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2018年04月29日11:35

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ハリル前監督の怒りが止まらない3つの理由

 下記は、2018.4.29 付の ダイヤモンド・オンライン に寄稿した、藤江直人 氏の記事です。

                       記

 ワールドカップ・ロシア大会の開幕まで2ヵ月あまりに迫った段階で、日本代表監督を電撃的に解任されたヴァイッド・ハリルホジッチ氏(65)が4月27日、東京・千代田区の日本記者クラブで記者会見に臨んだ。契約を解除された代表監督が反論を含めた思いの丈を訴えるのは、日本サッカー界でも初めてのケース。予定されていた1時間を大幅に超える、主観が散りばめられた独演会から伝わってきたのは、ハリルホジッチ氏を異例の行動に駆り立てた3つの理由と、西野朗新監督が率いる日本代表及び選手たちへ今もなお抱く深い愛情だった。(ノンフィクションライター 藤江直人)

予定を超えた90分間の記者会見は、ハリル前監督のまさに“独演会”

 フラッシュの洪水を浴び、332人を数えたメディアの視線を集めながら、ヴァイッド・ハリルホジッチ氏は開始予定時刻の午後4時よりも5分早く記者会見場に入ってきた。

 フランス語の女性通訳2人に挟まれる形で就いたひな壇で、用意されていた書類に目を通すために黒縁の眼鏡をかける。そして、コップの水を口に含んで喉を湿らせてから、静かに第一声を切り出した。

 「皆さん、こんにちは。まずは今日お越しいただき、ありがとうございます」

 東京・千代田区の日本記者クラブで27日に行われた、前日本代表監督による緊急記者会見。パリ市内のホテルで、現地時間4月7日夜に日本サッカー協会(JFA)の田嶋幸三会長から突然の解任を告げられた。そして、21日に来日した羽田空港では「真実を探しに来ました」と偽らざる思いを吐露し、嗚咽を漏らした通訳につられるように目を潤ませた。

 メディアを介して、胸中に募らせてきた思いの丈をファンやサポーターへ届けるために設けられた舞台。解任への経緯や就任以来の仕事を振り返る冒頭の説明は途中から独演会と化し、司会進行役の男性から2度に渡って「巻き」が入る中で、予定していた30分間を約20分も超えた。

 日本記者クラブ側もぎりぎりまで時間を延ばしたが、続けて入った質疑応答は4問で打ち切らざるを得なかった。自ら拍手を要求し、日本語で「心よりありがとうございました」と感謝しながら会場を去った時には、終了予定時刻の午後5時を30分以上も過ぎていた。

 時折声のトーンが上がることはあったものの、幾度となく見せてきた激情家の一面が顔をのぞかせることはなかった。それでも90分間を超えた、肩書きが前日本代表監督になってから初めて臨んだ記者会見から伝わってきたのは、65歳のハリルホジッチ氏を日本サッカー史上に残る異例の行動に駆り立てた3つの理由だった。

【ハリル氏、怒りの理由(1)】「選手とのコミュニケーション不足はなかった」

 最初の理由は、開幕まで2ヵ月あまりと迫った段階で、電撃的な解任劇への引き金を引いたとされるものだ。パリにおけるハリルホジッチ氏との話し合いの席で、そして帰国後の9日午後に東京・文京区のJFAハウスで開いた緊急記者会見で、3月下旬のベルギー遠征中のチーム内に生じた好ましくない変化について、田嶋会長はこう言及していた。

 「選手たちとのコミュニケーションや、信頼関係の部分が多少薄れてきた」

 しかし、当のハリルホジッチ氏には心当たりがない。取り乱して5分ほどで席を立ったと、パリでのやり取りを振り返った前日本代表監督は、約3週間の間に整理した思いを「(就任した)3年前から私は誰とも、特に選手たちとは何の問題もなかった」と真っ向からの反論に凝縮させた。

