『グローバルについて』
グローバル、という言葉が良く使われます。
グローバルとは、地球規模という意味で、
国や地域などの縦割りの境界線を超えた、
人や物の自由な交流のことを言います。
一つの国の偏った見方で判断せず、
多様な価値観を認め合い、
広い視野を持つという事が推奨され、
グローバルとは良いことであると、
大抵は思われています。
現代は、交通や通信の技術が発達して、
地球の裏側のことが瞬時に伝わりますし、
世界の隅々のことについて、
情報を検索してすぐに知ることができる、
まさにグローバル社会です。
しかし、国や地域などの、
縦割りの境界線が薄らいでいくことは、
実は人間にとって、
不幸せなことではないかと思うのです。
国境の向こうの情報に触れることで、
幸せだった国が、
自分の国の文化に自信を失ってしまう、
という事もあるようです。
身近な人とのつながりは、
大きな幸せをもたらしてくれるものですが、
現代のグローバル社会の中で、
多くの人が、身近なところよりも、
遠くの誰かとのつながりを作りたがります。
煩わしさの伴う身近な人との関わりよりも、
その場限りの緩いつながりの方が楽だ、
という思いを多くの人が持っています。
同じものに触れ、同じ体験を共有できる、
身近なところで出会う人たちとこそ、
本当の意味で、分かり合えるはずなのです。
ところで、そんなグローバル社会の中で、
世界の創造主である神様を知っていて、
その神様を誰かと共に見上げられるとは、
とても素敵な事だと思います。
地球規模で様々な情報が流通する中に、
揺るぎない価値観をひとつ、
見出すことができます。
そして、同じ神様を誰かと共に見上げ、
そのつながりの中に生きられることを、
幸せだと思うことができます。
グローバリズムが拡大する中にも、
儲け主義などの、
人間の罪が背景にあるという事を思います。
しかし、グローバル社会の中にあっても、
自分自身の罪を贖ってくださった、
神である方の払われた犠牲に、
感謝することができます。
教会というローカルのつながりがあれば、
グローバル社会の中でも、
情報に踊らされずに過ごせます。
いつも聞いてくださり、
ありがとうございます。
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