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2018年04月30日11:06

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西郷南洲遺訓



私は西郷さんの大ファンです。
内村鑑三が日本の文化・思想を西欧社会に紹介するために、「代表的日本人」を英語で書いた本で、次の5人の日本人を紹介しいていますが、中でもトップにくるのが西郷隆盛です。
1.西郷隆盛
2.上杉鷹山
3.二宮尊徳
4.中江藤樹
5.日蓮上人

内村鑑三は、
「維新は西郷の維新だった。もちろん木戸、大久保、三條、岩倉もいたが、西郷がいなければ維新の成功はなかった」と述べています。

「板垣死すとも自由は死せず」で有名な板垣退助はよく言われたそうです。
「維新の三傑といって、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝充の三人を並べていうが、なかなかどうしてそんなものではない。西郷と木戸、大久保の間には、零がいくつあるかわからぬ。西郷その次に〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇と、いくつ零があるか知れないので、木戸や大久保とは、まるで算盤のケタが違う、といったものじゃ」。

大森曹玄「山岡鉄舟」(春秋社)でも、政治的才能とか、知識とかいう点ではいざ知らず、人物ということになれば板垣伯のいわれたように、西郷〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇大久保、木戸ということになるのではないかと思う、と書いてありました。

そうした西郷さんの人となりを知るための参考書が「西郷南洲翁遺訓」だと思います。

「西郷南洲翁遺訓」は、薩摩人の手によってではなく、旧庄内藩の藩士達によって刊行されたものです。なぜ南洲翁遺訓集が庄内(現在、山形県鶴岡)から出版されたのでしょうか。  

明治維新前夜、戊辰戦争のきっかけを作ったのは、庄内藩による薩摩屋敷の焼き打ちでした。薩摩藩・庄内藩、お互いにとって憎き仇敵同士・・・。

以下、北康利「西郷隆盛・命もいらず 名もいらず」を参考にまとめます。

官軍により奥羽列藩同盟平定と続きましたが、最後まで抵抗したのが庄内藩でした。鳥羽・伏見の戦いのきっかけとなった三田の薩摩藩邸焼き討を行った藩だけに、降伏した後の処分が厳しくなるのは明らか、それだけに負けられなかったのでした。

しかし、周りの諸藩が次々に降参、会津藩も降伏したとあって、9月25日、恭順を決めました。降伏式の場は悲壮な雰囲気でした。藩主も重臣も白装束に身を包み、切腹する覚悟です。

ところが西郷の態度はまるで慈父のように穏やかである。
「切腹して詫びるなどはとんでもない!」
そう言って押しとどめ、降伏の証しとして武器一切の目録が手渡されると、
「貴藩は北国の雄藩、ロシアなどに備えて北方の守りをしてもらわなければいけもはん。これらの武器はそのままお持ちいただければよか」と言って返してしまった。

あまりの寛大さに、藩主、重臣、家臣一同、みな感涙にむせんだという。

それだけに、その場にいた長州の前原一誠も、
「西郷先生という方は、どれくらい大きいか底が知れん」と感嘆した。
城明け渡しにあたっては、
「敵となり味方となるのは運命である。一旦帰順した以上、兄弟も同じと心得よ」
と官軍の面々に伝えて丸腰で入城させ、逆に庄内藩士には帯刀を許した。

・・・・以上。

庄内藩は、負けました。普通、勝利した官軍によって武装解除されるのです。ところが、西郷さんは代理の使者に、逆に官軍から刀を召し上げ、庄内藩に丸腰で入って行かせたのです。敗者への配慮、敬意でもありました。勝った側から刀を取り上げ、負けた方の帯刀を許したのですから、庄内藩の人々は驚くのは当然だと思います。

こうした西郷さんの温情や度量の大きさ、人柄の素晴らしさを慕った庄内藩の若い武士たちが、鹿児島まで教えを請いにやって来ることになったのです。

再び、北康利「西郷隆盛・命もいらず 名もいらず」によります。

庄内藩主・酒井忠篤の謹慎が明治2年に解けると、彼は藩士76名を連れて薩摩に西郷を訊ねてきた。そして100余日の長きにわたって滞在し、親しくその教えを受けている。以降、旧庄内藩の藩士たちは、代わる代わる鹿児島に行っては西郷に会い、鹿児島の兵たちとともに兵学を研修するようになる。

庄内藩の重臣に管実秀(すげさねひで)は、「西郷南洲翁は高い徳を備えた大賢人だ。権謀術数をもって高みに上がった人物とはわけが違う」と感服し、西郷の教えを一冊の本にまとめました。

ところが、西南戦争が始まり出版の機会を失ったが、月日は流れて明治22年2月11日の憲法発布の日、西郷の賊名が解かれたのを機に、ようやくこれを『西郷南洲翁遺訓』として世に出すことができた。この本のお蔭で、今のわれわれも西郷の人柄やその思想について詳しく知ることができるのです。


「敬天愛人」。西郷隆盛さんが座右の銘としていた言葉です。私は西郷さんの大ファンです。
とてつもない器量の大きさ、身を処する潔癖さ、何にもましてその徹底した無私の心、威張らない、腰が低い等々、純情、純粋、普通の人間を超えた大きさ・・・・私にとっての西郷さんは、人間としてあるべき究極の姿を示してくれているようです。

そのため、「西郷南洲遺訓」は今の私に欠かせない必須の書になっています。



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