これは、朝日新聞の以下の記事に掲載された植松容疑者の写真とほぼ同じものである。
朝日新聞デジタル:「暴力団に追われる」思い込み実行か 相模原殺傷容疑者
http://www.asahi.com/articles/ASK2R5WRXK2RULOB01P.html
大きく見開いた眼、笑みを浮かべた口。なぜこの記事を書いた古田寛也記者は、他の犯罪容疑者のように卒業写真やスナップ写真を使わず、護送車に乗せられたこのインパクトある写真を使ったのか。それは記事を読めばわかる。
(以下引用)
「優生思想」といわれる考え方は一般的には理解しがたいうえ、「暴力団に殺される前に」という理由で事件の決行日を早めるなど、行動や思考には思い込みの激しさがうかがえ、不可解な面も少なくない。
(引用終わり)
つまり、古田記者はこう言いたいのだ。優生思想に凝り固まって大量殺人を行うような人間は、常人ではない、狂っているのだ、と。
しかしそれは誤りだ。大量殺人はともかく、優生思想自体はちっとも理解しがたくない。優れたモノを残し劣ったモノを排除したくなることのどこが、理解しがたいというのだろう。優生思想を「理解しがたい」とする古田記者の見識の方が、私には理解しがたい。
優生思想は決して狂気ではない。常人や凡人ですら理解できる。だからこそ、危険なのだ。
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