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2011年11月12日18:33

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南蛮美術の光と影 泰西王侯騎馬図屏風の謎

サントリー美術館で開催中の『南蛮美術の光と影 泰西王侯騎馬図屏風の謎』に行きました。本調子じゃない中行ったからか、電車を乗り間違える・・・。何で大江戸線の、新宿西口駅に行ってしまったんだろう?新宿駅で良かったのに・・・。初めてこんなミスをしたぞ(-"-)。

混んでる美術館が好きではなく、今は、人混みは、ちょっと遠慮したい精神状態でもあったので、「混んでたら嫌だなぁ〜」と思ったら、雨降って、寒い日に美術館に出かける人は、少なかったらしく、人があまりおらず、私にとっては快適空間でした。何が良いって、静かで、人の話し声もあまりしない。(でも、携帯電話が何回か鳴っていて、あまつさえ電話に出たご婦人がいたのには吃驚だ。展示会場内で、電話出ちゃダメ!!)

サントリー美術館50周年と、神戸美術館30周年の記念展示らしいのですが、「何故、神戸?」と思ったら、タイトルにもなっている、『泰西王侯騎馬図屏風』とやらは、会津藩松城というところにあったモノらしいのですが、それが、現在、サントリー美術館と、神戸美術館に分かれて所蔵されているので、その関係で合同の記念展らしい・・・です。

で、今回は、南蛮美術。関係ないケド、南蛮と聞くと、私は、安永航一郎氏の漫画、『陸軍中野予備校』の南蛮帝国を思い出します。・・・本当に、どうでも良いコトですね。

で、南蛮。南蛮帝国の美術を指す・・・のではなく、安土桃山時代にオランダとかから入って来た美術を指すっぽい。

1549年に、宣教師フランシスコ・ザビエルが来日。んで、1614年に、キリスト教禁止令が出るまで、南蛮文化は続き、結果、禁止令が出て、17Cにキリシタン弾圧になるも、キリスト教的要素の省略にはなったモノの、南蛮船=宝船、南蛮人=福の神と見立て、縁起物の屏風絵として、南蛮趣味自体は続いていったらしい。

宣教師は、宗教を伝道する人ではあるけれど、同時に、医学や天文暦学、遠近法などの絵画技法などももたらしたそうな。

では、気になった作品をつらつら紹介〜。

作品・・と言うか、色んな南蛮屏風があったのですが。異国のテラスで会議してたり、日本のお屋敷を宣教師が歩いてたり。この時代(16C)って、日本て、今に負けない超国際社会だったんだな・・・ってのが分かる。おそらく、インドやアフリカから奴隷として連れて来られた人とは思うけど、黒人さんもおりますし。

信長っぽい人が、屏風に描かれていたり、お屋敷で主に挨拶してるカピタンが描かれてたり。紅白の縦じまの、あの自己主張のやたら強い服って、修道士の偉い人(衛兵?)が着る服じゃなかったっけ?お屋敷の主に、お土産渡してるんだケド。
そして、南蛮人、デカイ!日本人と比較して、デカく描かれてる。当時の日本人から見たら、巨人に見えたんだろうね、南蛮人。あと、鼻がやたらデカイような気がしたが、「鼻高えっ!」が転じて、鼻がデカイになったんだろうな。

何か、南蛮女性の服も不思議なんだよ。ドレスって言うより、モンペ+ドレスみたいな不思議な服装をしてる。当時の洋画を見ても、そんな服装はないので、おそらく、アレンジして描かれてるんだろうね。
金刺繍のマントを着てたりする南蛮人も多いが、裕福な商人なんでしょうかね?象に乗る南蛮人の絵もあった。本当に、象に乗ってたのかな?コレも、想像のような気もしますが・・・。
あと、東方正教会(オーソドックス)のようなドーム型の教会が描かれてて、中に、キリスト様も描かれていた。オランダって、東方正教会じゃないよね?カトリックだよね?何でドーム型なんだろう?色々混じっているのかな?

