皆様、おはようございます。
昨日掲載した 神戸製鋼の強度改ざん事件について(1)の追記に、何故、貫いたのか、慈愛心と正義感のスタンスで取り組んだことを記述しました。
その後の経緯の不思議な話しを致します。
技術部を首にさせたビル建材事業部の取締役本部長、技術部取締役本部長がその後、どうなったのかを話します。
特許部時代、多くの弁理士(事務所)にお世話になっていたました。
その中で、赤坂見附駅より、赤坂駅に近い、「コルトンブルー」のお店の数十メーター先に弁理士事務所を長年構えていた先生と四半世紀余りお世話になりました。
「コルドンブルー」は、大きなキャバレー「ミカド」に続いて、超有名な小さめの超高級キャバレーです。
ある時、雑談で、その先生から私の過去の職歴を聞かれた時に、技術部時代の首にされた話をしたのです。
その先生曰く、ひどい目に遭ったな〜!!と。
先生曰く、実は日本軽金属の今の社長は私と親戚関係にあり、叔父さんに当たると言うのです。
先生の親父さんが長男で、日軽金の社長は次男に当たると言うのでした。
そんなひどい理不尽なことをするトップは会社を止めて貰わなければ、会社はイメージが悪化し、信用・信頼がなくなり、会社はいずれ潰れてしまう。
今度、お正月に社長のところに新年挨拶に行くので、君のことを話してあげると言ってくださったのです。
六か月後、人事部情報で、ビル建材事業部と技術部の2人の本部長は、日軽金退社になっていたのですよ。
技術部本部長は、藤倉電線に再就職し、東西線の木場駅で再会したことがありましたね。
苦笑いしていましたよ!!
数年後、死亡され、葬式に出席した際、奥様に合うことが出来ました。
旦那は家庭(家族)を顧みず、仕事重視の仕事人間で、おお我儘だったと話してくれました。
一方の本部長も退社されて数年後、他界され、葬式に出席した時、奥様から、前記の本部長と同様の感じであったことを伺うことが出来ました。
おお我儘が原因で、人生の悲劇・不幸が生じることも検証できたのです。
サラリーマン人生、38年間で、私が理不尽なパワハラ(パワー・ハラスメント)を受けた先輩・上司達、私が還暦定年退職する前に、全員他界したことも私の同僚から聞きました。
要するに、慈愛心・正義感を仕事に対して貫き、最後は敗者で終わらなったことが不思議でなりません。
多くの理不尽なパワハラを受けても、その時、上司の立場で、夫々の意見・指摘・バッシングしなければならない状況だったことを察すると、葬式に出て、心の中でお詫び申し上げました。
どっちもどっちなのかもしれませんが。
でも、善意な気持ちで、いつも慈愛心と正義感を持って立ち向かう精神(スタンス)は肝心要であることを学びました。
慈愛心と正義感はイエス様のスタンスを表しており、慈悲心はお釈迦様のスタンスを表しているのです。
修行を果たして坊さんにもならず、クレド(使徒信条、主の祈り)を信じ受けてクリスチャンにならずも、常時、イエス様やお釈迦様のスタンスを貫いて生活できる有り難さに気づけば、歓喜の人生を謳歌できると想ったのです。
感謝
追記:
坊さんになっても、クリスチャンになっても、誹謗中傷を言っている人が多過ぎます。
慈悲心、慈愛心、正義感を何時も抱いて、真の信仰生活している人は少ないのです。
坊さんになったこと、クリスチャンになったことは、宗教を卒業したことにはなりません。
利己中を捨て、毎日毎日が利他中に生まれ変われたのかの反省とリセットの繰り返しの日々です。
何時も、お釈迦様(慈悲心)とイエス様(慈愛心、正義感)のスタンス(姿勢、生き方、生かされ方)で、自分自身のライフスタイル(生活様式、生活習慣)に活用し、快適な生活、歓喜の人生が謳歌できるか否かにかかっているのです。
クレド(使徒信条、主の祈り)について、今までの神学上での解釈は、自然法則(特許法第2条規定)に合致していません。
基督教神秘主義をマスターすると、全て、合致するのです。
今までの聖書解釈で、合致しない点は、「想定外」として、「奇跡」になっているのです。
神秘主義をマスターすると「奇跡」の聖句箇所は、「奇跡」でないことが認識できるのです。
まあ、理系人の思考法で、高校生時代から「なぞ」だったことが実践・研鑽を重ねるごとに判明してきて、嬉しいですね!!
神秘主義をマスターすると、
自然=神仏、
慈悲=慈愛、
真心と邪心の葛藤劇、
お釈迦様=イエス様=真心、
お釈迦様の10人弟子=イエス様の12人弟子=邪心
自然法則=神仏法則=人間法則(人間が求める究極の法則)
を表現していることに気づけるのです。
従って、坊さんになった人、クリスチャンになった人、その他信仰している信者さん達に、今までの固定観念を超えて、聖書の奥義の神秘主義をマスターされることを薦めてきたわけです。
世界中の人間一人ひとりが宗教の意味を共通に理解出来合えば、世の中は健全化の方向へ向かい、真の平和・平安が訪れると想っているのです。
如何に共通認識できるか否かにかかっているのです。
現状では、全く共通認識出来ていないので、坊さんになっても、クリスチャンになっても、お互いに我儘(わがまま)を言って、他の宗教・宗派を邪教・邪宗と言っているようでは、聖職者として、信者として、如何なものでしょうかね。と私が長年開催してきた様々なセミナーで、伝授してきた次第なのです。
感謝
参考:
神戸製鋼の強度改ざん事件について(1)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1963189775&owner_id=19347649
ログインしてコメントを確認・投稿する