『承認欲求』
承認欲求、という言葉があります。
周囲の人から認められたい、とか、
賞賛されたい、と思う気持ちのことを表す、
心理学の言葉です。
単純にこれを、賞賛されたい欲求、
と理解してしまいがちですが、
別に賞賛されたくないとしても、
認められなくなることを回避したい、
という欲求も、含まれるのだそうです。
自分が立派でありたい、
と思う気持ちの裏側には、
自分が周囲から疎まれ、
認められなくなることを恐れる、
という思いがあります。
これがとても厄介なもので、
その恐れがあるために、
自分の正しさを認めてもらおうと、
必死な自己主張をしたがるのです。
そして、自分の正しさと、
それとは相いれない相手の正しさとが、
ぶつかり合って、喧嘩になります。
特に、一緒に生活している人など、
近しい人との関係の中で、
その様なことは、起きやすいのです。
喧嘩になる事は、
出来れば回避したい事です。
しかし、認められないという状態を、
回避したいという思いもあります。
どうすればいいのでしょうか。
承認欲求を捨てる、
という事は、おそらく不可能な事です。
しかし、仮に誰にも認められないとしても、
それでも大丈夫と思うことが出来たら、
不要な自己主張やこだわりを捨てて、
関わる人との間に、平和を作り出す、
ということが出来るのかもしれません。
そして、その事をきっと、
神様は実現させてくれると信じます。
この世界を創造された、
神様が自分を認めてくれるのなら、
神様との関係の中で、
自分の承認欲求は満たされます。
それがあるなら、
自分が周囲から見て立派である必要もなく、
自分の正しさを主張して、
周りの人とぶつかる必要もなくなります。
クリスチャンと聞くと、特に日本人は、
立派な人というイメージを持つようです。
しかし、クリスチャンの本質はむしろ、
立派でなくても、周囲の評価に囚われず、
潔く、馬鹿になれるところにあります。
いつも聞いて下さり、
ありがとうございます。
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