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2015年03月28日17:45

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J.S.バッハ『音楽の捧げもの』/リチェルカール・コンソート

【収録曲】
J.S.バッハ: 「音楽の捧げもの」BWV1709

リチェルカール・コンソート
 モード・グラットン(チェンバロ)
 マルク・アンタイ(フルート)
 フランソワ・フェルナンデス(ヴァイオリン)
 フィリップ・ピエルロ(ヴィオラ・ダ・ガンバ)

録音 2011年11月,ルールマラン教会,フランス(セッション)
Mirare MIR237


フランスの古楽器奏者による「音楽の捧げもの」。チェンバロのグラットンは,ピエール・アンタイに師事した経歴の持ち主で,フルート,ヴァイオリン,ヴィオラ・ダ・ガンバの演奏者は,クイケン兄弟と共演している。スター奏者ではないとしても,ヨーロッパの古楽界を支える中堅どころで,たしかな腕の持ち主が揃っている。

フェルメールの絵画のような,静謐な世界で聴く「音楽の捧げもの」だ。時間の経過が停止した部屋の片隅で,バッハの音楽を純粋に追求しつつ,その演奏を楽しんでいるようなところがある。典雅な4つの楽器の響きが,遠い昔に連れ去るような効果がある。バッハが対位法を駆使して書いた作品にふさわしい精神性を備えているとともに,フリードリヒ大王から与えられた主題をもとに作曲された作品の世俗性も十分に感じられる演奏である。この精神性と世俗性の絶妙な調和が,フェルメールの世界を思い起こさせるのかも知れない。

古雅な演奏ではあるが,現代的な感覚による明晰な演奏でもある。解説付きで「音楽の捧げもの」を聴いているように,王の主題がどのように使われているのか,曲の構造が手に取るようにわかる。現代的な知性によって,この作品全体の構造が明快に把握されているからなのだろう。かといって,作り物じみていて不自然な演奏からは程遠い。不自然どころが,「音楽の捧げもの」はこのように演奏されて然るべきだという説得力をもつ演奏である。知性と感性をバランスさせる感覚が,リチェルカール・コンソートの強味なのだろう。

ところで,「音楽の捧げもの」を演奏する際,曲順と使用楽器をどうするかという問題が,常についてまわる。

曲順については,初版印刷譜と新バッハ全集では,演奏順が大きく異なっている。このCDでは,「3声のリチェルカーレ」と「王の主題による無限カノン」に続いて,「トリオ・ソナタ」と「無限カノン」が演奏され,初版印刷譜と同じ曲順である。ライナー・ノートによると,新バッハ全集の曲順より初版印刷譜の演奏順の方が,バッハの意図により近いという研究が多数公表されているそうだ。このCDでは,こうした最新の研究成果をふまえた曲順を採用したとのこと。

バッハが使用楽器を指定しているのは,「トリオ・ソナタ」と「無限カノン」のフルート,ヴァイオリンと通奏低音(チェンバロとヴィオラ・ダ・ガンバ)だけである。このCDでは,「トリオ・ソナタ」と「無限カノン」以外の曲でも,フルート,ヴァイオリン,ヴィオラ・ダ・ガンバそしてチェンバロ以外の楽器は用いていない。したがって,「2つのヴァイオリンによる同度のカノン」も,ヴァイオリンとチェンバロで演奏している。ただし,どのような理由でこうした楽器編成を採用したのか明快な説明はライナー・ノートに記されていない。

とはいえ,楽器の数が少ない分,演奏の室内楽的な純度が増しているともいえる。そして,曲の構造が透けて見えるような演奏に仕上がっているのも,思い切って使用楽器を切り詰めた成果だろう。肩肘張ることなく長く聴き続けることができる佳演といえる。

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