ブームの主役「プレカリアート」の悲惨な現実
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=511012&media_id=10
たしか以前にも『蟹工船』が売れているという記事があって、その時も誰が仕掛けたものだか考えたのですが、この記事では毎日新聞の高橋源一郎と雨宮処凛の対談がきっかけだったと書いてあります。
この二人を起用した時点で仕掛ける気がミエミエであります。
格差社会だからプロレタリア文学というのもわかりやすいですよね。
気になるのは、どう読まれているかがまるで伝わってきていない点です。
売れているのはいいとして、本当に読まれているのか?
『蟹工船』は読みにくい作品です。群像劇というか、特定の登場人物がいないので感情移入の手がかりがありません。
テーマを特定の個人の問題として語らないためにそういう形式が選択されたそうですが、読んでつまらない小説を書くためにはこれ以上はない手法ではないかと思うぐらいです。
もちろん、おもしろいだけが小説ではないし、そういうスタイルで洗練を目指す方向性もありえます。
でも、それはとにかく売れてみんなが読むというようなものではないと思います。
仕掛けは仕掛けとして、投げ方がいささか雑ではないでしょうか。
そもそもプロレタリア文学自体、左翼的傾向が優勢だった戦後の文学界で過大に評価されされてしまった部分が大きいと思います。
荒俣宏が『プロレタリア文学はものすごい』という本を書いていましたが、プロレタリア文学から通俗的な部分を抜き出してすごいといったところで、それは違うでしょうと。
もっとも、問題はイマの作家がイマの状況に向き合って、イマのプロレタリア文学を書いていないことなのかもしれません。
そういえば、高村薫をプロレタリア文学と評していた文章を読んだことがあります。たしかにそうかも。
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