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2018年12月19日19:30

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七十七日目の日記。

七十七日目である。人の噂すら消えてしまったが未だこの日記は続いている。因業な事である。仕事中に『才媛とジェラシー』なるタイトルが頭の中にベッタリとへばり付いてしまった為、何かそれっぽいお話でもでっち上げようかと捻くり回していたが、思うような成果はなかった。つうか駄洒落でタイトルはよろしく無い。しかし、どうも気になってならないので暫く頭の中に放ったらかして置く事にする。寝かせてみたらいつの間にか形になってた、なんて事もよくあるものである。恐らく物語の形にならないのは「才媛」の為である。自分が頭が悪いので、中々才媛なる生き物がどのような生態なのか、が想像出来ない。想像出来ないものに、「嫉妬」が対置出来る道理は無いのである。ならば「菜園」とかにすればいいかな、と思うが今度は打って変わって牧歌的だ。余り嫉妬の這入る余地は無い。だからこそ物語的に有効だ、とも云えるかも知れないが、矢張り「才媛」の語感が良いらしい。最近余り使わない(個人的には)言葉だし。才媛ならば嫉妬を買うくらいお手の物だろう、という奇妙な偏見がある。恐らくは自分が嫉妬ばかりしている菲才の身の上であるからであろう。悲しいお話である。妬心程実生活に於いて益の無いものも無い。妬心の命ずる儘にライバルのトゥシューズにトリカブトの毒を塗りたくった錆びた画鋲を百程も入れてみた処で、自分の脚がより高く美しく上がる訳では無いのだ。寧ろそんな物を仕込んでいる間に練習の一つもしろ、という話しである。だが、自分が練習の時間を一分一秒延ばした処で、才能と環境の差は埋められる事は無いのだ。いや、足搔くが如く練習を積み重ねた結果として更にその差を思い知らされる事となる。どの道彼女とは歩いて来た人生も、この後歩く事になる道も違うのだ。いや、此方が惨めに這いずる間に軽やかに飛んで行ってしまうのが、あの手の生き物なのだ。そのような惨めさを味わうくらいなら、彼女がトリカブトと金錆びの毒でのたうち回り、苦しむ姿を想像する方が余程幸福を味わえる。どうせ、その次のプリマにもまた別の人が選ばれる。そうしたら、また毒を仕込めば良いだけ。全員が毒に苦しめば、残る自分にその順番が遂に回ってくる。そして誰一人居ない暗闇の舞台で満足に上がらぬ脚を誰に羞じる事もなく自分は踊れるだろう。それが自分の所業が露見しての、繋がれた獄舎でも構わない。恐らく自分は幸せだろう。此の儘、自分には無い才や輝きを見せ付けられるくらいならば。そう考える自分が余りにも哀しく憐れでちっぽけで、手にしたトリカブトの毒をたっぷりと塗りたくった画鋲で、ゆっくりと左手の小指の先を刺した。
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