 「どの選手と問題があるのか、と聞くと『全般的に』ということだった。皆さんが証人になってくれると思うが、この3年間、人前で誰か一人の選手を批判したことは一度としてなかった。いつも私が言っていたのは『悪いのは私』であり『選手を批判するならハリルを批判してくれ』だった。実際にピッチで選手たちに何か言いたい時には、面と向かうようにしていた。ストレートな私の物言いに、慣れていない選手がいたかもしれない。しかし、私にしてみれば選手たち、日本代表チームへの思い入れはとても強かった」

 2015年3月の就任以来、選手たちに歯に衣着せぬ直言の数々を浴びせ、場合によっては衝突することを厭わない、高圧的かつエキセントリックな姿勢を貫いてきた。不慮の故障を防ぐために体脂肪率を12%以下に留めよと厳命するなど、ピッチを離れた部分でも厳しい目を光らせ続けた。

 監督もプロフェッショナルならば、選手たちもプロフェッショナル。一切の妥協が入り込まない関係が、チームの強化と進化につながっていくと信じて疑わなかった。実際、当初は戸惑った選手たちも、時間の経過とともに「愛のムチ」を感じるようになった。

 例えばDF槙野智章(浦和レッズ)は、怪我した時を除いて常に招集されてきた指揮官との日々で褒められたことがほとんどない。最初の個人面談で20項目ほどから成る「ダメ出し」を突きつけられ、その後も好ましくないプレー映像が収められたDVDを定期的に受け取ってきた。

 ハリルホジッチ氏の厳しい檄に食らいついてきた結果が、30歳を迎えた昨シーズンに見せた急成長の跡であり、2017年10月の国際親善試合からはセンターバックの一角を占めるに至った。感謝の思いを抱く一人だからこそ、解任から一夜明けた4月10日に、自身のインスタグラムへこう投稿している。

<ハリルホジッチ監督 彼からは、たくさんの事を学びました。たくさん話しました。たくさん怒られました。たくさん褒められました。たくさん笑いました。たくさんムカつきました。でも、彼のおかげでたくさん成長出来ました。今の僕がいるのは紛れもなく、日本代表として、ハリルJAPANとして、あなたからのご指導があったからです。心から感謝しています。Merciexclamation ×2ヴァイードexclamation ×2>(原文のまま)

 槙野の投稿の概要を記者会見の席上で紹介したハリルホジッチ氏は、意外な選手の訪問を受けたことも明かした。再来日してからの間に、所用で都内にいたサンフレッチェ広島のDF丹羽大輝が「ありがとう」と伝えに来てくれたという。

 丹羽がハリルジャパンの一員としてピッチに立ったのは、国内組だけで臨んだ2015年8月の東アジアカップの中国代表戦と、同年10月のイラン代表との国際親善試合の2度だけ。それでも、ハリルホジッチ氏が関係者から疎んじられようとも、フランス語で「決闘」を意味する『デュエル』を介して、日本サッカー界に欠けていた、1対1の攻防に臨む強い意思を伝えてくれたことに感謝したかったのだろう。

【ハリル氏、怒りの理由(2)】「サッカー協会は、前もって誰も何も教えてくれなかった」

 2つ目の理由が、JFA内で感じてきた孤立感だった。田嶋会長はハリルホジッチ氏の解任を発表した会見の席で、「技術委員会がコミュニケーションの修復を試みた」と言及している。これに対しても「誰も質問してくれないので」と会見の席で自ら切り出しながら真っ向から異を唱え、田嶋会長及び代表チームをサポートする技術委員会のトップから自身の後任に就いた西野朗監督の名前を挙げて反論した。

 「誰も私のオフィスに来て話をしていない。私は(技術委員会の)存在すら知らなかったし、後から加わった西野さんはあまり多くを語らない人で、確かにコミュニケーションは非常に少なかったかもしれない。本当に何か問題があったとしたら、会長が事前に『どうするんだ、ハリル』と言ってくれればよかった。西野さんも私に警笛を鳴らすなり、インフォメーションをくれればよかった。(JFAは)私を解雇する権利を持っているから、会長の判断は問題ない。私がすごくショックを受けているのは、前もって誰も何も教えてくれなかったことだ」

