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2022年11月11日09:05

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介護放棄について考える

数日前ウォーキングをしていたら、近くの民家から『お前のせいで◯◯!お前のせいで◯◯!お前のせいでexclamationお前のせいでexclamation』と、人間がこんなに大きな声を出せるのか⁈と驚くほど大きな叫び声が聞こえてきた。

誰かに向けられているとしたら肉体的暴力なら死に至らしめるほど強烈な言葉の暴力だ。

すぐ頭に浮かんだのは家族の介護に疲れた誰かが我慢の限界を超えて爆発した姿だ。

最近ニュースでもよく介護疲れから家族を殺めた事件が報道されている。

考えてみれば介護の多くは子育て以上に大変だと思う。

思い出してみると自分の場合、父親は認知症による徘徊の末に河原で凍死していたし、母親は癌の手術が難しいために緩和ケアで苦痛のない状態で息を引き取ったし、姉もまた入院中に心不全で息を引き取った。

そのように私自身は今までそれほど介護の苦労を味わったことはない。

けれども悲惨な状況にある人がいることは容易に想像できる。

今は悪質な宗教に嵌った親のせいで苦しんでいる二世信者の話が話題になっているが、親の影響で苦労している話は宗教に限ったことではない。

逃げ出したくなることは容易に想像できる。

考えてみると親に対する保護責任者遺棄の罪は立証が難しいと思う。

子供も家庭を持ったり独立して離れて暮らしていることも多い。

そのことを理由にろくな介護も受けられずに息を引き取る例は少なくないのではないだろうか。

もしかすると、多過ぎてニュースにもならないで、何千、何万という人がそのようにして亡くなっているのかも知れないと思った。
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