学生の頃、男の先輩たちが夏休みに南アルプスを縦走した話を聞いた。それは夢のようで、私には無縁の世界だと思っていた。
大学を卒業して、先輩に誘われて白峰三山を広河原〜北岳〜間ノ岳〜農鳥岳〜奈良田と縦走した。
その時は、それが始まりになるなんて思いもしなかった。
その後、何度か南アルプスに行ったが、そのたびに甲斐駒や鳳凰三山などから光岳まで縦走するという人に会った。
南アルプスを鳳凰三山、甲斐駒から光岳まで繋げたい。それがこの数年の夢になった。
体力のある人なら一度で繋げられるだろうが、私には無理。
1〜4泊で少しずつ繋いでいた。
そして、昨年仙塩尾根と甲斐駒を歩いて、残るのは聖平と光岳の間だけになった。
この数日静岡の週間予報を毎日何度もチェックした。天気図も見た。
17日になって、静岡の曇りマークが晴れと曇りマークに変わった。
18日に家を出て、19日から22日で縦走することに決めた。
18日に浜松のSAで東海地方の梅雨明けを知った。だが、油断ならない。今までも梅雨明け直後の南アルプスで何度も雨に降られているからだ。多少の雨は覚悟して向かった。
7月19日
井川の集落の「アルプスの里」で車中泊して、19日の早朝に沼平に行った。
3泊のテント泊の荷物は水1.5リットルを入れて16キロだった。
最初の関門は畑薙大吊橋。私は子供の頃平均台が苦手だった。高所恐怖症だ。
無事渡れるだろうか?
幸い風もなく、下の川は水量がとても少なく恐怖は感じなかった。「1,2,3・・・」と数えながら小幅で渡った。
370歩、5分で180mの橋を渡った。
この吊り橋さえ渡れば何とかなるだろう。
滑りやすいトラバースの道もちょっと怖かったが問題なく通れた。
短い吊り橋がいくつか出てきた。大吊橋に比べたらどうってことない短さだが、けっこう揺れて緊張した。
ウソッコ沢小屋に着いた。
この小屋は1年中無人の避難小屋だが、7時過ぎだと言うのに中で寝ている人がいたのでびっくりした。
横窪沢小屋に着くと、窓から管理人の方が冷たいお茶を出して下さったので驚いた。
通りすがりの登山者にもこのサービスだ。いつか泊まってみたいなと思った。
横窪沢小屋からはきつくなると書いてあったが、急な登りが得意な私にはあまりきつく感じられなかった。
茶臼小屋まであと10分くらいになった。
こういう標識があると元気になる。
12時過ぎに茶臼小屋に着いた。テント泊の料金を払ってビールを買う。
賞味期限切れの500mlの缶ビールは500円、新しい350mlのビールも500円。迷わず500mlのビールを買った。
空には雲が広がっているが、時折青空も見えた。
茶臼岳までは45分くらいらしいが、明日の朝の晴れを期待して登らないことにした。
夕方になると、隣のテントの男性が戻ってきた。光岳まで往復してきたそうだ。11時間かかったと言った。
話をすると、なんと和歌山県橋本市から来た人だった。お互いアルプスで和歌山の人に会って驚いた。
お酒好きのそのHさんと、自炊小屋でいろいろ山の話をした。大峰によく行くそうで、地図にはないいろいろなコース、場所を知っている人だった。
今度案内してくださいねとお願いする。
外に出ると雲の間から富士山が見えた。
明日はお天気良くなるだろうか。
7時過ぎにシュラフに入った。
7月20日
いつものことながらあまり眠れなかった。
時計を見ると、2時半だ。起きよう。
テントを撤収して3時半に出発だ。
稜線に出ると、東の空が明るくなっていた。
4時12分に茶臼岳山頂に着く。
日の出まで40分近くある。
オレンジの空をバックに雲海に浮かぶ富士山が美しい。
南アルプスの重鎮たちはまだ眠りについていた。
光岳の上には満月に近い月が輝いている。
光岳を日帰りで往復するという男性は日の出を待たずに光岳に向かった。
少し離れたところにテント泊の若いカップルがいた。
やがて雲の上から朝日が輝き始めた。
ご来光だ。
この瞬間はいつも神々しい。
そばに誰もいなかったので、セルフで写真を撮った。
こんな素晴らしいお天気で眺望抜群なのに静かな茶臼岳山頂だった。
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