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2009年11月27日10:13

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ガス人間第一号

 先月いっぱい、『ガス人間第一号』が舞台化されてました。
 演出は後藤ひろひと。この芝居のポスターで知ったのですけど、『パコと魔法の絵本』もこの人だったんですね。彼のお芝居は何年か前に数本見ただけですが、ちょっと駄作を作るのが想像できないぐらい安定していた印象があるので、『ガス人間第一号』の舞台もきっとおもしろかったんだろうと思います。
 というわけで、芝居は見にいけなかったのですが、映画の方はいまは亡き大井町武蔵野館でやっていたのをたまたま見ておぼろげに憶えています。
 なんだかとても格調高い映画でした。どうしてもこちらは特撮ものという予断をもってみてしまうのですが、この映画の製作当時はまださほどジャンルが明確でなかったのでしょうか。没落した日本舞踊の家が舞台になっているせいもあって、場面によっては文芸映画っぽい雰囲気さえ漂わせています。囃し方の演奏の様子もカメラを据えて撮っていたりするのですが、当時の一線級の人たちが起用されていたのではないかと思います。

 でも、なにより印象に残ったのはヒロイン八千草薫の美しさ。当時、宝塚を退団してしばらくの頃だったと思いますが、人間離れしたといってもいいほど妖しげで高貴な美しさをたたえていました。今の芸能界にはいないタイプですね。というより、あの映画の数十年後が今の日本だということをちょっと信じられないくらいです。
 彼女が没落した家元でして、実験台にされ体が気体化するようになったガス人間は、彼女を愛するあまり自分の特技をいかして銀行からお金を盗んできます。
 ここがちょっと驚くところなのですが、彼女はガス人間が自分のために盗みをはたらいていて、世間がそのことを知った後ですら、ひたすら稽古に打ちこぶかりでなんら自分の考えを述べたりしません。述べないということについていえば、映画を通して台詞はほとんどありません。言葉がないどころかおよそ意思表示をしない役でして、全編ひたすら思いつめたように稽古をするだけです。この映画についてまわる奇妙な印象の理由をたどれば、それはまずガス人間の存在によるでしょうが、ヒロインのこの不可解で不可思議な性格づけも大きいといえるでしょう。そして、それではなにも考えていない人かといえば、そうでもないのです。
 終盤、ガス人間以外は誰もいなくなった客席を前に、ヒロインは壇上で憑かれたように踊り続けます。劇場はすでに包囲されているという緊迫した状況の中で文字通り衝撃のラストを迎えるわけですが、この最後の最後になってヒロインはようやく自分の意思らしきものをあらわにします。
 ただ、それまでになにも言っていないし見せてもいないので、最後の行動がいかなる考えによって発動したものなのか、さっぱりわかりません。衝撃のラストというフレーズは、広告宣伝のために濫用されまくってまして、この煽り文句が付されている映画や小説はだいたい最後がしょぼいのですけど、『ガス人間第一号』は本当に衝撃です。ただし、その衝撃はショックな映像によるものであると同時に、それまで木偶のように感情をあらわにしなかったヒロインがその一瞬にみせた昂ぶりによるものでもあるといえます。
 まあでも、考えてみれば、『セブン』の売春宿のオヤジとか、単純に私がああいうのが好きなだけなのかもしれませんが。

 ヒロインの体に手をまわして抱きよせながら「ぼくたち、負けない」とささやくラストシーンのガス人間について、みうらじゅんは「ガス人間にそんなこと言われるのって嫌だなあ」とコメントして、この作品を「もてね映画」に分類しています。たしかにデートで見るような映画ではありませんが、何年かごとに思い出しては「あれはなんだったのかなあ」と考えるたびにそれまでとは異なる解釈を思いついたりして、じわじわ楽しめる作品です。

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