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2018年02月18日10:44

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西郷隆盛「敬天愛人」



以下、神渡良平「西郷隆盛人間学」(致知出版)を要約します。

南州翁遺訓より。
【原文】
道は天地自然の道なる故、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修する克己をもって終始せよ。己に勝つ極功は「意なし、必なし、固なし、我なし」と云えり。総じて克つの極功は、「意なく、必なく、固なく、我ない」(論語)と云えり。総じて人は己に克つを以てなり、自らを愛するを以て敗(やぶ)るるぞ。

【現代語訳】
道というものは天地自然のものであって、人はこれにのっとって生きているものであるから、天を敬うことを目的とすべきである。天は人も自分も平等に愛しているから、自分を愛する心をもって人を愛することが肝要である。

西郷は同じ遺訓の別のところで、同じ趣旨のことをこう述べている。
道は天地自然の物にして、人はこれを行うものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給うゆえ、我を愛する心をもって人を愛するなり。


西郷はこの二つの遺訓を共に、「道は天地自然の道なるゆえ」「道は天地自然の物にして」という言葉からはじめている。

このことから、西郷は人間の生の以前に宇宙の法則、あるいは天の理というものが存在していることを謙虚に認めている。そして生を充実させるためには、天の理を踏み行うことだとしている。

しかもその天は、人も自分も同様に愛しているから、地上にある自分も、自分を愛するように人をも愛さなければならないと考えた。


西郷の思想の背景には「中庸」が説く「誠は天の道なり。これを誠にするには人の道なり」があると思う。

実は、私(神渡良平氏)が脳梗塞で倒れ、右半身が麻痺し、呻吟しているとき、私の人生に転機をもたらしたのはこの言葉だった。私はこの言葉をこう解釈した。おそらく西郷もそうだったに違いない。

「静かに天地を見渡すと、心眼に日月の運行、四時の移ろい、人間の実情など、大自然の本質が見えてくる。それは嘘偽りのない誠であることがしみじみと感じられた。
宇宙森羅万象一切の根源である天の本質は誠なのである。

しかしながら無形なる存在である天が描かれる理想はこれまた無形で、目でも見えなければ、手で触れることもできない。理想は理想として手付かずのまま存在していた。

そこに人間が誕生した。

何を期待されてか。目でも見えなければ、手で触れることもできない理想を、目でも見ることができ、手でも触れることができる具体的理想に作り上げることを期待されてである。
それがこの3次元の世界に人間が遣(つか)わされた理由である。天はそのために、各人に70年、80年という時間を与えたのだ。

そう思い至ったとき、私から迷いは消え、自分に課せられた課題の実現に邁進するようになった。文筆を通して、人々のお役に立とうと思った」。

・・・・ 略 ・・・・

引用した遺訓の後半にある「克己」について述べよう。
西郷は天に相対できる自分になるためには、「己に克つ」ことが緊要だという。私欲に打ち克って自我を没し、節度を守って、宇宙と一体となることだと説く。

人生には他人との闘いというものは存在しない。あるのはただ自分の弱さとの闘いのみである。そのことが骨身にしみるほどに分かってくると、愚痴を言わなくなる。他人のせいにせず、刻苦勉励して、夢を成就し、それによって恩返しする。克己というのはそれほどに重たいことなのだ。

人生は闘いである。しかし、それは他者との闘いではなく、自己の内なる無明との闘いであり、無明をつき破って、至誠を実現するための闘いである。

・・・・ 略 ・・・・

そしてそのことを一番自覚し、己の人生と新生日本で実現しようと闘ったのが西郷だったといえる。
(以上)




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