 西野氏が一度だけ、現在進行形で生じている問題を伝えかけてきたことがある。3月のベルギー遠征の初戦で、マリ代表と1‐1で引き分けた翌日の現地時間24日未明。パリへ足を運び、ロシア大会のグループリーグ初戦で対戦するコロンビア代表がフランス代表に逆転勝ちした国際親善試合を視察し、リエージュ市内のホテルに戻ってきた時だったという。

 「一人の選手があまりいい状態ではない。ちょっと注意したほうがいいかもしれない」

 これは推測の域を出ないが、一人の選手とはベルギー遠征で約半年ぶりに日本代表へ復帰し、マリ戦の後半途中から投入されていた、ロシア大会の代表選考において当落線上にいたFW本田圭佑(パチューカ)だと思われる。ハリルホジッチ氏は「分かっている。それは後で解決できる」とその場を収めたが、2週間後に「青天の霹靂だった」と言わしめる展開が待っていた。

 「残念ながらその後にいろいろなことが起こった。(田嶋)会長がたくさんの選手やコーチに連絡を取ったが、私にも(3人の外国人)コーチにも説明がなかった」

 技術委員会及び西野委員長にも知られることなく水面下で動いた田嶋会長は、ハリルホジッチ氏との契約を解除することを自身の専権事項として決断。本来ならばチーム内が混乱に陥った責任を負うべき西野委員長に後任監督のオファーを出した上で、極秘でフランスへ飛んで通告を行った。

 八百長疑惑の渦中にいたハビエル・アギーレ監督が解任され、日本サッカー界が大混乱に陥っていた2015年3月に、ハリルホジッチ氏はJFAからのオファーを受諾している。この時に後ろ盾になり、強い信頼関係を築いてきた原博実専務理事と霜田正浩技術委員長は、今現在はJFAにはいない。

 史上初となる会長選を僅差で制し、田嶋氏が第14会長に就任した2016年3月。対立候補だった原専務理事は実質的に二階級降格の理事となる新たな人事案を示され、最終的にはJFAを離れて下部団体のJリーグ副理事長に就任した。

 同時に技術委員会のトップにも、柏レイソルやガンバ大阪の監督として、J1歴代最多の270勝を誇る西野氏が就任。霜田氏にはナショナルチームダイレクターの肩書こそついたものの、一介の技術委員へ実質的な降格となり、2016年11月のJFA辞職後は指導者へ転身。今シーズンからはJ2のレノファ山口の監督を務め、チームを上位戦線につけている。

 会見におけるハリルホジッチ氏の言葉が真実だとするならば、コミュニケーションや信頼感を欠いていたのは指揮官と選手たちではなく、ハリルホジッチ氏とJFAの上層部だったことになる。

【ハリル氏、怒りの理由(3)】「得意分野である“最後の詰め”の仕事ができなくなった」

 最後となる3つ目の理由が、周到に準備を進めてきたロシア大会用のプランが、実行に移されることなく幻と化したことだ。質疑応答の中で、ハリルホジッチ氏はこんな言葉を残している。

 「私の得意分野である、最後の詰めの仕事をさせてもらえなかった。(アルジェリア代表を率いた)ワールドカップ・ブラジル大会でも、私はかなりいい監督だったと自負している。ワールドカップの出場権を得られたこの日本でも、いい仕事をしたと思っている。ここからだという時に、仕事の続きができなくなったことに深く傷ついている」

 4年前のブラジル大会で、アルジェリアは4度目の出場にして初めてグループリーグを突破。決勝トーナメント1回戦で敗退したものの、優勝したドイツ代表と延長線にもつれ込む大熱戦を演じている。グループリーグで対戦したベルギー、韓国、ロシア代表の戦法や弱点を微に入り細をうがって分析し、それぞれにプランを用意して臨んだハリルホジッチ監督の存在を抜きに、アルジェリアの健闘は語れない。

