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2015年10月11日09:39

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言志録17「造花の跡」


【現代語訳】
心静かにして天地万物の創造化育の跡をみると、皆少しの無理もなく、しいて事をかまえたようところが全くない。

【原文】
静かに造化の跡を観るに、皆其の事無き所に行なわる。(言志録17)

【解説1】
我々も、万事、自然に任せて、無理をしないのが宜しいということであろう。筆者は相馬御風の歌を思い出す。
「大空を、静かに、白き雲は行く、
    われも静かに 生くべかりけり」
・・・・以上、川上正光全訳「言志四録(1)」より。

【解説2】
老子は、これを「無為自然」と名づけ、その極意を「上善は水の如し。水は万物を利して争わず、衆人の悪(にく)む所に居る」と説いた。
上善とは老子のいう理想的な生き方のことで、すなわち水は丸い器に入れば丸くなり、四角い器に入れば四角になる。万物に恩恵を与えながらも、少しも気負ったところがなく、つねに低いところない位置する。
そのあり方は極めて柔軟で謙虚。一見、主体性がないように見えるが、急流ともなれば岩を押し流す強固な意志を置くに秘めている。
何もしないように見えながら万物をうるおし、おごることも高ぶることもなく、時に応じては水蒸気となり氷となり、その姿は臨機応変、自由自在である。
だいたい大言壮語する者にろくな奴はいないし、格好ばかり勇ましい者は自信のない証拠である。「無為にして化す」(何もしないで感化する)、これこそ最高の君子である。
・・・・以上、岬龍一郎「言志四録」より。

【解説3】
無理をすれば必ずその弊害が生じるということです。
過去の成功者や聖人君子と呼ばれる人たちは皆、万物は総べて自然の法則に則って運行しているということを信じています。
自分の眼の前に起った事象の中にある自然の法則を読み解き、その法則とけんかすることなく、法則に自分自身を合せていく。
人生を楽しむ要諦はここにありと言えそうです。
・・・・以上、一日一斎・『言志四録』を味わう(インターネット)より。
http://confucianism.blog.jp/archives/2015-02.html

【解説4】
間も成り行きに任せて、無理のない自然のままの姿で世に処す。
無理のない自然なやり方を用いる。
善が栄え悪が滅びる、というようなことは、自然にはない。栄えるものは栄え、滅びるものは滅びるだけである。自然には、善も悪もないからである。自然には法則があるが、倫理はない。*尾崎一雄『病床記』
・・・・以上、「今月の言志録」より。
http://park12.wakwak.com/~suwa1/Genshi4roku/Roku_index.htm


【参考】

■水の五訓■

 一、自ら活動して他を動かしむるは「水」なり。

 ※水は百年、千年流れて峡谷を刻み、千丈の滝をつくる。
  洪水、大雨は、文明の利器たる新幹線もストップさせ、
  家屋まで押し流す。水の力は、人の力をはるかに超える。

 二、常に己れの進路を求めてやまざるは「水」なり。

 ※水は必ず低きを選び、低きにつく。
  より低い己れの道を求めてやまない。
  限りない「謙虚さ」を示す。

 三、障害にあって、激しく
   その勢力を百倍しうるは「水」なり。

 ※流れる水を止め貯水し、一気に流し、
  発電し百倍千倍の力とした。
  富山で発電所を造る時、水が百倍の力の電力に
  化ける理の判らない住民たちの強い反対が
  あったと聞いたことがある。

 四、自ら潔く、他の汚濁を洗い、
   清濁併せ入る度量あるは「水」なり。

 ※清らかな水も、濁れる水もなんの文句も云わずに
  ただ流れるままの姿は、与えた恩は水に流し、
  受けた恩は石に刻むべしと説いているようだ。

 五、洋々として大海を満たし、発しては霧となす。
   雨雪を変じ霰と化す。
   凍っては玲瓏たる鏡となり、
   しかもその性を失わざるは「水」なり。

 ※さまざまな水の態様は、人生を達観せよと
  語っているようでもあり、無言にして
  人生の輪廻を説いているようでもある。
  その性を失いはしないが、
  「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」
  (『方丈記』)の如く、水は時の移ろいをも語る。
・・・・以上、『致知』2006年9月号より。


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