船の上で、日本人と南蛮人が一緒に双六をしてる絵も描いてあった。わき藹々としてたんでしょうかね?日本人はミーハー気質が元々国民性としてあるから、南蛮人が珍しくて、一緒に遊んでたのかも。

南蛮屏風は、殆ど作者不明なのですが、狩野内膳や、伝狩野山楽など、作者が分かっているものや、予想がつくモノはありました。

『万国人物図』。朝鮮やモンゴルの人。あと、インドや、アフリカの人かなぁ?民族衣装のようなモノを着た人物絵が描かれている本。民族図鑑みたいな感じなのかな?狩野派の絵で描かれているのが珍しいそうです。狩野派ってコトは、政府のお役人が描かせたんだろうな。

んで、次のコーナーが今回私が1番楽しかったコーナーなのですが。
『聖画の到来』コーナー!ここ、面白かったぁ〜。私、やっぱり、何じゃかんじゃ言って、キリスト教美術が大好きなんだな。綺麗なんだもん。見てて。

何でも、ルイス・フロイスが、「日本の布教活動には、聖画5万枚が必要」って、イエズス会に通達したそうだよ。1583年に、イタリア人画家のジョバンニ・ニコラオって人が来日。同18年に、天正遣欧使節が帰国して、印刷機を持ち帰り、聖画が広がったみたい。
1590年に、画学舎(工房)で、日本人同宿による聖画製作が軌道に乗っていったそうな。この頃、日本のキリスト教にとっては、幸せな時代だったね。

『教会祝日暦』。12枚の小型カレンダー。1月1日がキリストの割礼の祝い。3月受胎告知・・など、聖書の主だった主題が描かれてるカレンダー。復活の絵などもある。銅版画なのですが、細かくてね〜。天使の美しさ、マリアの表情とか、暫し見惚れてしまった。

『救世主像』。左手に十字架付きの球を持ち、右手で祝福を与えるキリスト様の絵。原画はマルテンデ・ヴォス原画の銅版画だそうな。銅版画に油彩したモノなんだって。へぇ〜。そんなモノあるんだ!初めて見たかも。銅版画で刷ったモノに、彩色したってコトだよね?昔の彩色写真みたい。

メダルや、十字架なども展示してありました。前田家が伝道活動がさかんだったから、そこからのモノもあったみたい。前田家って言えば、高山右近よね!『へうげもの』を見てるから、この辺り、知ってる人の名前がガンガン出てきて楽しい。

『悲しみの聖母図』。穏やかな顔にも見える悲しみの聖母。何かを諦めているようにも見える・・・。
ボッロボロで保存状態が悪いのですが、何でも、大正時代に福井の旧家の土蔵の壁から出てきたモノらしい。この土地、高山図書(右近の父ちゃん)が預かってた土地らしいんだ。
ひょっとして、弾圧の際、隠したんじゃないかな?って思うんだケド・・・。だって、弾圧の時持ってるのバレたら火あぶりでしょ?
図書は、キリシタン大名だったから、キリスト教の布教に熱心だったろうし。

『三聖人』。聖ドメニクス、聖ロレンソ、聖カタリナが描かれた絵。当時日本で栽培されてなかった麻のキャンバスなので、南蛮で描かれたものを持ってきたんじゃないか?とのコト。コレ、模写もあるそうです。(模写の展示は後期に展示らしいのだが、コレ、一緒に展示した方が良くね?(^_^;)比べられるし)

『聖ペテロ像』。何でも、後に釈迦像として寺に伝わったらしい。手に鍵を持っているから、ペテロさんなんだケド・・・。

『花樹鳥獣蒔絵螺鈿聖龕』。螺鈿細工の煌びやかな厨子に入ったお祈り用のプチ祭壇・・・で分かりますかね?いくつか螺鈿聖龕の展示があったのですが、とにかく豪華。こんなの作るのに、どれだけ時間がかかるんだよ?ってなモノばかり。
祭壇だから、祭壇画も嵌め込んであるのですが、キリストの磔刑の絵は、十字架が切れてしまっている。どうやら、絵が大きくて入らなかったから、途中からぶった切ったらしい。
好きだったのは、『花鳥蒔絵螺鈿聖龕』の聖家族と洗礼者ヨハネの絵。ベタなポーズなんだケドね。綺麗だった。螺鈿も、藤の花など見事。

