mixiユーザー(id:7846239)

2015年07月19日15:57

492 view

第579回札幌交響楽団定期演奏会

【プログラム】
1 シューマン: 交響曲第4番 ニ短調 Op.120
     〜〜〜休 憩〜〜〜
2 メンデルスゾーン: 交響曲第2番 変ロ長調 Op.52 「賛歌」

《アンコール》
J.S.バッハ: ブランデンブルク協奏曲第4番ト長調BWV1049より第1楽章

針生 美智子(S)
安藤 赴美子(S)
櫻田 亮(T)
札響合唱団
札幌交響楽団
マックス・ポンマー(指揮)

2015年7月11日(土),14:00〜,札幌コンサートホールKitara


札幌交響楽団の7月定期は,マックス・ポンマーの首席指揮者就任を記念する演奏会。新しいシェフが生まれ育った街ライプツィヒの1000年記念を祝うプログラムを取り上げるという趣向である。

札響の新しい首席指揮者となったマックス・ポンマーは,ヘルマン・アーベントロートとヘルベルト・フォン・カラヤンの下で学び,ライプツィヒ放送交響楽団首席指揮者などを歴任。ザルツブルク音楽祭やシュレスヴィッヒ・ホルシュタイン音楽祭などにも登場する。また,新日本フィルハーモニー交響楽団,読売交響楽団,大阪フィルハーモニー交響楽団などを指揮し,わが国でもなじみが深い。ポンマーが札響を振るのは,2013年11月以来ほぼ2年ぶりとなる。

地元紙に掲載されたポンマーへのインタビューによると,ライプツィヒは「確か3年前まで850年と言っていたのに,今年になって数え直したら千年ということになったんです」と面白いエピソードを披露している。今年は「記念演奏会も多く,『賛歌』は札響と同じ日にライプツィヒでも演奏される」とのこと。

そして,メンデルスゾーンの交響曲第2番「賛歌」について,「この曲は(活版印刷を発明した)グーテンベルクの生誕400年記念にメンデルスゾーンが依頼を受けて作曲しました。第2部の合唱の歌詞は聖書から引用されているのですが,暗闇にさまよいながらやがて光に照らされるという内容は,書物が行き渡らなかった時代から,活版印刷の登場で誰でも知識が得られるようになった喜びを描いたのだと思います」と述べている。

また,今から1年前に,ポンマーが札響の首席指揮者としての活動を始めるにあたって,メンデルスゾーンの交響曲「賛歌」を演目としたいとの札響からの申し出を快諾したと,定期演奏会のプログラムで述べている。さらに,ゲヴァントハウス管弦楽団のプログラム予告に,「演奏会シーズン最後にあたり,あのオープン・エア・コンサートが,皆さまをふたたびライプツィヒ・ローゼンタール公園へお誘いします。開催は7月10日と11日。リッカルド・シャイー指揮ゲヴァントハウス管弦楽団が,『ライプツィヒ1000年祭』を祝い,大編成で,フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディの交響カンタータ『賛歌』を演奏いたします」と書かれていたことを紹介している。

シューマンの交響曲第4番を選んだことに関して,「そしてこれ(『賛歌』)に,シューマン―――盟友メンデルスゾーンを指して『フェリックス・メリティス』と呼んだ,あのシューマン―――の第4交響曲を組み合わせたのです」と定期演奏会のプログラムで明かす。なお,「フェリックス・メリティス」とは,ラテン語で「功をなし,幸せ」を意味し,メンデルスゾーンの名前と掛詞になっている。


7月定期を聴いて,どうやら,札響はチェコの嬉々とした美しいカンタービレに加え,ドイツの滋味あふれる重厚なサウンドを貪欲に吸収しようとしていることがうかがえる。このところ,何代かにわたって日本人シェフにリードしてもらい,札響の個性を磨いてきた。これから,その個性が損なわれるリスクを冒しても外の血を入れ,さらなる飛躍をめざす決断をしたのだろう。

はじめに演奏されたシューマンの交響曲第4番は,彼の交響曲の中で2番目に作曲された作品。初演が不評で,10年後に金管楽器のパートに手を入れた後で出版された。4楽章で構成される交響曲であるが,シューマンが「イントロダクション,アレグロ,ロマンツェ,そしてフィナーレを1つの楽章で」と記しているとおり,全曲は切れ目なく演奏される。交響的幻想曲あるいは交響詩の先駆けと考えられる作品であるとのこと。

