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2022年04月16日17:25

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会話の極意

ネットの世界は言葉で溢れかえっているんだけど、現実世界となると言葉が少ない人って結構いる。
そういう意味では、インターネットはしゃべれない人間が、しゃべれない欲求をはらすための画期的なツールである。この普及により、世の中のしゃべれない人たちに爆発的な活気を与えた。
ただ、現実世界でしゃべれない、会話ができない人って、他人に対して物凄く失礼な印象を与える。
例えば、皆で飯喰いにいったり、飲みに行ったりしたときに、入魂の人がそこにいないとずーっとおし黙っているという人とか、上司など不得手な人がいると何もしゃべらない人とか。
もちろんどうしようもない人見知りだったりすることもあるが、人見知りの激しい人でも、何とか話しようとしている誠意ある人は、その態度でわかるし、さほど不快な感じはしない。そうじゃなくて、意図的に苦手な人は話しない、と壁を作ってしまっている人。これは失礼だし不快を覚える。
男は黙って、沈黙は金なり、も当然ある。余計なことをベラベラ話するのも、その人の浅さが透けて見えてしまいみっともない。黙っていたほうが良いという局面もある。
また物凄く深いことを考えているんだが、あえて何もしゃべらない謙虚さを持ち合わせている人もいる。
そういう人は、何となくわかる。その気遣いや誠意が伝わってくるので、不快には思わないし、余計なことを言わない潔さも却って魅力的だ。
ではなくて、話すのがめんどくさい、といった理由で場の空気が重くなるのも厭わずずっとおし黙っている奴。これはたいそう感じ悪い。そういう輩は、何かしゃべったにせよ、非常に浅く薄っぺらいことしか話さなかったりする。まあ結局そういう人間だから話さないほうが良いのかもしれないけど、声も小さいしボソボソと何言っているかわかんないような話方しかしないし、10代の頃ならまだしも、いい歳したおっさんがそうだと「お前今まで何やって生きてきたんだ?」と思ってしまう。

ネット世界のSNSなどを見ていると、ああこいつ、現実世界ではしゃべらない、しゃべれないタイプなんだろうなーと思えるのが、雄弁に語っていることがある。
何故、現実ではしゃべれないタイプと思うかというと、話の内容が一方的で、相手の話を無視する、スルーする、自分のことしか話さない、自己主張しかしない、というのが多いからだ。
しゃべれない人間に言葉を与えた時(インターネットの世界がそれに該当する)、非常に理屈っぽいことをクダクダと話しだす。その内容は「俺は偉い、お前はバカ」という理屈というか屁理屈に満ち溢れ、「はい論破」が大好きな印象である。
会話というのは、理屈が通っているか通っていないかだけでは成り立たないことを知らない。文法的意味的に正しいか否かを、まるで数式のように話す奴とかね。
もちろん、そこにある程度の論理的整合性がなければ、会話そのものは破綻してしまうので、論理性を全く無視していいわけではないのだが、会話は、それだけではない。
私と他者が交わりより豊かな関係を築くためのコミュニケーションツールなのである。
大袈裟に言ってしまえば、「人間はひとりでは生きられない」という前提のもと、他者と協力しあって生きていこうとする原初的手段だ。
なので、言葉による論理の応酬、いわゆる議論のみではなく、ひとつのグルーヴ感というべき調和を発生させるものでもある。音楽に近いかもしれない。
AとBが会話しているときに、Aが主導ではなしているときはBがアイの手を入れる。その逆もありうる。漫才でいうとボケとツッコミ。
その流れをなるべくリズミカルにつむぎだすほど、話上手となろう。その内容はさして重要ではないのだ。
例えば、天気の話。天気の話なんか、別に個々人が勝手に天気予報みるなりすればよいもので、その話には意味はないが、相手とのグルーヴ感を作り出すには初歩的な内容であろう。
例えばこんなの。

A「今日は午後から雨みたいですね」
B「そうみたいですね」
A「明日まで降り続くみたいですね」
B「嫌ですね」
A「傘持ってきました?」
B「置き傘があります」
A「それは良かったですね。私も置き傘しようかな」
B「それがいいですよ」

こんな感じで延々続いていくが、この内容だけみると、だから何?ってな内容にである。それでもAが話すことにBがアイの手を入れることで、AとBの関係が毎日スムーズにいくようになる。
会話なんてこんなもんでよい。ここで否定的なことを言う必要はなく、肯定的に相手とのやりとりをリズム感よくやっていくことが大事。
日本語は特にこういう定型的な会話の型が多い気がする(多言語と比較したわけではないので直感的に言っているが)。民謡などのアイの手や、能、狂言、歌舞伎などの掛け合いなどを見てもそう思うし、漫才などは日本人ならでは成り立つ芸と思える。
こういう型をいくつか覚えておけば良いのではないだろうか。さすれば、ほとんど面識がない人と会話しなければならない場合でも、空気が重くなることなく気まずい思いをせずに自然と打ち解けることができるだろう。
会話ができない人って、会話の型の持ち合わせがきっと少ないんだろうな。だからこちらが気を遣って話しかけても、リズミカルな返答が返ってこず、間が抜けた感じになってしまう。まさにマヌケ。
インターネットの世界は、一方向から一方的に発信しても、何とかなってしまう世界なので、そこでいくら雄弁に語っても、会話上手にはならない。
今時の人は飲み屋などあまりいかないというが、いきつけのスナックなどを作って、そこで知らない人と会話すると、そういう技術は結構磨かれる。まあ、一昔前の人はそういうことを自然とやっていたんだろうが。

そういえば昔、スナックで年配の人に聞いたことがあるんだが、飲み屋の会話での3大NGテーマは、「政治・宗教・野球」だそうだ。
どの話も喧嘩になるから、だそうで、言いえて妙だなと思った。まあ今時の人は政治に興味もないし、野球も昔ほど熱狂しているわけではないので、これ自体が時代錯誤っぽいが。
でもまあ、そういう、熱く議論になって最後に口論になるような会話はなるべく避けたほうが、みんなが幸福なうちに終われるというのも、テクニックのひとつだろう。
職場の飲み会は、なるべく仕事の話は避けたほうがよいだろう。避けられない場合も多いが、その場合はなるべくネガティブなことは言わない。愚痴や誰かの批判、悪口などは絶対にNG。それに自分の自慢話をベラベラするのもNGだ。といいつつ僕も言ってしまうことはあるが、、
でもって面白いのが普段、しゃべらないような奴って、こういう時に真っ先に仕事の愚痴を言い出したり、誰かの悪口を言い出したりする。
普段おし黙っていて、いざ口を開いたらそんなこというのでは、人間性が疑われる。それをわかっていないんだろう。
自慢話は、特に努力した成果が実った時などは、したいときもあるだろうが、その場合は必ずオチをつけておかないと、聞いているほうは苦痛なだけということは理解しておいたほうが良い。
まあ、いい歳したら、しゃべりすぎもみっともないけど、しゃべらなすぎもみっともないことは念頭に置いておいたほうがいい。

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