mixiユーザー(id:8306745)

2008年04月17日22:58

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人の死なんてものは、電車を止める程度の価値しかない

死について最近あれこれ思い、そんな文章ばかり打っている最中、
たった今、電車に人が轢かれて立ち往生する。

多分、彼は死んでるんだろう。
その死は夾雑物でしかない。少なくとも、今車内にいる人々にとっては。

いや、正直になろう。私にとっては、だな。

轢かれるにしても時間選べ。なんて事をすら思う。55年前の死刑囚や、ガンになった役者に捧げうる思いは、彼に対しては微塵も無い。

多分、今死ぬべきは俺なのだ。

これも感傷で意味は無く、この文章にも価値はない。

死は、隠蔽されつつ隠蔽される事に意味はある。

自身の無価値に気づかせない事だ。

死すべき自分の無価値さを隠蔽してくれているからこそ、この地獄のような生に耐えうるのだろう。

今耳に刺さったイヤホンでは死者が歌い、死者が書いた文章を読み、死者が止めた列車に乗っている。

死の方が正しい気がしてくる。やがて、周りは死で埋め尽くされるのだろう。親しき人々も、愛すべき音楽を奏でる人も、強い格闘技者も、天才も瑞々しい文章の書き手も。そんな時、自分は果たして生きているだろうか?
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