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2015年07月07日01:54

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回復のためのメモ2

半端者はつらいよ

 国民の義務のひとつに勤労がある以上、働くことは偉いとか、そういう次元を超えて、「当たり前」なのだろう。でも、就職や、そこまでいかなくても作業所を探すことを、「前向きでいいね」と言われることには、すごく抵抗がある。

 前向きでいいね、と言われるのは、わたしが就労不可能ではないほど状態が酷くないからで、働くのが当然だからなのか。でも、どうして働くことが前進なのか。わからない。
 アルバイトをしていたころ、わたしの生活は、精神は、ぼろぼろだった。そんな状態に戻りかねないことをすることが、どうして進歩と言いきれるのだろう。

 別にわたしは、社会貢献しようとか、国民の義務を果たそうとか思っていないし、まだはっきりと「生きていく」と決めたわけではない。死ねないし、穀潰しは嫌だし迷惑だし、なんか周りがやんややんや言ってくるから、動きますか。その程度の志――と呼んでもいいのかわからないもの――しかない。こんな半端者が働きにでても、むしろお荷物にしかならないこともうっすらわかっている。それでも、わたしはいい子いい子されるがまま、職探しをする。こんなに中身のない人間も珍しいよな。

 ハードルを越えられず、敗北者になったときから、わたしはわたしの人生の脇役になったように感じる。なにもかもが遠い。昔のように「現実に興味がない」とまでは言わないけれど、「現実に関与できない」という無力感と投げやりさがある。わたしにはそもそも、「努力する素質」がないのだと言い訳をして、楽な方へ楽な方へと流れている。そうでなくても、たとえわたしが足掻いたところで、なるようにしかならないという諦めがある。

 屁理屈をこねても、要は、「失敗したくない、楽したい」。これが本音なのだろうけれど。それでも前向きだという言葉に引っかかるのは、わたしを画一的な社会にはまれないと排除してきたくせに、こういうときだけ「みんなといっしょ」に当てはめようとする響きを感じるからなのだろう。障害は個性とか、自分らしく生きようとか、そんな言葉が並べられる一方で、はみでていることへの無言の非難も発せられる。その矛盾が、たぶん、くやしい。
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