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2023年08月12日13:54

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鵺の鳴く夜は恐ろしい?

夏休みに秋田に帰省して来ました。
年老いた父母を連れて、秋田県のマタギの里、阿仁町に一泊旅行もしてきたよ。

マタギは知ってる人も多いと思いますが、古くからの狩りと山岳信仰の文化を現代でも受け継いでいる狩猟集団です。
広く東日本に分布していたらしいのですが、近代に入ってから時代と共に廃れていって今ではほとんど残ってなくて、もっとも原初の形を留めているのが阿仁町のマタギと言われています。(もっとも阿仁町のマタギも絶滅危惧職種なのですが)。

日本は東南アジア系の縄文人が住んでいた島に北アジア系の弥生人が移住してきて同化してできた国ですが、弥生人は朝鮮半島や中国に近い西から入って来てるので、程遠い東北の地は九世紀の初めまでヤマトには属さない蝦夷と呼ばれるまつろわぬ民の里でした。
文明化される以前の日本人原初の精神世界にとても興味があって、古代の縄文、続縄文、つまり蝦夷=日本の先住民の狩猟採集生活の習慣を今でも色濃く残しているマタギの里、阿仁町は一度は訪れてみたい場所だったのです。

緑深い山々の奥に車で分け入っていくと阿仁町はあります。山奥にある特異な古い風習が残っている里、というと4年前に旅行した岩手県の遠野に少し雰囲気が似てる。
着いたのがお昼だったので阿仁町の道の駅でマタタビラーメンを食べてみる。良い香りのするマタタビを練り込んだ麺でスープもなかなか。
つづいて熊牧場「くまくま園」を観光。ツキノワグマ、ヒグマが見られたのですが、クマでかい。かわいいけど怖い。そして、ボケて太ってるうちの親父は熊にそっくり。

阿仁町にある打当(うっとう)温泉の宿に一泊しました。夕食でジビエをいろいろ食べたのですが、熊と兎は味噌鍋で、鹿はジンギスカンのように蒸しでいただきました。
熊肉は山の木の実のような強い香りがして美味い。鹿肉も嗅いだことのない野生の香りがします。兎の肉は子供のころに父親が貰ってきたのを食べたことがあるのですが、臭くて好きになれなかった。宿のはエサを選んで食肉用に育てた養殖兎だそうで、たしかに臭みはないのですが、けっきょく肉質がボソボソしててお薦めできる代物じゃない。お味は、熊>鹿>兎、の順でしたが、熊肉は香りが強すぎて歯を磨いてもしばらく歯の隙間から匂いが取れませんでした。
イワナの塩焼きは東京のスーパーで買ったのを食べたことがありますが、淡泊すぎて「イワナって期待したほどじゃない」と思いましたが、宿のは脂が乗ってて美味かった。さすが地産。他にマスとナマズのおつくり、こっちも良い味でした。ナマズって刺身で食べたことなかったけど、臭みがなく上品な甘みがあってイケます。

温泉の露天風呂は阿仁の山々と川が見渡せて、吹き抜ける涼やかな風が気持ちいい。
夜、宿の外に出てみたら真っ暗な山の方から「ヒューーイ、ヒューーイ」と聞いたことのない甲高い鳴き声がする。山奥から誘われているような神秘的な鳴き声です。帰ってネットで調べてみたら、トラツグミの鳴き声でした。トラツグミは昔語りには「鵺」というキメラの化け物の鳴き声と思われて、気持ち悪がられたそうな。

温泉宿にはマタギ資料館が隣接していて、宿泊客は無料で観れます。物凄く興味深い資料がたくさんあったのですが、中でも目を引かれたのが「ナガサ」です。
ナガサとはマタギが山で使う刃物で、鉈にも使える、獲物を解体し皮を剥いで、料理にも使える、棒の先に付ければ槍として熊とも戦える。さらにその鞘は平たくなっていてまな板になる、と万能の山刀です。
平安時代の最初期に蝦夷がヤマトの侵略を受けた時に、蝦夷たちは蕨手刀という刀を手に戦いました。(宮崎駿の『もののけ姫』で蝦夷の末裔アシタカが使っていた剣が蕨手刀です)。晩期の蕨手刀には切れ味と耐久性を上げるため刀身の峰に反りが入りますが、これが影響してヤマトが使っていた反りのない中国伝来の直刀に改良が加えられて、日本刀が誕生したと言われています。
わたしは蕨手刀の元になったのがこのナガサだった、ナガサを対人用に大型化したのが蕨手刀だ、と推測しています。ナガサの野性的な迫力と機能的な美しさはマタギの、そして蝦夷の魂を見る思いでした。

帰りに阿仁マタギ発祥の地と言われる根子という集落に立ち寄ってみました。行ってびっくり、車一台分しか幅のないトンネルを通らないと辿り着けない隠れ里のような小さな集落でした。トンネルがなかった時代には峰を越えて行き来するしかなかった。そのため他の集落とは隔絶した文化が残ったのかもしれません。阿仁町の夏は短く農作物を育てる期間が短いため秋冬に狩りをして食糧を確保するしかなかったそうな。

国も王も抱かず自然と共生して生きる蝦夷の生き方は、本当はパラダイスではなかったはず。きっと古代には生贄の風習もあったし、食物の備蓄が限られているので生まれてきた子供は間引かれたし高齢者は共同体から捨てられる社会だったろう。それでも自分が自然の一部として繋がりを感じながら一瞬一瞬を必死に生きて死んでゆく、星の瞬きを道標に歩んでゆく生き方には抗えないロマンがあるのです。

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