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2011年05月25日17:56

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P.P.Pasolini’s 豚小屋

てなワケで、行って来ましたよ『豚小屋』に。

って、本当に“豚小屋”に行ったワケではないですよ。パゾリーニ(イタリアの映画監督)が作った『豚小屋』って言うお芝居を見に行ったってコトです。

で、おそらく「難解になってんじゃねえかなぁ〜」とは予想して行ったのですが、うん。難解になっていたとは思う。あと、映画とかなりテイスト違うと思ったし(まぁ、映画と舞台って、表現媒体が違うから、そのまま出来るワケないんだケド)、脚本も結構イジってると思うんだ。
私は、「あぁ、そういう切り方もあるかぁ〜」と思ったんだが、おそらく見終わって「何コレ?」だった人も結構いると思うんだ(^_^;)。
てか。このお話、当時の、ドイツの情勢とか、ファシズム(共産主義)や、ナショナリズム(ヒットラーとかね)の知識ねえと、「ん?んぇ?」って思う部分、沢山あるかも知れないね。
パゾリーニ自身が、共産主義運動に傾倒していた・・って知らないと、分かりづらい・・かも。

帰りがけ。物販で、パゾリーニの詩集(パゾは、詩人でもあり、小説も書きます)を売っててね。4500円だから、財力的には買えなかったのだが、スゲエ見たかったのだが、物販に誰もお客さんがいなくて・・・。躊躇して見られなかった・・って言う・・・(-_-;)。見たかったな・・・。でも、パゾの日本語翻訳詩集はあると分かったので、図書館で探してみます。
まぁ、難解でしょうケドね。パゾの詩集(劇中にも使ってたかも。アレ、パゾの詩かな?ってのがあった)。でも、ワケ分からなくても「好きなモノ」ってあるのですよ。
私にとっては、フランス暗黒文学の旗手ジャン・ジュネの一連の小説がそうだケドさ。何かいてあるのか良く分かんねえケド好き・・って言う。

『豚小屋』を見る前日に、先日購入した永野氏のDVDを見て、帰ってきてからも、そのDVDを見たのですが、不思議なコトに、食あたり起こさねえんだ、コレが。食い合わせが悪くないって言う。
何なら、DVD特典に入ってる謎の短編映画を見ると、パゾの映画を思い出す私です。
永野氏がスゲエのか、パゾリーニがスゲエのか、はたまた、この2つを同等に見られる私の脳がスゲエのか。

あ。そうだ。私、座・高円寺1の方に初めて行きました。K−PROのライブで、座・高円寺自体は行ったコトあるのですが、いつも、大きな会場の方だったので。1は、横に広い舞台だね。

※以下、『P.P.Pasolini’s 豚小屋』の感想を書きます。てか、書きたいのですが、難解だった上、幻想的(形而上的)な部分も多いので、伝えられないような気もするんですが、それでも、お芝居はまだ続いていますし、ネタバレがお嫌な方は読まれない方が、宜しいかと存じます。

それでは、ネタバレOKの方のみいらっしゃいまし〜。

P.P.Pasolini’s 豚小屋
会場:座・高円寺1

作・ピエル・パオロ・パゾリーニ 翻訳・大崎さやの、キアラ・ボッタ、構成・演出・川村毅、衣装・美粧・宇野亜喜良

出演。ユーリアン・・・手塚とおる、イーダ・・・河合杏南、父・・・福士惠ニ、母・・・大沼百合子、ハンス・ギュンター・・・伊澤勉、ヘルトヒッツェ・・・笠木誠、野人・・・伊藤キム、天使 少女・・・柊アリス、かつてのディングことクラウベルク・・・河合杏南、ヴォルフラム・・・大沼百合子、青年 召使 マラッキオーネ・・・中村崇

ザックリあらすじ。
舞台は、白い布で一面覆われている。両端に階段。舞台に天使が舞い降り、ダンスを踊るも、そこに突如野人が走りこんでくる。

25歳の誕生日を迎えたユーリアン。ユーリアンは、彼女である17歳の少女イーダに祝われながらも、何か腑に落ちない様子。ユーリアンは、イーダを「愛してなんかいない。」と言うのだ。ユーリアンは、「僕には、愛すべきモノがある」と言う。それは何かを、イーダは問うも、ユーリアンは「君は、僕を軽蔑するさ。」と言い、答えない。イーダは、現在、共産主義活動に執心している。ユーリアンを運動に誘うも、ユーリアンはイマイチ乗り気ではないようだ。

