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2015年09月12日19:52

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TEAM NACS公演 『悪童』ROPPONGI EX THEATER 2015.09.05鑑賞。

つう事で、観て参りました。

ナックスさんとしては初となる、外部脚本外部演出により
五人は演者として専念、という事で「The TEAM NACS!」という
芝居にはならないんではないか、なんて事も事前には
考えていたのですが。

なるほど、「外から見た五人」に忠実な芝居でした。

アテ書きなんじゃないの?ってくらいそれぞれのキャラが
「らしく」て自然に入り込める。

今までの公演だと、「誰がどういう役か」を
まず理解していかないといけない、という
第一ステップがあった訳です(いや、生は『WARRIOR』しか
観ていないんで、偉そうな事は云えませんが)。

この手順がいらず、順に舞台上に登場してくる
ナックスさんたちが如何にも自然で、それ故に
物語にもスムーズに没入させてくれる(チャック(戸次)の
衝撃的で「無意味な」登場シーンまで含めて)。

後、これは個人的なファクタではありますが、
観れたのがA列12番、という「人生でこれ以上の良席はあるまい」
てな座席だったので、目の前に舞台以外の何もない、という
没入するには最高の環境だった事、密室劇(つうか室内劇か)だった
為、転換が無くてこれも没入には楽だった、という
点も大きかったかな、と。どうも、演劇って苦手なもんで。

スピード感のある演出、二転三転どころか、四転五転する
ストーリィ展開もつくづくと素晴らしかった。
二時間足らずの尺であるにも関わらず、五部構成くらいの
構造を持った物語は、素直にあれよあれよと観客は流されていくのみ。

これって、観る者としては至上の快楽なのだよねぇ。

無論、咀嚼して一生懸命付いて行く物語ってのも快楽があり、
終始馬鹿にしながら、貶し倒して観る物語にも、それ相応の快楽が
ある訳だが、矢張り単純に「うっわぁ、面白ぇ」と内心で
快哉を叫びながら観られる物語ってのは、早々数が無いだけに
堪えられない。

「廃墟と化した施設に序序に集まってくる五人の
男たち。彼らはどうやら昔馴染みらしい。」

このざっくりした舞台設定だけで、何通りの物語が
作られるだろうか?という点にも挑戦して、
見事に出した答えがこれ、という観もありました。

当初はチャックと呼ばれる男が「在りし日に実現しなかった
希望を皆で叶える」という物語が展開し。
それぞれ功なり名なり遂げて、いいおっさんになってしまった
男たちが、苦笑しながら学生時代を思い返して
「遊ぶふり」をするウチに段々マジで楽しくなり、
やがて「自身を恢復する」という如何にもな「癒し」の物語と
なるのか、と思いきや。

段々と話は「過去のイジメ」に収斂されていく。
そして、五人それぞれが「イジメ」の加担者であり、
それを知らしめ、転校してしまった六人目の男「とん平」を
誰が最終的に追いつめたのか、という「犯人探し」の
物語は行き詰まるサスペンス(ここで、やさぐれ絵描き設定の
エロっち(大泉)の名演炸裂)が進んでいく。
この辺りは『キサラギ』を連想させたし(似ているなぁと思ったら
脚本が同じ人だった、という(苦笑))、五人それぞれが
「自分が最終的にやってしまったのかも」と思う展開は
連城三紀彦『私という名の変奏曲』を思い出したりも。

段々と「当時の記憶」を再現していく中で、
その「当時の憎悪」に囚われて暴力性を顕現していく描写は
「連合赤軍」などの「環境の閉鎖による暴力」を思い起こさせて
くれて息苦しい緊張も物語に振りかける。
ここでの安田、大泉の「二種類の暴力性」の表現の
卓越さは見事の一言。同じように「エアー暴力」で
当時の暴力教師への復讐を藁人形(あれ、何だったんだろ)に
ぶつけるシーンの、安田の「悲しみ」と大泉の「狂気」の
表現は、舞台演劇ならではだろうし、その「ヤバさ」で
自分の観たい大泉、という欲求(映画とかドラマではいい人ばかり
なんだもんさ!)を満たしてくれた。時々ゾッとしたもんな。

更に物語りは「何故そこにこの五人が集められたのか」と
「誰が集めたのか」という物語の構造自体への言及に至り、
そしてそれぞれに「冴えない日常」を抱えた五人は、
在りし日の罪を背負い、それぞれの日常に帰還していく・・・

筈が。

更に更に物語はひっくり返され、
ここから「暴力的なまでのハッピーエンド」へと
舞台は突き進む。

エロっち(ここまで本当にどうしようもない記憶しか
持たないいい加減人間、という描写がここで効いてくる)が
の思い出して行く記憶が更にそれぞれの記憶をも喚起していき、
それまではネガティヴなピースだった筈のパズルの模様が
書き変わっていく。

「イジメられていたとん平はいなかった」という
結論に因って。

これ、実はもの凄く難しいお話だと思うのだ。

五人それぞれがやっていた事が実は「イジメ」ではなかった
(パシリ、金を出させる、「ゴミ屑」という綽名、積極的に
関わらない、という形の放置・・・)と段々と「思い出されて行く」
記憶によって補完されていっても、それは所謂処の「偽記憶」でしかない
のではないか?という疑惑と、集団でそれをやる事で「正常化バイアス」が
掛かって都合のいい組み合わせに記憶を「改竄」していく事は、
心理学においても常識と云ってもいい。

ただ、これは正当に「解決」されていく。

張った伏線はきちんと全て回収し、それらが「イジメ」ではなかった事は
物語上、完璧な形で達成される(それを完成するのがとん平自身の
証言、という隙の無さだ)。

故に、この物語は、完璧なまでに面白く、美しく(中盤での「犯人探し」の
シークエンスで「イジメ」の実例の一つだった「千本ノック」が
最後に西君(音尾)へのエールへと「変換」される手際の見事さと
云ったら!)隙も無駄もない。

だからこそ、「とは云えよう、そんな簡単なモンじゃねぇだろ、おいおい」
なんて思わされてしまうのは、自分がその時代にいじめられっ子だった
からであろう、と自身の「記憶」に振り回されてしまう辺りにも、
苦笑させられてしまった。そう云った「喚起能力」の点からも
この物語は優れている、と云えよう。

改めてタイトルを思い返す。

『悪童』。

このタイトルの素晴らしさは、既にそうした「観客の記憶」まで
すら織り込んで「それ以外にない」という形でそこにある、という
点であろう。

どれだけアラを探そうとしても、無いんだもんなぁ。

寧ろ、今まで観たナックスさん公演よりもタイト(楽屋落ち的な
ギャグがない、とか)でナックスさんであるかないか関係なく
素晴らしい芝居であった(他に観ないけどさ)。

素晴らし過ぎて打ちのめされる、なんて滅多に出来ない経験だからねぇ。
終演後に飲んだんだが、一生懸命にマイナス点を探そうとして
地団駄踏んだんだが、見つからなかったもんね。

つくづく、脱帽。


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