真剣に赤ちゃんを望んで、それでも授かれない。
そういった人たちは支援したいと思える。
しかし、小野文恵アナの言い分は違うだろう。
■ 自分で考えた結果
彼女はこう言った。
>20歳くらいの時に高齢出産のニュースを見て
>『50歳くらいまでに産めばいいのかな』と思っているうちに手遅れになりました。
誰でも高齢出産が可能で、問題なく一般的であればニュースになどならない。
当たり前のこと だからだ。
ニュースになるという事は、高齢出産が一般的ではなく、かつ成功が珍しいからだ。
そのニュースを見て、かつ出産について学ぶ(学べる機会)も多々あったであろうに勝手に「50歳くらまでに産めば…」と早計な判断をして40代になったのであれば、
それは 『自分で考えて』 『自分で決めた事』 だ。
後悔したのであれば、「私みたいに軽率に考えないでね」 と言うべきだ。
■ 他のお母さん方に失礼
>20代30代の、今、もうちょっと仕事頑張らないとっていう時期、
>産めるような社会でもなかったですよね?
では、その時代の出産率は著しく低下してたのか?そんな事はありませんよね?
彼女は大学卒業後すぐに入局してますので、22〜23歳頃に就職してることになります。
「もうちょっとがんばらないと」というのは、彼女の仕事の都合であって、「産めるような社会」か「産めないような社会」かは関係ありません。
その時代にきちんと産み育てた方は、大変であってもやり遂げている訳です。
そういった方々に失礼とは思わないのだろうか。
少なくとも、身体の問題で苦労している方と彼女では、状況が全く異なる。
■ 捨て石とは?
「捨て石」という言葉の響きは酷く悪い印象を抱かせる。
簡単にそう言い切れるだけの状況だろうか。
前述したように、小野文恵アナと、実際に不妊治療が必要な人とでは状況が違う。
【不妊で悩む人の多く】
⇒ 身体的な問題で出産が難しい。まさしく不妊問題。
【小野文恵アナ】
⇒ 自分で仕事を優先し、自分で判断して出産を遅らせたので不妊ではない。
【捨て石発言したディレクター】
⇒ 気が付いたらタイミングをとっくに過ぎていたのは自身の人生における選択。
不妊ではない。
ちなみに、結婚が遅く出産が高齢の人も、単に高齢出産のリスクを伴うだけで、不妊とは違う。
「捨て石」発言したディレクターも、小野アナも、自分で選択した結果であり不妊ではないのに、当事者のように振る舞うのは如何なものか。ましてや涙まで流して自己陶酔する様は滑稽極まりない。
■ 何でも差別ですか。
>男社会で一生懸命頑張って、産みたくても産めない状況にあった人たちが
>今悩んでいることを指摘
その前にも「女性の社会進出と共に晩婚・晩産が増える一方…」など、やたらと“男女差別”的な発言をしているが、男社会で頑張るには産みたくても産めないのか?
何度も言うが、小野アナもディレクターも、「男社会」だとか「女性の社会進出」だとか、そんなものに関係なく、自分で仕事を優先しただけであって、こじつけ以外の何物でもない。(発言したのは別の人だが)
■ 結論
>家庭か仕事の二者択一しかない日本社会への痛烈な皮肉
だから、小野アナもディレクターも「仕事」を選んだだけ。
仕事と家庭を両立できる人の方が断然多いし、不妊とは全く別問題。
見当違いの討論では意味がないし、高齢出産と不妊と仕事などの関係などは一緒にしてはいけない。互いに関連が無いかと言われれば、全くないとは言い切れないが、基本的に関連しない。
とりあえず、小野アナには論点をずらしていたずらにかき乱さないで貰いたいものだ。
■子どもを作れなかった我々は「良い捨て石になろう」 小野文惠アナの発言にスタジオ絶句
(キャリコネ - 02月16日 16:40)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=210&from=diary&id=3854435
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