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2022年10月10日18:20

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勘違いミュージシャン

音楽をやっていたのは、実質大学生までだった僕は、今は完全に素人である。
最後にやったのが、会社内でコピーバンドを組んで、ベースを担当し、とあるイベントに参加した。それがかれこれ10年前。それ以来はやっていない。
その時のコピーバンドのイベントでは、セミプロレベルの人があまた参加しており、最初は単なる学生ノリのコピーバンドレベルかと思っていたんだが、とんでもない、物凄い高い演奏レベルの人たちが、他人の曲で遊んでいるといった感じで僕などお呼びでない気がした。
ずっとやり続けている人にはかなわないし、全く無名のセミプロクラスの人でも、あそこまで高いレベルなんだなあ、と感心した。

僕の学生時代の先輩で、いまだにアマチュアのシンガーソングライターみたいなことをやっている人がいる。
仕事も派遣社員、家族も持たず、いろんなものを犠牲にしながら30年以上続けているそのスタンスは尊敬に値する。僕はやりたくないけど。
その先輩、これがまた、非常によく語る。持論というか自己主張をしたがる。
社会問題から人生論から世界平和から、これまた恥ずかしげもなく持論を言いたがるのだが、どうも、世間ズレしていない輩の戯言にしか聞こえない。
現実に直面すると、自分の考えていることなど、非常に浅ましく世間知らずだったことを思い知らされ、多くを語ることが恥ずかしくなってくる。歳を取るとともに、多くを語らなくなってくるのは、そんな現実をたくさん見てきて、自分の主張など浅い戯言でしかないことに気がついてくるからだろう。
先輩のような人間は、そういうのに毒されることなく、自分を貫いているカッコイイ存在だと思っていそうだが(あの糞みたいな「少年のような心」を言ってしまう痛さでもある)、単なる世間知らずのおバカちゃんにしかみえない。まあ、死ぬまでそれを貫けば、それはそれで幸せなので、善し悪しはいえないのだが。
んで、どうも、音楽をやっている連中というのは、語りたがる奴が多い。
特に、自分の創作した曲をダラダラと説明したがり、挙句、人が作ったものをダラダラと批判したがる。自画自賛がとても好きだ。
よく思うのが、音楽やっているなら、そこに表現の全てが入っているんじゃないの?っていうこと。語りたいんなら、文筆活動でもすりゃいいわけで、音楽という表現を持っているなら、音楽を作って評価は他人に任せればよい。
ネットの世界でも、今時は音楽製作などは、PC1台あれば誰でもできるし、ユーチューブなどにアップして、全世界に公表も簡単にできる。それは好きにやればいいことだが、それに対して、あーだこーだと語りたがるのもまた多いのである。
そりゃ、好き勝手やってください、なんだけど、どうもね、あの音楽やっている奴特有の自己主張って、鬱陶しいんだよねえ・・

僕は、演者のほうは全くやっていないんだけど、リスナーとしては相変わらず聴き続けている。それこそ、様々な音楽を聴く。
基本的に何でも好きだ。やっている頃は、インディーズ系のパンクばかりだったが、今は、演歌、歌謡曲の類からアイドルソングから、J-POPと呼ばれるものまで。たまに謡曲や三味線などの和楽も聴くし、沖縄民謡なども聴く。そういう意味ではリスナーとしては幅広いかもしれない。あ、洋楽はあまり聴かないかな。
売れる路線を狙った商業的な音楽も悪くはないと思うし、本格的に芸術路線を狙ったものも好き嫌いは出るが悪くはない。古典の和楽や民謡なども、それなりに歴史があることを感じさせ好きだし、ドリフターズのようなコミックバンドも好きだ。
どれもそれなりに需要があって、要は聴く側がどう受け止めるかだろう。
商業的な流行歌だってその時代の流行を反映するものだし、売れるということは、その時代の多くの人に快適をもたらすから売れるわけだ。
芸術路線の奴らがよく、売れている音楽をその商業主義的なところで、本当の音楽じゃない!といって蔑んだりしているが、流行歌だって本当の音楽だと思う。
作品というのは、受け手がどう感じ取るかであって、作り手は作品を提供さえすればよい。あーだこーだ語るのはリスナーである我々に委ねればよいだろう。
まあ、音楽なんざ、自己主張の強い奴らの集まりなんで、言いたくなる気持ちもわからなくはないが、ツールとして音楽を選んだのであれば、自己主張はあくまでも作品に込めればいいだけだろう。

そういえば、音大出の、「自称」プロミュージシャンというのと話をしたことがある。歳はまだ20代で若い。
何をやっているのかといえば、今時っぽく、PCなどで作った楽曲をユーチューブにあげているだけだそうで、「自分の音楽は、真の芸術であり今理解されなくても、100年後に理解される」などと嘯いていた。
それはそれで、なかなか楽しい発想だが、J−POP路線の音楽を作っているという割に彼は昨今の流行の音楽は全て批判、というかほとんど知りもしない。
バンドはやらないのか?と問うと、バンドだと、自分の思い通りにメンバーがやってくれず不満だから組まないのだとか。
僕はそいつの人格から、そいつのアップしたユーチューブとやらに全く興味がもてないので、みてもいないが、恐らく、才能ないんだろうなあ、と思った。
何故かというと、全ては他者への批判があり自分が一番優れているという思いあがりがあるからだ。
僕の持論だが、音楽というのは、グルーヴ感であり、心地よいリズム感が作り出せないと受け入れてはもらえないと思っている。
僕が好きなバンドのあぶらだこのように、わざとリズムを外してリスナーをおちょくる手法もあるが、それは、通常のリズム感を持っているから崩せるわけで、そこにあぶらだこの個性がある。
時には難解なあぶらだこリーダーのヒロトモのインタビューなどでも、あえて関節を外している心地よいグルーヴ感があり、自分の作品について、抽象的なことしか言わない。
音大出の彼は、聴衆を乗せていくようなグルーヴ感が必要なJ−POPという分野にいながら、会話のグルーヴ感が全くない。そもそもバンドという形式を批判しバンドを組まないということは、自分の狭い視野から一歩も外へ出られないということだ。
音大出ているので、演奏技術はそれなりかもしれないが、創作していくとなるとそこは致命傷だろう。
そいえば、冒頭の大学時代の先輩も、結局バンドという形式だと、自分の思い通りにやってくれないので、弾き語りという道を選択した。その結果、着眼点のショボさが30年以上経っても変わっていない。
まあ、そうやって朽ち果てて行く人たちが殆どなんだろうなあ、と思う。

僕が、音楽の世界にハマり切らなかったのは、才能がないことはもちろんだが、どこか音楽をやっている連中の、そういった勘違いが嫌だったからかもしれない。
へヴィメタルは金属じゃらじゃらつけて髪延ばして、パンクは破れたTシャツの上にライダースなんか着て髪の毛モヒカンにして、みたいな王道のスタイルがあって、「俺たちゃ自由だぜー!」みたいなこといってるんだけど、結局、ファッションも含めてそういったセリフを吐くことが一種の形式で、そこにハマっているに過ぎなかったり。
まあ殆どがその真似ごとで、時期がきたらみんな熱から冷めるがごとくさっさといなくなってしまうんだが。
だらしない生活と淫らなセックス、酒に溺れて、マリファナ吸って、みたいのがロックだ!っていう価値観とかな。

総括するとだね。
自称ミュージシャンの自分語りはいりません。曲だけ提供してもらえれば、リスナーが判断します。
究極は、有線放送の流しっぱなしが一番いいやね。

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