 ドイツ戦を含めた4試合で、ハリルホジッチ監督は20人のフィールドプレーヤーのうち19人をピッチへ送り出した。すべての試合で異なる先発メンバーフォーメーションを用意した、カメレオンのように変化する対戦相手ありきの戦い方こそが「稀代の策士」と呼ばれたゆえんであり、その手腕は日本代表でも発揮された。

 例えばロシア大会出場をかけたアジア最終予選。ホームで苦杯をなめさせられたUAE(アラブ首長国連邦)代表に敵地で快勝し、雪辱を果たした一戦で眩い輝きを攻守両面で放ったのは、約2年ぶりに招集したベテランのMF今野泰幸(ガンバ大阪)だった。

 そして、6大会連続6度目となるワールドカップ切符を獲得した、昨年8月31日のオーストラリア代表戦。本田の代わりに先発として抜擢されたFW浅野拓磨(シュツットガルト)が先制点を、相手のパスワークを分断する役割を担ったMF井手口陽介(当時ガンバ大阪、現クルトゥラル・レオネサ)がダメ押し弾をゲット。ワールドカップ予選で未勝利だった難敵を、完封勝利で退けた。

 「前回大会で日本がコロンビアに負けた一戦を、2月以降で10回は見た」

 こう語るハリルホジッチ氏は、もちろん最新の情報や映像もコロンビアだけでなく、グループリーグの第2戦以降で対戦するセネガル、ポーランド代表も含めて入手していたはずだ。そして、チームが集まれる5月21日以降の合宿で十分に対策を落とし込める、という自信のもとで、出場権獲得以降の国際Aマッチをテストの場にあててきた。

 「私の頭の中では、すべてワールドカップへ向けた調整だと思っていた。特に中盤とフォワードについて、競争原理を取り入れながらいい解決策がないかを探していたので、試合結果のことはあまり頭になかった。サッカーという意味では、今年のベルギー遠征はそれほどいいものではなかったかもしれない。しかし、いろいろなデータを引き出すことができた」

 ベルギー遠征はDF吉田麻也(サウサンプトン)、DF酒井宏樹(オリンピック・マルセイユ)、そしてMF香川真司(ボルシア・ドルトムント)とけが人が続出したこともあり、さらにテスト色が強まった。槙野のゴールで一時は同点としながら、後半の失点で敗れたウクライナ代表戦を引き合いに出しながら、ハリルホジッチ氏はこう語ってもいる。

 「ウクライナに負けた、という結果を突きつけられたのならまだ(解任が)理解できる」

独演会から伝わってきたのは、失望感だけでなく、日本への大きな愛

 事実だけでなく随所に主観が散りばめられた独演会は、客観的に見れば言い訳にも聞こえる部分が少なくなかった。JFAの見解との間に生じている齟齬も、すでに西野監督体制で走り出している以上は、この先において解消されることはないだろう。

 「真実を探しに来たと言ったものの、残念ながらまだ見つかっていない。ただ、私は日本の永遠のサポーターだ。私について、いろいろなことを好きなだけ言ってもらって構わないが、私の真っすぐで正直な気持ちは心からのものであり、揺るぎないものだ」

 ロシア大会における日本の勝利を願う言葉を残した前監督から伝わってきたのは、解任に至った過程に対して抱く、失望感にも通じるやるせない思い。そして、文化も歴史も習慣も異なる異国の地で、日本代表の強化に奔走してきた日々の中でどんどん膨らませてきた深く、大きな愛だった。

 https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e3%83%8f%e3%83%aa%e3%83%ab%e5%89%8d%e7%9b%a3%e7%9d%a3%e3%81%ae%e6%80%92%e3%82%8a%e3%81%8c%e6%ad%a2%e3%81%be%e3%82%89%e3%81%aa%e3%81%843%e3%81%a4%e3%81%ae%e7%90%86%e7%94%b1/ar-AAwtpD4#page=2
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