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2018年12月20日19:30

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七十八日目の日記。

『エレメンタリー』が来シーズンを以って終了、という残念な報せが入る。うう、現在放送中のシーズン6も短縮された処を別のドラマが俳優の不祥事の為に打ち切りになったが為にスケジュール延長される、というゴタゴタに不安ばかりであったが止むを得ないか。『エレメンタリー』は不思議な作品だ。「シャーロック・ホームズが現代に生きていたら」という最近よくあるアレなのだが、イギリスでは無く舞台はマンハッタン、しかもワトスン博士が女性!という改変が為されていたので、最初の印象は最悪だった。ホームズを映像化した作品は枚挙に暇が無いが、どれもこれも「なんか違う」。で、決定版と言われるグラナダ版ホームズを観て、その理由は判明する。他作品は「ワトスンが間抜け」なのだ。ホームズを完璧な格好良い(乃至はエキセントリックな)名探偵に描く為にワトスンを必要以上に三枚目にしたり引き立て役にしたりする。それは悪手でしかない。作者コナン・ドイルは云う。「ワトスンはホームズにとっての砥石」と。これはワトスンがいるが為にホームズの切れ味は一層高まる、という意味であるが、グラナダ版ホームズで主演を務めたジェレミー・ブレットは更に「ホームズにとってワトスンは杖」という積りで演じた、というのである。現に、作中のワトスンは非常に有能で義に厚い紳士である(故に、このワトスンに長門裕之を吹き替えに当て、若干の三枚目感を与えたNHKには百年の呪いあれ)。この「ワトスンを疎かにしない」姿勢こそが「決定版」と評価される所以の一つであろう(グラナダ版は全てか素晴らしいので、「それだけ」とは到底云えない)。他作品のワトスンはワトスン博士というよりはサンチョ・パンサと言った具合である。こうした「ワトスンを間抜けに描く」だけで聖典から遠ざかるのに、ワトスンが女性化!ホームズと恋仲にでもなりますか、悪人に攫われる役ですか、などと非常に不愉快だった事を覚えている。それでも矢張り観ずに批判は出来ないので、1stシーズンから観始めたのであるが。まず、最初の感想は「ドラマとして面白いけど、ホームズじゃねぇよ、これ」であった。様々な改変が気になったし(ホームズに父親がいる!)ジョーン・ワトスンも引っ掛かって仕方なかったのであるが。中盤からホームズの父親の依頼で脱麻薬のセラピーを担当する医者(の資格は持つが事情によりリタイア)として登場するジョーンは自らの意思で「探偵となる」事を選択する。ここから物語は一気にムードが変わるのだ。基本的なホームズ物語のシフトは「ホームズ=探偵、ワトスン=助手」であるが、ここで「両者共に探偵」というバディ物となるのである。ここで安易な道を行くと「無能な探偵気取りの推理を一蹴する名探偵」のような定型に堕するが(代表はナディア・モガールと矢吹駆か)、ジョーンはきちんと有能であり、ホームズの守備範囲を越える医学的知識も用い、時にホームズを上回る推理を見せる。ここに「両者が互いを認め合う」関係が映像化されたホームズ物語として初めて提示されたのだ(評判の互いカンバーバッチ版もこれが全く駄目)。ホームズはきちんと「欠落」を抱え(麻薬への依存の復活への恐れ)ワトスンに矢張りきちんと「依存」する。ここもグラナダ版以外では観た事が無い。つまり、『エレメンタリー』は聖典の要素で「聖典らしさを形作るもの」をしっかり保持しつつ、「対等の探偵」としてホームズとワトスンを同等の能力を持つ「相棒」として描く事で、ある意味で聖典すら超えて見せたのだ。これがどれほどの離れ業かは、聖典の素晴らしさを知れば知る程凄い事だと分かる。この有能な物語の終わりを故に惜しむのであるが、間違ってもホームズとワトスンがくっ付く、と行った安易な結末は用意すまい。それがどのようなものになるか、楽しみにしたい。
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