mixiユーザー(id:5089039)

2016年06月15日18:00

314 view

「魂との対話」1

ゲーリー・ズーカフ「魂との対話」の前半を要約した文章がネットにありました。
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/daiyogen49.html

進 化

●真に進化した人間は愛にあふれている  

私たちが学校で学んだ進化は、物理的形態の進化である。(中略)

魚は海綿より複雑であり、それゆえに海綿より進化している。馬は蛇よりも複雑であり、それゆえに蛇よりも進化している。猿は馬よりも複雑であり、それゆえに馬よりも進化している。そして最終的に、人間はこの地球上でいちばん複雑であり、それゆえにこの地球上でいちばん進化している。これが学校で習う進化の定義である。(中略)

私たちはこれまで、長年にわたり、この進化の定義が不完全であることを知ってきた。ただし、その理由は理解しないままにである。たとえば、2人の人間を比較したとき、彼らはどちらも組織的複雑性の点では同等に進化している。しかし、もし1人は心が狭く、意地悪で、身勝手な人間であり、もう片方は心が広く、他人思いであったとしたら、私たちは後者のほうが進化した人間であると自然に考える。(中略)

私たちの内なる理解は、「真に進化した人間とは、自分よりも他人のことを考え、物理的な世界のなかにある物理的なものよりも、愛を重んじる人間である」と語っている。(中略)

●外側のパワーを求める意識が暴力と破壊を生んだ 
この物理的世界は極上の学習環境である。それは、私たちが進化のために必要なことを学ぶための学校であり、そのなかで私たちは、さまざまな実験を通じて、何が私たちを大きくし、何が小さくするのか、何が私たちを成長させ、何が衰退させるのか、何が私たちの魂を養い、何が消耗させるのか、何が私たちに機能し、何が機能しないのか、といったことなどを学ぶことになる。

物理的世界が五感のみで認識されているとき、そのなかにおけるもっとも強力な動機は恐れである。そのとき私たちの目には、自分の環境とそこに住むほかの人たちを支配するパワーが、不可欠なもののように見えてくる。

環境およびそのなかに住む人々を支配するためのパワーは、私たちがふれたり、嗅いだり、味わったり、聞いたり、見たりできるものに対するパワーである。(中略)
 
このパワーは、ほかの誰かから、あるいはどこかから入手できるものだと考えられている。誰かが外側のパワーを入手すると、別の誰かがその分のパワーを失うことになる。パワーを外側のものとして眺めたことの結果が、暴力や破壊である。

お金はまさしく、外側のパワーのシンボルである。お金をいちばんたくさんもっている人たちが、彼らの環境と、そこに住むほかの人たちを支配する能力をいちばんもっており、お金をいちばんもたない人たちは、環境とそこにすむ人たちを支配する能力をいちばん少ししかもっていない。損な構図ができあがっている。お金は獲得され、失われ、盗まれ、相続され、頻繁に争いごとを引き起こす。

教育、社会的地位、名声、そしてさまざまな所有物。もし私たちがこれらから安心感を得ているとしたら、あるいはこれらを失うことを恐れているとしたら、これらもまた外側のパワーのシンボルである。私たちが失うことを恐れているものはみな、たとえそれが家であろうと車であろうと、魅力的な肉体、あるいは頭のよさや信念であろうと、外側のパワーのシンボルである。

●私たちはこのようにして進化してきた
パワーが外側のものとして眺められているとき、私たちの社会的、経済的、政治的階層構造、さらにはこの宇宙のさまざまな階層構造は、さながら、それぞれの構造内で誰がパワーをもち、誰がパワーをもたないかを私たちに一目で教えてくれる図解のチャートのようである。そこでは、「いちばん上の層にいる者たちはいちばん力をもち、それゆえにいちばん価値があり、いちばん攻撃されにくい。逆に、いちばん下の層にいる者たちはいちばん力がなく、それゆえにいちばん価値がなく、いちばん攻撃されやすい」という構図ができあがっている。

私たちはこれまで何世紀にもわたって、個人的にも集団的にも野蛮な行為をくり返してきたが、その事実は、「パワーを外側のものだとする認識の下に横たわる恐れは、外側のパワーをいくら蓄積しようと、癒すことなど不可能である」ことの動かぬ証拠である。

私たちはこれまで、このようにして進化してきた。そしていま、そのような進化から離れようとしている。



3 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する