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2022年11月23日20:14

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井の中の蛙

今日は折角の休日なのに、ドシャぶりに加え、いろいろ想定外で、予定が狂った。
そんななか、次男坊に吉祥寺に行くのを付き合ってもらったんだが、次男坊にカッパ着せて雨の中、徘徊するのもなかなか楽しいものであった。

さて、先日は虚しくも人生やり直せたらって話を書いたが、だからといって、そこまで悪い人生でもない。不本意なことが多かったのは、どんな生き方をしてもあるだろう。
概ね道を踏み外さずに生きてこれただけでも幸せである。そこら辺は、両親に感謝するところはあるな。
ところが、昨今はニートひきこもり君が身近に結構いて、彼らには悪いが、やはりこういう人たちは不幸だなあ、と思ってしまう。以前は、こういうのって結局は本人の責任で自業自得だろ、と突き放していたのだが、彼らは彼らでどうしようもない部分もあったりする。
まず一様に彼らは親兄弟、家庭環境を怨んでいる。そして自分自身の資質を怨んでいる。
親に感謝どころか、親のせいでこうなった!というのが根底にある。それも、いい歳したら親は関係ないだろ!自分の責任だろ!とも言いたくなるんだが、それはまっとうに生きることが出来たものの弁である。
自分の素質+毒親、という条件が揃えば、まっとうに社会に巣立つことができなくなってしまうのもやむをえないのかなあ、、と思う。
ニートひきこもり君の場合、えてして親の収入が良いなど、経済的に結構めぐまれていて、話を聞くとだいたいが、何か子供に問題があると親はお金で解決しようとするケースが多い気がする。
じゃあ、金持ちは不幸なのか?といえばそうではなかろう。貧乏は貧乏で、悲惨な家庭はいっぱいあるし、性格が歪んでしまったり、吝嗇で金に汚い欲望まみれの人格が育ったりもする。
となると、本人の素質が社会適応性のあるしっかりした人格で、なおかつ親もそれなりに常識があって正しい愛情をかけられるようであれば、金持ち・貧乏は関係なく、普通の生活ができるような人間に育つのではなかろうか。

で、ニートひきこもりを生み出す要因をもうひとつ考えてみたんだが、世の中がモノに溢れすぎていて、選択の自由が広すぎるのではないか?ということ。
もちろん、その中から適宜自分にあったものを選択し、選択した人生に対して努力を怠らない人はいっぱいいる。
だけど、一部、選択の自由を扱いきれない無能な人っていうのは存在してしまうのだ。
自由がありすぎるとどれを選択してよいかわからず、かといって「これをしなければいけない」という生まれもっての義務も与えられず、結果、何をしてよいかわからず何もしない。
民主主義・資本主義というのは、自由競争で誰にでもチャンスはあり、一面素晴らしい社会になりそうだが、それを享受できるのは一部の有能な人間に限定されてしまう怖さがある。
多くのものは、そこまで自由に使いこなせず、一部有能な人間に搾取されながら、不本意だがおこぼれに授かる努力をするのみ。おこぼれを授かれるくらいの位置にいれるならまだ良いが、そのカラクリもみえずおこぼれにも授かれない無能な人っていうのが、残念ながら存在してしまう。
こういう人たちの行き着く先がニートひきこもりなのではないかと思う。
案外、未開社会とか昔の社会のように、生まれたときから地位もやることも決まっていて、生涯それをやり続ければ良いという社会のほうが、全体的には幸福なのではなかろうか?
優秀でも無能でも、生涯にやることは目の前の農地を耕すだけ、とか。1年でやることはきっちり決まっていて、淡々とそれをやり続け、年齢が来たら子孫を残して跡を継ぎ、死んでいく。毎年毎年その繰り返し。
これは、選択の自由が奪われた状態で、例えばその中に、物理学をやらせたらニュートンとかアインシュタインくらいすごい奴がいたとしても、生涯農地を耕すことで終えてしまう。
大きな革命は起こらないが、全体が横一直線で進んでいるだけの状態で、そこには妬みなども起こりにくいし、他者との比較で自分は不幸だ、ということもほとんどないだろう。
翻って今は、仮にニートひきこもりをやっていたとしても、インターネットで外の世界が覗けてしまう。情報は溢れるほどあって、それはもうきらびやかなほど様々なモノに溢れている。
そんな世界で自分を比較したら、不幸の感じ方はかなり大きいだろう。消費社会からの疎外感は半端じゃないだろう。

情報過多の時代に、自分が踊らされずにしっかり生きていくのは、何もニートひきこもりではなくても、難しい。
結局、どんなに情報遮断をしようとしても情報は入ってきてしまい、誰もが疎外感を持ってしまう。疎外感をもたないように自分を騙し続けるしかなくなってくる。
井の中の蛙が大海を知ってしまうと、溺れ死ぬ。
なので、井の中の蛙である我々は、大海など見ないで、深い空を知れば良いのではないかと思うのだ。
ニートひきこもりは、仕事をするのが怖いというが、何でも良いから物凄く気合をいれて外に出て仕事をしてみる。その仕事について、全てを忘れて忘我の境地でその仕事だけを淡々と打ち込む。周囲の噂も職場での対人関係についても一切感覚をマヒさせて。
そうすることで、いつか自然と道が開けてくるのではないかと思う。
そういえば、禅の修業に掃除があると言う。雑巾がけをするときに、何も考えずに無心に雑巾がけのみをする。忘我の境地でことに望むということだ。三昧ともいう。
禅の境地だな。あるいはニートひきこもりは禅寺で修行をしてくると良いのかも。

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