ポンマー&札響の演奏は,シューマンの音楽の特質をみごとにとらえたものだった。ブラック・ホールを思わせる,心の中に巣食う漆黒の混沌を音で表現したようなシューマンの音楽の核心に切り込む演奏である。形を成さないカオスに対峙して,それを音楽で可能な限り忠実に表現することは大きな矛盾をはらむ行為だ。不定形の底知れない闇の世界に形を与えることに加え,漆黒の闇に立ち向かうこと自体,シューマンにとってどれだけ負担だったのか,その苦悩が手に取るようにわかる。加えて,このカオスに立ち向かい,それを音楽で表すことで精神の平衡を保とうとするシューマンの姿勢も感じ取ることができる。この演奏を聴いて,シューマンの世界が一気に開けてきたように感じた。

札響の変貌ぶりにも目をみはる。比較的軽いサウンドが持ち味の札響だが,弦楽セクションの重厚感は,このオーケストラのイメージを根底から覆す。ドイツの音楽,とりわけシューマンの音楽が持つ独特の暗さ,そして粘りや重さを懸命に表現しようとする姿が印象的だった。闇の世界で明滅する光さえ表現していたように思う。ただし,このオーケストラの弱点がはからずも露わになったことも確かである。管楽セクション,とりわけ金管楽器がシューマンの世界を表現するには力不足だ。発作的な楽想の変化に対応するキレが足りず,説得力のあるダイナミズムを感じ取ることができない。もちろん,この作品が持つ金管パートの欠点が影響を及ぼしていることも忘れてはならないだろう。

メンデルスゾーンの交響曲第2番「賛歌」は,作曲者自身によって「賛歌―――聖書の言葉による交響的カンタータ」と名付けられ,歌詞には旧約聖書のドイツ語訳が用いられている。作品は第1部と第2部に分かれる。「第1部 1番 シンフォニア」は3楽章の構成。第1楽章は祝典的で荘厳な序曲。3本のトロンボーンで奏される主題は,曲中で繰り返し現れ,この作品の締め括りでも使われるなど,この作品を統一する役割を与えられている。第2楽章は3部形式のスケルツォ。第3楽章も中間部をもつ3部形式のアダージョ。次に「第2部 2番〜10番 合唱」は,ソプラノとテノールの独唱,二重唱,合唱で歌われ,「生きとしいけるものみな,主を讃めたたえよ」の合唱で始まり,最後は種を讃えるハレルヤで閉じる。

メンデルスゾーンの「賛歌」では,シューマンの演奏とは一変して,札響は自然体で臨む。札響の乾いた軽いサウンドとメンデルスゾーンの音楽との相性はいい。メンデルスゾーンが書いた晴れやかでありながら,やはりどこか厳かな音楽にふさわしい演奏である。心の暗部を凝視するような趣のシューマンを演奏するプレッシャーから自由になり,自分たちの持ち味を存分に発揮できる解放感を満喫しているかのよう。管楽セクションも力を込めた深い音を鳴らす重圧から逃れ活き活きとしている。とはいっても,2月と6月に聴いたときに比べて,重心の低いドイツ風の響きであることに変わりはない。同時に,日本人指揮者からドイツ系の指揮者に代わったときに危惧される,勢いを優先させるあまり,緻密なアンサンブルが犠牲になる傾向もちらほら。

声楽では,バッハ・コレギウム・ジャパンの公演などでおなじみの櫻田亮が,抜群の安定感をみせる。堅実でありながら,実によく考えられた的確な解釈に支えられた歌唱を披露してくれた。宗教音楽を手がけることが多いせいか,精神性にあふれる歌いぶりは想像以上の出来映えである。それにひきかえ,針生美智子の歌唱は硬く,どこか強張っていて,伸びやかさに欠ける。彼女の歌を聴くのはこれが初めてだが,おそらく何かの理由で不調だったことが大きな要因なのだろう。同じソプラノでも,より出番の少なかった安藤赴美子の歌唱に好感をもつ。2006年9月に設立された,総勢80人規模の札響合唱団は健闘していたといっていいのではないだろうか。これまでに,ベートーヴェンの「第九」,ブリテンの「ピーター・グライムズ」や「戦争レクイエム」,ヴェルディの「レクイエム」,そしてオルフの「カルミナ・ブラーナ」やドヴォルザークの「スターバト・マーテル」に挑み,それなりの成果を収めた経験が生きていると思う。

7月の定期演奏会では,札響が予想以上の柔軟性を発揮して,指揮者の要求に応えようとする姿勢が顕著だった。完璧とはいえないまでも,マックス・ポンマーがイメージする複雑で濃厚なシューマンは,この作曲家を理解する上で重要な手掛りを与えてくれた。また,バッハの「マタイ受難曲」を蘇演したメンデルスゾーンならではの「賛歌」でも,宗教的な背景も含めたこの作曲家の特質を伝えることにポンマーは成功したと思う。札響がポンマーから多くのものを吸収し,もう一段の高みを目指す姿勢にも好感を覚える。

3 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2015年07月>
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031