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2008年01月21日22:42

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「小六、やっぱりおめえはきちげえだ」By中村主水

『封印作品の謎』読了。

様々な理由から、二度と作品化乃至は流通させる事が
出来なくなった作品を取り上げて、それがどういった
過程でそのような処遇を受ける事となったかを追った
労作。

ただし、前半のみ(笑)。

4作品収録されていて、それぞれ『ウルトラセブン』
『怪奇大作戦』『ブラックジャック』『O157予防ゲーム』を
取り上げている訳ですが。

『セブン』と『怪奇』はある意味続き物と云ってもいい
構成となっていて、実際今観た所、それほど規制しなければ
ならないもんか?と首を傾げたくなる『セブン』の12話と、
今でも十分問題提起出来得、尚かつ作品としてもショッキングな
構成をとっている『怪奇』の24話をそれぞれ紹介している
訳だが、『セブン』が製作者側にも理念や、規制される事への
不満、抗議を受ける側、行う側のそれぞれの強い想いが
伺えて興味深い。
正統な表現する者、受け取る者、風聞に流される者、それぞれの姿
が映し出されていて、この本の趣旨を知らしめるのに
恰好の素材となっている。

所が打って変わって『怪奇大作戦』の『狂鬼人間』では。
正真正銘、危険な作品に対する業界全体に渡るアンタッチャブルとして
作品が扱われている様が浮かび上がり、サスペンス小説にも
似た手触りを感じられる。

60、70年代において、未だに人権意識や教育は十分な水準に
達してはいなかっため、今の目で見た所過激だったり差別的だったり
する作品が作られた、と思われる。時代劇などでDVDなどで販売する
事が不可能な作品も結構な数、存在はする。
私の愛して止まない『必殺シリーズ』にもそれはあったし、
初期作品において台詞の規制なども珍しいものでは無かった。

今、それは時代性を鑑みて製作者の意図を尊重して
オリジナルの形態でリリースします、という但し書きの
下に規制無しで発売される事が多くなった。
作品のファンとしては、歓迎したい事だ。

しかし、規制は現にあり、その規制が醸成される空気が
必ずあった。それは当時の時代の持っていた熱であり、
作る側も批判する側もアグレッシブに活動出来ていた
背景がある。

規制だから反対、表現の自由を侵すから反対、というスタンスを
採りたい所ではあるが、難しい事も理解出来る。

現在、表現する際に『危険なコード』に触れずに作品を
作る人ばかりになってしまった事もあり、世に言う『危険な』
作品に飢えてはいる。だが、危険なだけで良い作品な
訳は無論無いし、穏やかに美しく進行する物語にも
心引かれる。

しかし、もし『危険なコード』を必要とする作品をその作品が
求めた時、それを表現する事から逃げない表現者が
多々現れてくれる事を望みたい。

無論、表現上のテクニックやデリカシー、理念や美学、
当然の社会的常識も踏まえ、持ち得た人にのみ
許された所業でもある事も背負える業である事も
忘れないで欲しいが。

消費者ってのはどん欲だ、って日記になってしまったな。
明らかに設計ミスだ(笑)。
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