そんなある日。ユーリアンは、死体のように起きず、モノも食べず、まるで、十字架にかけられたキリストの如く、立ったまま動かなくなってしまう

ユーリアンの父親は、所謂ブルジョアジーらしいのだが、その父の元に、父のかつての親友のヘルンの情報が齎される。現在のビジネスでの敵である、ヘルトヒッツェが、実は、そのヘルンその人。ヘルンは整形をし、顔を変え、現在『ヘルトヒッツェ』と名乗り、会社を興して、大成功を収めている。ヘルンは昔、ナチスドイツと親交があった。色んな人種の頭蓋骨を研究していたヘルンは、ヒムラーに「ユダヤ人の頭蓋骨が欲しい。」と打診していたらしいのだ。ガス室に入れられたユダヤ人達の頭蓋骨(てか、死体・・だろうな)をかなりの数受け取っている。そんな過去を持つ。ユーリアンの父は、探偵に、ヘルトヒッツェの過去を探らさせていたらしい。

そのヘルトヒッツェが、ユーリアンの父親の元に来る。ヘルトヒッツェはユーリアンの父親と言い合いになるも、ヘルトヒッツェは、ある事柄を言う。「息子さんはどうですか?あの優しく聡明な息子さんは?」ヘルトヒッツェも又、商売敵であるユーリアンの家を調べていたようだ。ヘルトヒッツェは、こんなコトを言う。「ここをずっとまっすぐ行った、農家。その先の肥溜めの更に先。あの先に『豚小屋』がある。ユーリアン君は、そこを散歩するのが日課だった。都会で暮らしたユーリアン君だが、心は、常にここにあって、2年足らずで戻ってきた。何故だと思う?16歳のある日。そこで、ユーリアン君は、豚を盗んだ。彼は、その豚で何をやっていたか、ご存知か?」 父は言う。「飼っていたのだ。首に縄をつけて。我が家で飼っていたグレートデンと同じように。」 ヘルトヒッツェは言う。「いや違う・・・。ご子息は・・・。」その先が言えないヘルトヒッツェ。父親は言う。「分かった。アナタは言えない何かを持ち、私は聞けない何かを持っている。」

そんな世界と同時進行して。現在の日本(だと思うんだ)が断片的に描かれる。野人(だったんだね)が、青年に問われる。「自衛隊に入らないか?腹が減っているのだろう?自衛隊に入らないか?」と。野人はその誘いをツッパね、彷徨う。

イーダは結婚すると言う。イーダは、彼に「私がもうアナタを愛していないから。」と言うも、ユーリアンは「君と1度だって、恋人同士だったコトがあるかい?」と言う。

ヘルトヒッツェとユーリアンの父親の会社が合併する。そんなセレモニーの日。ユーリアンは日課のように豚小屋に行く道すがら、野人と出会う。

野人はユーリアンに問いかける。ユーリアンは野人を嘲笑する。「この、ファシストのナショナリストのナルシシズム。」野人は答える。「僕を三島由紀夫と同等に見るのはやめて欲しいな。」
野人は言う。「君は、何をやっていた?あの豚小屋で、思春期の大きな塊を抱えて。」 ユーリアンは答える。「何も?僕はただ、あの豚小屋で、マスターベーションを・・・僕のカワイイ豚ちゃんと、ただセックスをしていただけだ!」 ユーリアンは野人に問う。「オマエは何をやったか?」と。野人は言う「俺はただ、父を殺し、人の肉を食っただけだ。」

合併セレモニーが終わった後。村人が、2人の元にやってくる。村人は、何故か、喪服のような黒い服を着ているという。
村人は、ヘルトヒッツェ様にだけお聞かせしたい事柄があると告げる。ユーリアンの父は部屋から出て行く。
村人は告げる。「農家の更に先、ずっと遠く、そこに『豚小屋』があります。ユーリアン様は、そこに行くのが日課でした。」4歳の村の少女は、ユーリアンに懐いていたのか、良く、ユーリアンの後を付いていっていたらしい。村人は言う。「この娘は、最近やっと喋れるようになったばかりなのです。その娘が悲鳴を上げ・・・確かにこう言ったのです。」 「あの豚さんが、ユーリアン様を食べちゃった。」 そこには確かに、ユーリアンの服と髪の毛があったと。
豚は、確かに、何か固まり肉のようなモノを食べていたと。豚はその肉を奪い合い、奪い合い、奪い合い・・・。
ヘルトヒッツェは問う。「何も残ってはないのだな?」と、村人とヘルトヒッツェは「このコトはないしょだ。」と結託する。

舞台幕が切り落とされ、そこには十字架に貼り付けにされた野人がいる。

そんなお話。

コレ。纏めると『豚とセックスしてた男が豚に食われる話』だと思うんだケド、そう書くと、見も蓋もねえな(笑)。
いや。豚は民衆だったりね。民衆がブルジョワを食うとかね、そういう意味合いもあるのかも知れないが、表層だけ見ると、豚を食ってた(セックスの意味で)男が、豚に食われる(こっちは比喩ではなく、本当に)話・・・って言うね。

