mixiユーザー(id:1100694)

2016年01月05日17:43

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太平洋の不思議な文化共通性。

これは、東アジアの列島の山伏の姿ではない。
遠く太平洋を挟んだ新大陸、南米アンデスのものだ。


次は制作過程。


そもそも、西暦1500年代に起きた『大航海時代』、この時の文化交流の激しさは現代の想像をはるかに超えていたようで、食文化を支えている食材の多くは、この時代を境に大きく変化する。
トウガラシやトウモロコシ、ジャガイモ等が有名どころ…そう、フライドポテトもマッシュポテトも、大航海以前には西洋に存在し無かったと考えるべきところ也。
半島列島におけるトウガラシ文化も無かったと考えた方が無難という訳。

では、習俗音楽の部類はどうだろう?
一応、最初に目を付けたのが『ささら獅子舞(一人立ち三人・三匹・三頭獅子舞)』。
しかしながら、この獅子舞の起源は伎楽の可能性が高い。
この獅子舞と南米ボリビアのディアブラダを比較するのが目的で以前、南米を旅行した。

南米旅行で知った事は、

一、日本人移民として記録に残る最初の一団は西暦1800年代にハワイ移 民が政治的理由で急きょ、突然南米渡航移民となったこと。

一、ディアブラダはキリスト教的見地が根付き始めて頃に存在していたこと。

一、インカ帝国支配時代、民族対立が存在していて、一部は強制移民を強いられ、現在のペルーから現在のボリビアに移動していたこと。(西洋文明の侵攻を手助けした民族もあるそうだ。)

一、プレインカ文明はナスカを始め、海洋文化を継承していたこと。

などで、どう見ても東アジアの列島との接点は見えてこない。
しかしながら、南米のホラ貝「プトゥトゥ」は相当古くから存在していて、ティワナク、そう、プレインカ時代まで遡れそうな物なのだ。
最も興味を引いたことは「プトゥトゥ」が巻き貝をモチーフにした土器でも制作されていたこと。
つまり、信じられないくらい昔に…コンティキ号の様な太平洋横断航路が存在した可能性があるってこと。
実はこの考え方、ミイラで実証できる可能性が存在する。
南米ンミイラのお腹に寄生虫の痕跡が小数見つかっているらしい。
どうもこの寄生虫が南米には存在しない、東アジア産らしい。
通常言われているモンゴロイドのグレートジャーニーだけだと説明がつかないらしいのだ。
ちなみに、イースター島…ここの先住文化では居住空間に入るには、履物を脱ぐ習慣があるとのこと。
東アジアの列島風習と酷似するわけだ。
と、すると偉い大きな括りで文化風習の伝承が行われている事になる。

空想の域を出る事はできないが、その昔、海面が現在よりかなり低い位置に存在した時代があったと考えられることが東京湾にもある。
東京湾の底には、河川の流れた跡があるそうだ。
なので、現在より島伝いに航海ができたんじゃないかと…。
…海面上昇原因も気になるけど…列島が太平洋側に沈んでいるとの考えもあるので、ここまで。

イースター島と云えば、ほぼ、2コードの構成でできている歌が多い。
エスニック系4・7抜き音よりも音数の少ない音楽が太平洋と環太平洋には存在する可能性も見えてくる。
東アジア列島縄文土笛と似た物が、南米ボリビアのチパヤ族にも残っていた(現在は不明)。
音数が少なくても音楽になる…これ、どうやら倍音を聞き取る能力に起因するらしい。

さて、そうすると気になるのが太平洋のへそ辺り、ハワイ。
お土産の貝の笛(ラッパ)を見ても…。
ここの現住フラはボートの上で舞われるのが本当だという話を聞いたことがある。
伝承は女性中心…ウチナァ(沖縄)のユタ文化に通じるのかもしれない。…ちなみに、巫女系文化は現在の韓国済州島にも存在していたとのこと、残念ながら1950年代に迫害を受けて、現在存在するかは不明。






意外な事に、女性(巫女系)文化は、いくつかの共通項を伴う。
山岳(火山)信仰、月信仰と、トランス祭事。

南米の強制移住を強いられた民族に「オルーロ(オルロー)」という人々が居る。
詳細不明だけど、月の女神『ママ・キリャ』の信仰がメインらしく、聖母マリア信仰の流布に一つの基盤を呈したらしい。
チチカカ湖水上生活民(現在は観光のために他の民族が文化を継承とのこと。)やボリビアの少数民族にもママ・キリャは受け継がれているとのこと。
…たしか?ティワナクも月の門が有名。
とりあえず、また機会を見て出かけて行きたいなぁ。
そうそう、『月』の信仰に関しては古代メソポタミアでも盛んだったらしいし…行けるかなぁ?


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