多くの方々が、亡くなり、被害を受けられた。いまも苦しんでおられる人、郷里に戻れない人もいる。安定した日が、過ごせるようになることを願うのみである。
東京に住む者としては、珍しい経験をした。霞ヶ関ビルの52階で、会議が予定されていた。新宿で途中下車し、ビックカメラに居たときに、地震に遭った。電車がとまり、南口ではTVの映像が流れ、人が場外にあふれていた(写真)。
座長だったので、霞ヶ関まで行くことにした。電話は通じない。2時間近くかけて歩き、到着。事務局の人達が、エレベーター前に居た。散会。ここの公衆電話で、家との連絡がついた。
様子がわからない。新橋の駅まで行く。すべての交通機関が止まっている。
78才。府中まで歩く元気はない。ビルの地階にフードコートと、椅子がある。ここで夜を明かすことにする。何十人か居た。
店は無人だが、居酒屋がTVを外から見えるようにしていたので、地震の様子、東京の状態も分かった。
新橋方面に食を探しに行く。歩いて居る人が多い。所々のビルに、“トイレは使えます”の張り紙があった。営業しているラーメン屋があり、助かった。
朝、TVの情報で地下鉄が動き始めるとの事を知り、しばらく待って始発に乗った。新宿で京王線を待つ。これも始発に乗れ、無事に府中に着いた。
バスが走り、喫茶店が開いている。日常生活が変らないことに違和感があった。
朝食をとって、10時過ぎに帰宅。我が家の被害は、時計が落ちただけだった。
品物がない、停電ありの非日常的生活が始まった。
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