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2020年02月23日14:31

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東風吹かば 思い起こせよ

東風吹かば
 匂をこせよ
  梅花
 主なしとて
  春を忘るな


上の短歌はもう言わずと知れた
「菅原道真」の作品ですな。

京都ではかなりの実権のあった
道真だったけど、
当時の天皇に対する謀反の企てありとする
藤原氏ら拝金主義な貴族たちの陰謀により、
九州大宰府に左遷されてしまう。
藤原氏は、道真が、
朝廷への権力集中を画策していることに
不安を抱き、財政が天皇に集中したのでは、
自分たちのしたいことができなくなる。
これで、道真の緊縮財政が、
現実化しようものなら、
贅沢な暮らしができなくなるかも!?
と思っちゃったんですな。
今の政治家を見てるようだけど(^^;
で、道真が京から九州に行くときに詠んだのが、
上の短歌ですな。
大宰府に行くことになったのは、
謀反罪による左遷だったわけですな。

本来、謀反を企てれば、死刑なんだけど、
藤原氏もそれを期待してたんだけど、
そのときの天皇が、
実は道真をものすごくと買ってた人で、
死なせるには惜しいと思ったんですね。
ただ、真相はともかくも罪は罪、
他の家臣たちの手前もあって、
お咎め無しとはできずに
流刑にしたようです。
よしんば、復帰のチャンスを
残した形ですね。
でも、それは適わず、道真は死んでしまった。
毒を盛られて暗殺されたという説もあります。
京に帰ってきてもらっては
困ると思っている人物は
大勢いたようですからね。
そんなもんだから余計に
「祟り」が怖いわけで。

私がこの短歌を知ったのは、
さだまさしの「飛梅」という歌が
きっかけなんだけどさ。
しかもその歌の歌詞そのものではなく、
レコードについてる
ライナーノートでの歌の紹介文だという。
しかも、そこでは
「東風吹かば 思い起こせよ
 梅の花 主無しとて 春な忘れそ」
になってたし。

「飛梅」もまあ、有名だよね。
道真が臨終の間際、
京にある自分が愛した梅の花を
見たいと言ったら、
その梅の種が一夜で大宰府に飛び、
そこに梅の花を咲かせたという伝説ですな。

菅原道真は、
今でこそ学問の神とかいわれて、
祭られてたりするけど、
その昔は、祟り神として恐れられ、
大宰府に今の天満宮があるのは、
その怒りを和らげるためだってんだから、
おっかない。
全国にある「天神」ってのは、
大災害が有るたびに、
それが道真の祟りだと思った人たちによって
立てられた、祟り封じだったんだけどね。
道真の死後20年前後という期間で
関係者がその年齢にかかわらず
次々死んだのでは、身に覚えのある人たちが、
びびるのも無理は無い。

ってか、出雲の大社だって、
大国主命の呪いを封印するための装置だし、
他にも、そういった意味で
作られた杜はおおいんです。
昔の人は、「祟り」を
本当に信じてたからね。
それが、今はほとんど忘れられて、
ありがたがっちゃってるけど。
神社によくある鳥居だって、
あれは、神社の中にいる神体が、
外を出歩かなくするために
封印の役目なんだから。

また、大宰府天満宮は、
「縁切り」でも有名で、
さだまさしの「飛梅」でも
そのことが扱われてるのさ。
家族と切り離され、
一人僻地で孤独死したから、
嫉妬深いってことらしい。

生前は歌の大好きな、
誠実でまじめな男だったらしいので、
藤原氏のやったことは、腹はたったろうし、
恨んでもいたろうけど、
そうゆうことに無駄な労力を
使おうと思う人では
なかったんじゃないかと、
ちょっと思った。
だから、恨んで祟るってのは、
無い人だと思える。
じっさい合ったことはないので、
知らんけど〜。

ちなみに、菅原道真って、
「すがわらの みちざね」
って一般的には読まれてるけど、
本当の読み方がそれであってるかどうかは、
わからないらしくて、
「みちまさ」とか「どうしん」
の可能性もあるとされてるらしい。
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