場を見ると、昔からの読者が家族連れで来てくれて、女性の鉄道ファンも増えて来たようだ」
伏見「父は私が学校に上がる前から作家活動を続けている。学校にも行かせて貰ったし、父の読者を通じて多くの人と知り合いになれたというのが、父の作家活動40年の感想」
辻「先生とは、大学の3年か4年からのつき合い。弟子として学生時代はゆっくり過ぎたが、会社員時代はあっと言う間で、年に2回、3回しか会っていない」
伏見「父は幼稚園ぐらいの時に新聞記者を辞めて、公団の住宅に机を置いてする仕事になった。私には相談はないので、突然家にいる生活になった。
 父はうるさくて声が大きい。機嫌がいいと歌を歌っている。食卓に肘を付くな、扉を開け放しにするなと苦言を呈されてしまう。機嫌が良くても悪くてもうるさい。父からは旅先の話を良く聞いた」
 種村直樹「種村直樹の周遊券の旅―知識とルールブック」(ブルーガイドL)
 http://www.amazon.co.jp/%E7%A8%AE%E6%9D%91%E7%9B%B4%E6%A8%B9%E3%81%AE%E5%91%A8%E9%81%8A%E5%88%B8%E3%81%AE%E6%97%85%E2%80%95%E7%9F%A5%E8%AD%98%E3%81%A8%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF-%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%89L-%E7%A8%AE%E6%9D%91-%E7%9B%B4%E6%A8%B9/dp/4408020133
辻「大学の2年か3年の時に「周遊券の旅」が出て、巻末に住所があった著者宛にお便りを出した。3日後ぐらいに返事が来た。また手紙を書いたら、遊びに来なさい、仕事を手伝ってという事になった。66年(昭和41年)には「毎日グラフ」の鉄道特集の記事を書かせて貰った」
伏見「辻さんが初めて家に来た時の事は覚えている」
辻「強烈だったのはお酒だった。先生とつき合うようになって、お酒の量が増えた。旅先の銘柄酒は試した。眠くなると汽車の中で眠るのは、いかがなものかと苦言を呈されてしまった。温泉でも、足の爪の切り方が悪いのは、いかがなものかと苦言を呈されてしまった。
 先生は切符を失くす事が多い。煙草のセロファンの所に入れて、そのまま捨ててしまう。レイルウェイ・ライターが切符を失くすのは、いかがなものか。
 好きな鉄道の話を書いて原稿料が貰える生活はいいなとも考えた。親に相談すると、当時、オイル・ショックがあり、ちゃんと会社を受けるように言われ、今日に至っている」
伏見「先日、レイルウェイ・ライターの松本典久先生、写真家の目黒義浩先生と、日本橋から日本橋へ「ぐるり関東、気まぐれ列車の旅」2泊3日をした。私は旅するだけだが、松本先生は原稿を書かなければならないので大変だなと思った。
 一日中汽車に揺られて、大変だけど楽しかった。碓氷峠の鉄道博物館を見て、機関車が好きになった。鉄道は小さい時から家の生活の中にあるので、愛着はあった。今後、鉄道の楽しみが増えるかな」
辻「パソコンのない時代で、原稿用紙の使い方を教わった。原稿はすぐに消せるような鉛筆で書くなと言われた。電話取材もさせられた。電話の枕ことば、ビジネス・マナーなどを学んだ。先生の元でのアルバイトは貴重な体験だった」
 種村直樹「気まぐれ列車で出発進行」(講談社文庫)
 http://www.amazon.co.jp/%E6%B0%97%E3%81%BE%E3%81%90%E3%82%8C%E5%88%97%E8%BB%8A%E3%81%A7%E5%87%BA%E7%99%BA%E9%80%B2%E8%A1%8C-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E7%A8%AE%E6%9D%91-%E7%9B%B4%E6%A8%B9/dp/4061835505
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