『真実とは』
今確実に真実だと言える事なんて、
どこにもないのだ、と言われれば、
その通りかもしれません。
昔から信じられていたことが、
歴史の中で覆されるという事があります。
15世紀くらいまでは、
地球の周りを宇宙が回っていると、
みんな信じていたのです。
鎌倉幕府の成立が、1192年と、
学校で教えられましたが、
それも最近覆されたそうです。
日本では戦争が終わると、
教えていたことが嘘だったと、
授業の中で、
生徒に教科書を墨で塗りつぶさせる、
なんていうこともなされました。
今信じているものは、もしかしたら、
どこかで覆されるかもしれません。
なので、一つ言えるのは、
これこそ絶対正しいと思い込んでいる事を、
誰かに押し付けることや、
意見を対立させて喧嘩する、
という事は、
とても無駄で、不幸せを生むことです。
自分の考えがあり、
相手の考えもあるのだから、
どちらが正しいかという事をはっきりさせるより、
お互いの立ち位置を認め合う事の方が大切です。
違う意見を聞いたら、
そういう意見もひとつあるのだと、
受け止めればいい話です。
ところで、日本では、
その不幸せを生む代表格として、
「宗教」が挙げられるかもしれません。
宗教が何らかの「正しさ」を豪語していて、
熱心な宗教信者は、
凝り固まった「正しさ」を振りかざし、
他の考えを否定し、裁きまくるから、
嫌だし、気持ち悪いと思われるのです。
そんな妄信的な思考停止状態に陥りたくないから、
どの宗教も信じたくない、
という人がいるのかもしれません。
聖書の内容を信じて、
この世界を創られた神様の存在とその愛を信じる、
という事で、
私が妄信的になっているという印象を持つ人も、
もしかしたらいるかもしれません。
そう思ってくださればいいと思います。
しかし、あくまでも私自身の雑感ですが、
聖書を信じて盲目的になったというより、
むしろ視野が広がったように感じています。
絶対的な唯一の神様を信じて、
他の正しさを受け入れないというよりは、
神様を信じることによって、
地図のようなものが見えているのです。
人生に一枚のはっきりした地図が与えられ、
地図に従って行き先を確認することや、
同じ地図を持つ仲間と、ベストな行き先を確認し合う、
という事をやっている、というのが、
聖書信仰に立つ今の自分の姿だと思います。
宝探しをするために、
地図があればとても有利に進められます。
そして、聖書という人生の地図が与えられ、
たくさんの宝を、今までいただきました。
聖書を真実と裏付ける根拠となる情報も、
たくさんありますが、
それを全部並べても、
すべての人が聖書を真実と、
納得することはできないでしょう。
しかし、神様を信じ、救い主を信じて、
その結果として、自分が人間らしく生きられて、
たくさん幸いを得ていると思うので、
聖書はやはり、真実だなと思います。
ぜひ最寄りのキリスト教会へご連絡下さい。
きっと良い出会いがあります。
ログインしてコメントを確認・投稿する