同じく、『花鳥蒔絵螺鈿聖龕』の悲しみのキリストは、キリストの受難を表す為、荊冠のキリストが頭から血を流し、涙を流してる・・・と言う絵だったのだが、顔は丸顔で可愛いキリスト様だった。

んで、今回の目玉らしい『泰西王侯騎馬図屏風』に行くのだが。
サントリー所蔵のモノは、エチオピア王、アビシニア王、フランス王アンリ4世、イギリス王(もしくは、ギーズ大公フランソワ・ド・ローランか、カール5世かも知れないらしい)が描かれており、神戸美術館の方は、神聖ローマ皇帝ルドルフ2世、トルコ王、モスクワ大公、タタール汗が描かれているらしい。
勇壮な屏風絵ですね。コレ、絵、そのものより、解析した結果の発表が面白かった。
下張りに反古紙を使っているんですね。X線写真で調べたら、反古紙の文字(手紙かな?崩し字でちゃんと読めなかったんだケド)が写ってて面白かったです。下書きの線もあったり。

他、『泰西王侯図屏風』と言うのもあったのですが、コレは、右隻の第4扇が、オーストリア大公アルベール(紋章が描いてあったので分かったらしい)、左隻の第2扇が、ダヴィデ王(竪琴の名手で、竪琴を持つ姿で描かれてたから分かったらしい)ってコトしか分からないらしいです。

で、ここから先は、もう気の毒なくらいの追放の嵐になります。
1587年に、伴天連追放令が出て、宣教師もかなり火あぶりになったりしたみたい。

『日本イエズス会士殉教図』。逆さ釣りで、頭めり込んでるは、胴体半分めり込んでるは、もう・・・気の毒で・・・。

踏絵もありました。ツルンしたフォルムのモノもあったのですが、コレは、摩耗ではなく、当時からの状態がこうだったらしい。絵は『エッケ・ホモ』や、『ピエタ』など。
この辺りは、見ててちょっと辛くなる・・・。

前述した画学舎に同宿した者は、マカオに逃れたりしたそうなのだ。日本に留まった人もいるそうなのだが、その後の足跡は不明なんだそうな。

『聖フランシスコ・ザビエル象』。あ!コレ、教科書でやたら見るサビエルさんの絵だ!本物、初めて見た。十字架と真っ赤に燃える心臓を持ったザビエルさんの絵ね。空にはケルビムもいる。何でも、ザビエルが、1622年に聖人になったので、それが日本にまで伝わって、ザビエル信仰が起き、その時作られたモノなんじゃないか?とのコトでした。
あ、コレ、肖像画・・・ってワケじゃなかったんだな。

その後、南蛮趣味の部分だけ残って、異国情緒になっていく南蛮文化。
『花下遊楽図屏風』では、船に乗ってる南蛮人が描かれるも、コレは、海を渡ってくる福の神のイメージらしい。なので、同じ絵に、恵比須、大黒、お多福なども描かれている。恵比須、大黒、お多福、南蛮人・・・(^_^;)。

『観能図屏風』は、能を楽しむ南蛮人が描かれてるし、『蒔絵南蛮人文箱』に描かれた南蛮人は、財神のイメージなんだそうな。南蛮人=お金持ち=財神なんだろうね。本当に恵比須と一緒のイメージなんだなぁ〜。流れ恵比須信仰とかあるでしょ?渡来から海渡ってくる異国の神様。そのイメージと同じなんだね。

見ていて思うのは、いつの世も、宗教って、結果、為政者の歴史に強く結びついてるってコトである。時の権力者が「コレを信仰して良いよ」と言えば、信仰出来て、「ダメ」となれば迫害される。そう考えると、宗教と政治を2分するコトなんて、簡単に出来やしないんだな・・・って思う。
信仰・・祈りは誰の為のモノなのだろう?と、ちょっと静かに考えたくなった。

お土産は、ポストカード3枚。今回、あんまり良いポストカードセレクトじゃなかったなぁ〜・・・サントリーさん。

12月4日までやっています。内容的には面白いと思うので、行ってみるのも一興だと思います。
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