mixiユーザー(id:429476)

2019年01月10日17:23

372 view

八雲の子〜昭和元禄落語心中に思う〜

“昭和元禄落語心中”のドラマが、予想以上に良かったです。そりゃ、樋口先生が出てこないとか、最後の地獄八景亡者戯みたいな八雲のあの世巡りがなかったとか(せめて、あの世の寄席で八雲が落語をするシーンだけでも入れて欲しかった)、不満はあるケドさ、でも、10話という限られた話数の中で、頑張って作ってくれたと思うの。
八雲が亡くなった後も、松田さんが生きていたのに吃驚したケド(笑)。ドラマの最後の松田さん100歳近いよね?原作だと、松田さんは、八雲と共にあの世に行く。松田さんは、あの世で三途の川の渡し人になって、ちゃんと八雲をあの世送るんだよ。運転手だった松田さんらしいなぁ。

で、小夏の子供の信之助。ヤクザの親分の子?というエピが挟まるも、最後に「本当はね…」という話が振られる。ドラマでは、生々しくなるからか、あまりハッキリ示唆はされなかった。原作&アニメだと「おそらく八雲の子よね。」という示唆がもうちょっとハッキリ出て来る。
これ、凄い業を八雲に背負わせたな、雲田はるこ!って今でも思う。

八雲…菊比古はさ、凄く大事に助六の忘れ形見の小夏を育てたんだと思うんだ。基本不器用な奴だから、そう見えないし、世話してたのは松田さんだろうケド、それでも菊比古なりに一生懸命育てたんだと思うんだ。その大事な娘を抱かなきゃいけない。辛いよぉ、これ。しかも、小夏は助六とみよ吉の子だよ?ようは、みよ吉と助六一緒に抱くようなものだよ?辛いよぉ、これ(泣)。
菊さんて、結果、本当に愛せていたのは、落語と助六だけなんだろうな…と思うんだ。それでも、みよ吉は大事だったし、小夏も大事だったのに。

菊さんの心中を考えると、もう、「これ、酷いよ!雲田さん、何か芸人に恨みでも?」とすら思う(苦笑)。
でも、雲田さんが描きたかったのは、そういう人間のドロドロ部分も含めた芸人の業なんだろうな…と。
助六の血を絶やせなかった小夏と八雲の共同戦線でもあっただろうしね。これも2人の業だ。

だからこそ、原作でもアニメでもドラマでも、八雲が亡くなる前のシーンで泣くのである。小夏「見捨てないで育ててくれて有難う。」八雲「あいよ。」小夏「弟子にして下さい。」八雲「そんな恰好で言う奴がありますか。」小夏「いいのね?」八雲「はい。」
ここでやっと、もう、やっと八雲と小夏は本当の親子になれたんだなぁ…と。思い出して、又泣きそうですが。その後、八雲はきっとすぐ亡くなるのだろうけど、小夏との確執もなくなった、与太郎という弟子も出来たし、信之助という孫も出来た。八雲は幸せ絶頂で亡くなったのだから、これはハッピーエンドよね。あの世では、みよ吉と助六が迎えに来て、ドラマではなかったケド地獄八景亡者戯みたいな楽しいあの世巡りも出来たしね。

そして、物語の最後、与太郎が助六になって、八雲を襲名するところでも泣く。「ああ、やっと、ここで一つの業が昇華したんだ。」と。七代目八雲と助六の確執。菊比古(八代目八雲)と助六の情と確執。それを総て昇華して、与太郎は助六になり九代目八雲になるんだな…と。

ところで、前述に小夏を抱くってコトは、助六とみよ吉も一緒に抱くようなものだと書いたが、この展開を描ける辺り、ああ、やっぱり雲田さんはBL作家だなぁ〜と思った。八雲の助六から小夏への変換の仕方も上手い。
BL作家は、一般作品を描いても上手い人が多いです。これ、私の持論なんだケド、以前、米粒写経のサンキュー兄さんも似たようなコトを言ってた記憶がある。

蛇足だが。この物語をもっともっと耽美にすると、おそらく、赤江瀑の耽美小説になる。赤江氏の作品も、例えば、歌舞伎だったり、能や人形浄瑠璃だったり、バレエだったり、陶芸だったり書だったり…そういう作品(芸術と言い換えても良いかな)の魔に囚われ、彼岸に堕ちて行く人達の物語だけれど(八雲は結果、彼岸には堕ちないケドね。ストッパーになったのは小夏だ)、それに、もっと濃厚に男色的風味をプラスすると、赤江瀑氏の作品になる。

抗おうにも抗えないモノたちの魔。

落語心中を観ていたら、久々に赤江瀑の小説が読みたくなってしまった。
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2019年01月>
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031