10月に入って、先輩がお二人亡くなりました。
葬儀等、それぞれ家族葬との事でしたので、行きませんでしたが、
若い頃お世話になった方々でした。
お一人は、昨年ある方の初盆に線香を上げに行った時
その方のお宅で行き会った覚えがあります。
もうお一方は、しばらく会っていなかったと思うのですが、
やはり無常を感じずにはいられません。
そうしたところに、今朝は女性として初めて官房長官などを務めた、
森山真弓さんが、14日にお亡くなりになっていたとのニュースがありました。
享年93歳との事です。
森山さんは、栃木県選出の国会議員でした。
ご主人の運輸大臣を務めた森山欽司とご夫婦で国会議員をなさっていました。
森山欣司はご存知の方も少ないかも知れませんが、JR宇都宮駅に胸像があります。
2013年9月9日に、同居人と市ヶ谷駐屯地の無料見学ツアーに行った事があります。
市ヶ谷駐屯地は防衛省の敷地にあります。
ツアーのメインが、市ヶ谷記念館と名付けられた、旧陸軍士官学校の校舎でした。
現在の防衛省のA棟を建築する際に取り壊されましたが、
主要な部分だけ、古い部材を極力使って移築されて見学できるようになっていました。
1970年(昭和45年)11月25日に三島由紀夫が楯の会と共に、
東部方面総監を人質に取って、バルコニーから演説した建物で、
総監室には、副官らと小競り合いになった時に、付いた刀の疵が残っています。
刀疵の写真などを載せてありますので、宜しければご覧下さい。
http://tennnennkozimitearu.seesaa.net/article/a64342533.html
そして、この建物は、終戦後、極東国際軍事裁判が行われた場所として有名です。
色々な資料が展示されていましたが、
森山真弓さんの写真や彼女が撮った写真が展示されていて驚きました。
森山さんは極東国際軍事裁判の時に翻訳のアルバイトをなさっていたのでした。
当時の写真や彼女が撮影された軍事裁判の様子も展示されていました。
森山さんは写真が趣味で、日本カメラ財団の理事長を務めていました。
官房長官時代に、大相撲の表彰式に土俵に上がって、
内閣総理大臣杯を授与しようとして、
日本相撲協会に女人禁制だからと拒否されると、
女性差別問題であると問題提起を行い、
その後の女人禁制反対派の活動により、
各地で様々な伝統行事のあり方に議論を呼びかけることになりました。
彼女は、女性官僚の草分け的存在で、
労働省の婦人少年局長を最後に退官していますが、
局長時代には男女雇用機会均等法の草案に尽力したとの事ですので、
当然の事だったのかも知れません。
森山さんは、政界を引退後、小山市にある白鷗大学の学長を務めていました。
大学でのある行事の時に、お目に掛かった事があります。
そんな事もあって、思い出す事を書いてみました。
【今日の一句】
追い掛ける 彼女は必ず 逃げて行く
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