私の記憶違いでなければ、ユーリアンと人生が交錯するのは、映画では、古代ギリシャの人だったと思ったんだ。古代ギリシャで近親相姦をやってた青年。
このお芝居だと、ユーリアンと交錯するのは、現在の日本の青年・・・ってコトなんだと思う。青年・・と言うか男かな?父を殺して『父の肉を食った』ってコトなんでしょうかね?でも「人の肉」って言ってたと思うんだケド。
野人の演出の際は、一面の新聞記事を使ってスクリーンにし、そこにACのCMを流していた。地震の時流れてた『節電をしよう』『買占めはやめよう』のやつね。
なので、野人は、現在の日本の男・・・だと思うのだケド。

ユーリアンが野人に「オマエ、吉本隆明と同年代らしいじゃないか〜」と嘲笑するように言う場面もあるので、思想が絡むのかな?とも思う(吉本氏は思想家なので。あ、吉本隆明って、作家の吉本ばななのお父上ね)。でも、ちょっと分かりづらかったな・・・。三島由紀夫は、何となく分かったケド。その前段階として「自衛隊に入らないか?」って野人は言われてたから(三島は、自衛隊駐屯地で割腹自殺してる)。
あと、ユーリアンの台詞に「僕らはテオレマ以降を生きてるんだぜ。」って言わせてた。(『テオレマ』はパゾの映画。ある青年がとある家庭に入り、家族全員と肉体関係を持ち、家族関係をグッチャグチャにする話)

豚小屋のOP映像の時、パゾの詩集や映画作品のタイトルがズラ〜って出る演出は好きだったな。で、最後に『豚小屋』だけが残る仕掛け。

豚小屋でのセックスを告白する際、ユーリアンがズボンとパンツ脱ぐんだケド、あれ、どういう気持ちで手塚さん、客前でパンツ脱いでいるのかな?ってちょっと思った(オイ!)。
いや、演出家が「ここでパンツ脱いで下さい。」って言ったら、役者は、演出意図に納得行けばパンツくらい脱ぐだろうケドさ。微妙な気持ちになったりは・・しないか(^_^;)。役に入ってれば大丈夫か。てか、そうだ。そもそも、手塚氏、松尾スズキ氏やケラ氏と一緒に芝居やってたのだから、もう、結構なコトはさせられて来たか(笑)。

しかし。あの人形が着るような、ピラピラのレースが裾から出てる衣装を良く着こなすよな、手塚さん!!手塚さん、48歳よね?今年48歳よね?ピラピラレースに全く違和感を感じさせない48歳。

そして、ズボン脱いだら細いのなぁ〜、足がなぁ〜。腰とか折れそうだモンなぁ〜・・・。
あと、貼り付けになってる(てか、立ったまま動かない)、手塚さんが凄く美しかった。まったく動かないから、人形のようなんだケド。ガラスの箱に入れて飾っておきたかった。それくらい美しかったの。
そして、手塚氏は、やっぱり静かな狂気の演技は上手いと思う。
豚とセックスする青年は、父への反発やら、思春期の諸々とかあるんだとは思うケド、やっぱり、常軌は逸してるだろうからね。

あと、野人は、父殺して父の肉食ったのなら、父親との近親相姦って意味かも知れんのだが、映画って、父親と息子の近親相姦でしたっけ?母だったような・・アレ?私、『アポロンの地獄』とごっちゃになってるのかも知れない・・・。父だったらゴメン。

途中、詩の朗読みたいなのが入るのだが、アレは、パゾの詩かなぁ〜。

そして、途中に入る、伊藤キム氏の舞踏が恰好良い!舞踏家だから当たり前かも知れないのですが、動きの綺麗さに目を奪われる。全裸で踊って欲しいと思った。そうすると、筋肉の流れが分かるんだ。舞踏家が踊る時の筋肉の流れは美しいのだよ。

柊さんの天使が凄く美しかった。

そんな感想諸々でした。

ちょっと思ったのは、あの演出で、何も前情報なく見た人は、野人と青年の時空間(人生?)が交錯した・・・って分かったのだろうか?と言う心配もあったのですが。いや、「何で、ユーリアン、イキナリ三島由紀夫とか吉本隆明とか言うの?」って思った人もいるだろうなぁ〜って思ったから・・・。
時空間での魂の交感とでも言えば良いんでしょうかね?詩的に言えば。それをしたってコトなんだろうケド。

映画は、極彩色の地獄だった記憶があれど、この舞台は、静かな狂気を秘めた舞台って感じでした。静かな狂気と静かで哲学的エロティシズムと。

で、最後に、こんなコト書くのどうかと思うが。

「ぶっちゃけ、豚とセックスして、感染症とか大丈夫なんだろうか?」とそれが1番気になったりする、現実的な私でもありました(笑)。
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