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2008年04月09日18:22

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受け継がれる文化の差、ってやつの話

キース・リチャーズのインタビュー集を読んでいると
ツアーにまつわる苦労話をインタビューアに聞かれて
「よし、スコッティ転送だ、って訳には行かないからな」
とジョークを飛ばしていた。

これは欧米人にはジョークとして立派に通用する。
特に注釈はいらない。

そのテの共通認識出来る作品や文化ってのを
欧米人は山ほど持っている訳だ。

例えば『不思議の国のアリス』だったり、
『トム・ソーヤーの冒険』だったり、前出の
『スター・トレック』だったり。『聖書』だってそうだ。

『マザー・グース』を引用した見立て殺人、なんてミステリも
両手に余るほど存在するし、『アリス』はロックバンドが
歌詞の中で様々採り上げている。

こういう風な、文化程度が高いかどうかはともかくとしても
共有出来ている、という事に羨望を感じてしまう。

日本にそれはあるだろうか?
御伽噺?流行ったテレヴィ番組?小説や文学作品?ディズニーランドかい?

『桃太郎』を題材にしたロックってあるかね。
若い子たちには『時間ですよ』なんて分らないだろう。
『源氏物語』でジョークは云えるか?いやいや、
ジョークでなくていい。俺もそんなのは苦手だ。
四角四面なタチなんでね。せめて『源氏物語』について
話が世代の壁なく出来るだろうか?

全て無理だ。今の若い子が堪能している文化は
もうすでに俺には遠い物だし、爺さんが若い頃に
嗜んでいた物も、また同じく遠い。

だから、同じ世代の人間でツルむしかないし、
同じ人間をどこに行っても探すんだ。
「何年生まれ?」「どこ中?」ってね。

文化を共有出来ないから、せめて共通認識を
持っているであろう人間を探してしまう。

程度の低さは否めない。いや、欧米人が程度が
高いって云っている訳じゃあ、ないんだ。

キースは『スタートレック』のジョークが通じないかも、
なんて可能性はてんから考えていないだろう。
そして、それは『分る』のだ。

この認識に於ける前提条件の差ってのは
大きい。

老いも若きも知っている事がある、だから、話が出来る。
出来ないから、どんどん認識や常識にズレが生じている。
若いのの云っている事は日本語とは思えないし、
歳取った人間の云う事は偏屈で風化した繰言、だ。

アメリカ人は全員がドロシーがどうやってオズの国に
行ったか知っている。ま、日本人だって浦島太郎がどうやって
竜宮城に行ったかは知っている訳だが、その共通認識を
他の媒体に援用する事はしない。

それを知ってて、それだけだ。

これは『聖書』のある無しの差、と短絡的に考えていいものかね。
『聖書』はカトリック、プロテスタント、その他諸々を問わず
ある程度の共通事項としてある。皆が知っていて当然、
な物のある無しの差、としちゃ単純化しすぎかね?

断絶、ってのはどの世代もが語れる文物が無くなってしまった
ために産まれた物なんじゃないのかね。

指揮者のマゼールはインタビューで『統一場理論』でジョークを
話していた。『統一場理論』は自然界の四つの力を全て統一しようという
試みだ。それを音楽に、オペラや交響楽やその他器楽の
融合の試みになぞらえて話していた訳だ。
オチは「だが音楽には証明はいらないからね、随分楽だよ」
だった。

統一場理論は物理学の領域の話だが、経済学の本を読んでも
顔を出す。少なくとも、これくらい知らないとマゼールの
ジョークは理解出来ない訳だ。

知識は複合的なもので、異種な概念を組み合わせる事で
新たな発見があったり、分りやすく比喩として噛み砕いて
説明も出来る。

だが、それにはまず何よりも『そういう事がある』と
知っていなきゃならない。

自分が全くそういう人間には成れていない事を
棚に上げて書いていますがね。

でも、そういう文化の共有に憧れるし、
量子力学でジョークを云える程度の見識くらいは
得たいな、と思う訳だ。

知らないって損だもんな。

まぁ、繰言だね、繰言。
ジョークだと思っておくれよ。
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