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2022年10月21日23:33

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米沢

立石寺でヘロヘロになった後は1時間ほど車で涼みながら米沢まで南下してきた。

まずは米沢牛のすき焼き丼ランチで腹ごしらえ…ネットで車中から適当に予約しただけだけど、すごくおいしかった! さすが全国的なブランド牛は違う!

やってきたのは上杉博物館…僕の好きな上杉鷹山にフォーカスした展示がされている。
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鷹山はず〜っと貧乏だった米沢藩の第9代藩主で1768年に17歳で藩主になってから70歳で亡くなるまで藩の立て直しに一生を捧げた名君と言われている。
彼は自ら質素倹約を実践しながら民を中心に政治を行い、一方で産業振興にも努めてきた。桑・漆・こうぞ等の栽培を奨励し、それぞれを絹織物・ろうそく・和紙の生産につなげた。農地の開拓も行い生産力の向上も図っている。

彼の死後になるが、これらの施策が結実して藩の莫大な借金(今の価値で200億円くらい)は完済されたそうだ。

ケネディ大統領が日本人記者の質問に対して『最も尊敬する日本人は上杉鷹山』と言って鷹山が一躍有名になったのは60年ほど前の話し。
記者達は『上杉鷹山って何者だぁ?』となったらしい。ケネディに入れ知恵したであろう側近の情報力もすごいよね。

その思想は道徳と民主主義の教科書を絵にかいたようなもので、江戸中期にそんな人がいたなんて信じられない!
彼が息子に家督を譲るときに書いた伝国の辞といわれる申し渡しの口語訳が下記↓
・藩は先祖から子孫へ伝えられるものであり、藩主の私物ではない。
・領民は藩に属しているものであり、藩主の私物ではない。
・藩/領民のために存在/行動するのが藩主であり、“藩主のために存在/行動する藩/領民”ではない。
この三ヶ条を心に留め忘れることなきように。

リンカーンとケネディをあわせたようなことを言ってるよね。この伝国の辞は明治維新後の上杉家の版籍奉還まで代々伝承されたそうだ。


もうひとつこの博物館に来た目的は国宝の『上杉本洛中洛外図屏風』をみること。といっても本物は年に2ヶ月くらいしか展示されず、今回はレプリカのみ。
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この屏風は1574年に織田信長から上杉謙信に贈られたもので狩野永徳の作品。京の洛中・洛外の日常生活を題材にしたもので、約2,500人の庶民が描かれているという。
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ついでに『日本画をたのしもう−高精細複製が語る名品の世界-』という企画展がたまたまやっていた。レプリカばっかりだけど、日本画に疎い自分には一度に見られることはちょうどいい。

「松林図屏風」 長谷川等伯
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「風神雷神図屏風」 俵屋宗達
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「風神雷神図屏風」 尾形光琳
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「梅花遊禽図襖」 狩野山楽・山雪
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原本は超有名な国宝ばかりで、いいもの見させてもらいました。
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最後は隣にある上杉神社⛩
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もともとは謙信が越後の春日山城で祀られたものだけど、上杉家が米沢に移封されて紆余曲折を経てここに落ち着いたもの。
上杉鷹山もちゃんといらっしゃる。
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あまり知られていないけど、『なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人のなさぬなりけり』も鷹山公の名言。

米沢は滞在数時間だったけど、密度の濃い時間を過ごさせてもらった。
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