馬料水からフェリーに乗って、香港の最東端、東平洲に降り立ったまっきーであるが、この日唯一の日本人であるかといえばそんなこともなく、馬料水碼頭で船に乗る前にすでに日本語が聞こえていたのであった。おっさんの4人組(まあ、まっきーもおっさんなのだが)で、観光客ぽくはない。多分、駐在さんであろう。
駐在さんといっても桂三枝師匠ではない!
ん〜ちょっと難しいかな。昔、花の駐在さんって番組があって・・・三枝(現 文枝師匠)が駐在さんの役を・・・
えっ、知らない?やっぱしね・・・
じゃあ、さんまの駐在さんなら知ってるでしょ?
それも、知らないって?
もういいや。聞かなかったことにしてくれ・・・
駐在さんグループは大きな袋に入った大量の食品を持っていた。きっと、宴会をするのであろう。
■案内図を写真に撮っておこう。
島を一周するハイキングルートがあるようだ。
日本人駐在グループは右に行ったので、まっきーは左に行く。
■平洲と書かれた石碑。
なにげない写真であるが、この写真を撮るのが大変であった。
船内でまっきーの横で延々と記念撮影大会をしていた、普通話をしゃべる某人民共和国のみなさんが、
ここでも大記念撮影大会だ・涙
もうねえ、15分以上はここで写真を撮り続けてる。待っている人間がいてるということがわからないんだろうか?
空気を読めない人民がやっとさっていった。よし、写真を撮ろうとしたら、横からおばちゃんが・・・
その時、
「おいおい、ちょっと待て。そっちの兄ちゃんが先だろう。」
「おー ソーリー。」
なんと、廣東話をおしゃべりになるみなさまが、先にまっきーに写真を撮るように言ってくれたのであった。
「んごいさい!!」
それじゃあ、お先に撮らさせていただきます。
パシャリ
「んごいさい バイバイ。」
「バイバイ。」
廣東話をおしゃべりになるみなさまは、普通話をしゃべる某人民と比べて民度が格段に違うのである。
ちなみに石碑は「平洲」となっているが、「東平洲」は元々は「平洲(ping4zau1)」と呼ばれた。ただそれだと「坪洲(ping4zau1)」と間違われるので「東平洲」に名前を変えたそうだ。
先を急ごう。これ以上、記念撮影大会につきあうのはいやなので、ボケ人民のグループを追い抜く。
■道はこんな感じ。
海岸に降りれる場所があったので降りてみた。
■海岸には棚状になった岩石が広がる。
東平洲の海岸はこのような岩石が多く、砂浜になっているところは少ない。
そして対岸に見えるのは中国大陸である。
また道に戻って進んでいくと、かっての集落であろう。廃屋がたくさんあった。
■廃屋。
19世紀初めには、この島には2,000人の人が住んでいたそうだ。
さらに進むと、香港ではおなじみの、
■天后宮があった。
天后宮は航海・漁業の神、媽祖を祀っている。
■カラフルな狛犬。香港では石獅子だったっけ?
天后宮から、海岸にでることができる。
■こういった岩石海岸が続く。
この先はルートをよく考えて進まないと、岩をよじ登ったり、飛び降りたりしないといけなくなる。
島の東端に来ると大きな岩が見えてきた。
■更樓石という岩だ。
■こういう風にできたよって書かれている。
長年の風雨や波の浸食作用によりできたようだ。
高さが7mあり、登るのは禁止されていた。でも、登っているやつがいたけど。
ここからハイキングコースに戻るのがわからなくて右往左往したけど、正解は更樓石から山手に上がるであった。
道はまだまだ続く。
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