下記は、西村眞悟の時事通信です。国民必読文ですね。
戦後からの脱却とは何か 平成27年1月28日(水)
「イスラム国」のテロこそ、突如テロリストが突き付けてきた 「戦後憲法体制の虚構」を全国民に示すものであり、我が国に対して、一刻の猶予なき「戦後からの脱却」を促すものである。
この事態は、平時法制で対処する事態ではない。国家が持つ司法権(最高裁判所)と立法権(国会)以外は何でもできる内閣総理大臣(内閣)の最高指揮権原内にある。
よって、三十八年前のダッカハイジャック事件の際の福田赳夫的対応に逃げ込まない限り、総理大臣は何でもできる。
最高指揮官の「命令があれば、行きます」(何処へでも!)という高い練度と闘魂をもった部隊もある。
レバノンに「中山氏が特使として留まっている」と報道された。
私のある友人は、つい最近まで、その「中山氏」が参議院議員の「中山恭子さん」だと思い込んで、「やはり安倍総理だ」と感心し「中山氏」に期待していたという。
しかし、「中山氏」は「中山恭子さん」ではなかった。 そこで、この際、私の友人が、何故、「中山恭子さんがレバノンにいるのだ」と期待したか、その訳を書いておこう。
一九九九年(平成十一年)八月、キルギスで四人の日本人鉱山技師を含む七名が、イスラム過激派に誘拐された。当時、この地域の担当大使は、カザフスタン特命全権大使の中山恭子氏だった。
この誘拐された日本人を如何にして救出するか、この緊急事態に対する東京からの中山大使に対する外務省の訓電は「犯行現場はキルギスだから、キルギス政府に総て任せよ」であった。
つまり、この地域の担当大使は何もするな、というのが外務省の指示であった。 そこで以下、如何にして、中山恭子大使が四人の日本人を救出したかを述べる。
まず、中山大使は、外務省の訓電どおりキルギス政府に任せておれば日本人は殺されると判断した。
そこで、外務省の訓電を無視して中山大使自ら、誘拐犯の過激派の頭目に会いに行くことを決断した。
そして、女性通訳と二人だけで過激派の頭目に会いに行った。頭目に会う。道案内人達は、途中で恐くなって逃げたという。そして、自動小銃を持った子分どもが取り囲むなかで頭目は驚く。
女一人が女の通訳を連れて武器も持たずに会いに来たと。話の末に頭目は、中山大使の願い通り人質を解放することを承諾し、「護衛」を付けて人質と共に市街地に送り届けてくれた。
先年私は、次の二つのことを中山恭子先生に質問した。
「もし先生が、外務省の訓電通り、キルギス政府に人質総て任せていたら人質はどうなりましたか」 答え、「全員殺されてました」
「もし先生が、過激派の頭目に会って、要求が聞き入れられずに会見が物別れになったら、どうなってました。」 答え、「私、殺されてました」
世界中の国々で、自国民を救うために単身、殺されるのを覚悟して、過激派の頭目に会いに行って、頭目を説得して人質を連れ帰ってきた大使など、中山恭子先生以外にいない。
日本が誇りとすべき勇気を示した日本外交の世界的快挙だ。しかし、外務省は、自らの訓電通りしなかったという訳かどうか知らないが、この快挙を無視している。
何たる偏狭な官僚組織か。
そして現在、この外務省が、北朝鮮による拉致された日本人救出問題も、「イスラム国」からの脅迫問題も、担当し、この外務省が、最高指揮官の安倍総理を取り囲み、外務省の誘導通り総理の判断を引き出そうとしている。
しかし、この外務省の、訓電通りに中山恭子大使がしておれば、キルギスで拉致された日本人は全員死んでいたのだ。
このことを国民は知っておくべきだ。
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