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2008年11月19日19:44

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『トウキョウソナタ』 鑑賞(ネタバレあり!)

監督黒沢清。

もう、この人は大好きな監督なので、
新作が封切りになったら必ず映画館へ
見に行きます。そんな人はこの人だけ。
もう、大っ嫌いなホラーでも何でも、
見ないわけには行かない監督です。

で、今作。

黒沢清の題材としては珍しい『家族』がテーマ。

『ニンゲン合格』がそうかなぁとも思いましたが、
あれもなんか違うしな。

前半の1時間は丹念に一家族に少しずつ浴びせられる
『変化』の波に、それぞれが惑ったり決断したりする
姿を描きます。

ここが、辛い。

リストラされる家長たる総務課長佐々木竜平。
献身的に家族に尽くすが、どこか不安定は母親恵。
アメリカ軍への従軍を決める長男貴。
劇中で尤も批評的であり、それ故に行き辛さを感じている次男健二。

大部分は父親がリストラされてから、昼の最中の
町を漂流する姿が描かれる。
再就職をしようとするも、人事担当に「何が出来るか?」と
問われ答えられなかったり、浮浪者支援の炊き出しに並んだり、
同じくリストラ漂流組の友人宅で、奥さんを誤魔化す為の
一芝居に加担したり・・・。

全てがみっともなく、しかも、よく判る。

否応なく「自分だったら・・・」と考えてしまう。

弱く、不器用で、頑な。

しかし、ずっとそれで世の中を渡り、自負もプライドもある。

だが、それが全てマイナスへ回る。
そんな時、それをプラスに回復する事はとても難しい。

炊き出しの行列で偶然遭遇した同級生・黒須の
みっともなさも同様。

誰に会うでもないのに、携帯電話のアラームを1時間に六回
なるように設定しておき、さも仕事関係の電話であるかのように
芝居する。彼は、誰か明確に飾りたい相手がいる訳でもない
シチュエーションでも、それを行う。
何よりも、自分を騙したい、という儚い願望の顕れなのだろう。
尤も、今の境遇を認めがたく思っているのが自分だから。
そのプライドを慰撫するために、彼は携帯のアラームを
鳴らすのだ。

ユーモラスでありながら、胸が苦しくなるような残酷な
描写だ。

面白い表現なのに、強張った笑いしか浮かばなかった。

そして、黒須夫婦は無理心中という最後を迎える。
ここも怖い。過度な説明を物語に施さない黒沢らしいが、
竜平が黒須の家を尋ね、無人の家を片付ける近所の
主婦に話しを聞く。「無理心中らしい」という結果は
聞かされるが、『どちらがどちらを』引っ張ったか(殺したか)は
語られない。竜平と共に食卓を囲んだ時の妻の不安定な
様子から、どちらがどちらを殺してもおかしくは無い
追い詰められようだと云う事は判るが、ここは敢えて
『明かされない』怖さがあるのだ。

それを契機として物語のトーンは変化を見せ始める。

父である竜平が拘り続けた(詰まらない)権威の失墜から
家族たちにそれぞれバイアスが掛かり、『家族』という
単位がきしみ始める。

ここからは黒沢清の独壇場とも云える不思議な世界に
作品は変貌する。

長男貴がアメリカ軍に従軍すると言い出す。
ここで物語は虚構性を強める。日本でありつつ日本でない(少なくとも、
現時点の時間軸にはない)状況で、息子は失墜した家父長の
権威の肩代わりをしようとし、『平和を守る(=家族を守る)』ために
権威と秩序の象徴としてのアメリカに身を投じる。

次男健二は町を歩いている際に見かけたピアノ教室で
先生に惚れたか、生徒になる事を決める。
まもなく、健二には稀有なピアノの才能がある事が
発覚する。この辺りの物語の進展の仕方は言葉は
悪いが非常に『雑』だ。もうちょっと言葉を選ぶと
『飛躍』している。

この物語の登場人物達は、年齢が上がるに従って
愚かで硬直した思考しか出来ず、年齢が下がるに
従って、賢明になるという特徴がある。

後に登場する間抜けな泥棒(役所広司)が最年長で、
竜平夫婦や黒須、そしてそこから少し下がって
ピアノ教師(離婚問題等の心の揺れを生徒に隠さない)や、
健二の担任(生徒とのコミュニケーションを端から放棄。
生徒以上に子供っぽく描かれる)を経て、各々の子供達へと。

子供達が率先して家族のくびきを逃れようとし、
父親竜平が在りもしない家族への権威を逃すまいと
しているとき。

その家族という単位を取りまとめる為に務めていた
母親恵には、強盗が襲来する。

ここから、一気に物語が外部に向かって開かれる。

一家族の閉塞的な物語から、神話的なそれにすら、
変換されていく。

顔を見てしまった故に、人質に取られ、逃走のための
車の運転をする恵。
それは『やはり』海へと行き着き、前衛演劇のような
告白と贖罪のシーンが描かれる。

バラバラになった家族は、それぞれの一夜を過ごし、
そして『自分達の家』に帰還する。
特異な一夜を経過して、家の食卓で朝食を食べるのだ。

一見してこれは秩序の回復、と映るかも知れない。

だが、この物語の(敢えてそうしているのだが)歪な
所は、『彼らが何も選択しない』という点だろう。

彼らはそれぞれがそれぞれの環境で流され、
巻き込まれ、そして漂着するように家に帰り着く。

家族を復興するような努力は、実は誰も働かない。

これは、実は怖い事だ。

実際は何も問題は解決していないのだから。

ただ、皆そこに帰っていく。

これこそ、ホラーを執拗に製作し続ける黒沢清流の
『家族』の描き方なのかも知れない。

だが、従来と違う点も、ある。

ラストシーンだ。

ピアノの天才的な技量を見込まれた健二は
音大付属の中学を受験し、その会場で
ドビュッシーの『月の光』を弾く。

この情景、音が素晴らしく美しい。

反対していた父竜平も、応援していた母恵も
等しく涙を流す。

解決しない問題や、状況は劇中で丹念に
描かれたが、この曲と描写によって美しく包んだ。

一歩間違えれば果てしなく陳腐になる表現を、
黒沢清はその才でものの見事に乗り切った。

ワンシーンの固定カメラで一曲の演奏シーンを流し、
竜平、恵に連れ添われて健二が会場を退出する
所までを映す情景の美しさは素晴らしかった。

エンドロールには何の曲も流さず、恐らく
受験会場の終了後の人のざわめきや
退出するノイズを流して、全ての物語は終わる。

その抑制っぷりは音楽に禁欲的な黒沢清
ならではの物で、これも素晴らしかった。

本当に、黒沢清はジャンルを選ばない。

彼はその独自の才能と、映像に対する品性で
映画を作る。

これはたまたま『家族』の物語だったが、
文法は間違いなくホラーだ。

どんなコメディであれ、ホームドラマであれ、
彼は必ず背筋のゾッとする描写を入れる。

彼の指向性は微動だに
ぶれていない証明でだろう。

傑作でした。
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