遠方で暮らす息子と電話で話したとき「タケノコを見て、ばあちゃんの(煮た)タケノコが食べたくなった」と言っていた・・・
母は、とても働き者だったけど、家事全般が好きではなかったし、料理も下手ではないが特別上手でもなかった・・・なにより、レパートリーは、とても狭かった。けど、そんな母の作っていたもので、子どもたちが好んだものを、わたしが代わりに作ってみても、なぜか巧くできないんだよね。そんなに難しいものじゃない。娘が好きな出巻き卵やナスのぐった煮。息子の大のお気に入りのコロッケ。どれも、ごくごく単純なレシピで、秘訣も隠し味もなにもない。にもかかわらず、見た通り言われたとおりに作っても、母と同じものができないんだよね。
ちなみに、わたしが好きな母の料理で、自分で作ってみたら激マズだったのが、揚げドーナツと、里芋と団子の煮込みの団子。どちらも小麦粉を練っただけの代物。揚げドーナツはドーナツとは名ばかりの、小麦粉と砂糖を練っただけのものを千切って油で揚げるだけ。里芋と煮る団子に至っては、ただ小麦粉を練っただけ。なのに、好きだったんだよなぁ〜・・・なんでだろう・・・貧しかったというだけだろうか(^^;。
今も時々、無性に食べたくなる・・・けど、もう決して食べることはできない。思い出の中で、どんどん美化されて、ますます美味しかった気がしてくるけど・・・きっと、ほんとは、そんなでもないのかもしれない・・・ね。
"母の味"なんていうと、昔は肉じゃが、ちょっと前だとカレーなんていうのが王道だった気がするけど・・・きっと、各家庭、いや各親子それぞれ、というか、その人ごとに"その人にしか作れない味"というのがあるのかもしれない。それはいったい、どうして生まれてくるのかな・・・その人の癖みたいなものなのかな・・・・"思い"なんてところに持っていきたいところだけど、残念ながら、きっとそういうことでもないんだと思う。やっぱり、癖みたいなものかな・・・そうなんじゃないかなと思う。
ログインしてコメントを確認・投稿する