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2015年04月12日19:33

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古典古典な話

 ヨコハマらいぶシネマの勉強会は基本的に即興でガイドを試みる。みんなが見たことのないような映画や、ガイドが面白くなりそうだなという映画、そして古典的な名作など何本か候補のDVDを用意し、基本的にはファーストシーンから見ていく。

 今日の作品は「サンセット大通り」。この映画芸術の塊のような作品に対して皆さんがどのようにガイドをつけていくのか、どこを読み取りどう表現するのか。言葉ではなく「ここでガイドしたい」というセンスを養うのが目的のようにも思う。

 すなわち、映画を見ることで動く気持ちに沿って「これを言わなければ」という映画的な感覚こそ、ガイドに必要な資質であり、そこに「映画とは何か」という問いかけが要求される。

 無声映画時代の大女優の屋敷に転がり込んだ売れない脚本家。すでに時代から取り残されているの気も気づかず、忠実な執事と二人きりで「大スター」としての日常を送っている彼女に囚われた男の恐怖。栄光と挫折、野望と堕落、男と女、若さと老い、希望と絶望、あらゆる対立軸がドラマをガッチリ引き締めていく。古典とはいつの時代にも新しい。

 無声映画時代の栄光にしがみつく老女優、パラマウントの電話を受けてデミル監督からの呼び出しと思い撮影所に向かう。新作映画を撮影中のデミルが優しく迎えるが、彼女の話がおかしいのに気づく。彼女はで見るのディレクターチェアに収まり、久しぶりのスタジオの活気にワクワクしている。そんな彼女の帽子の羽飾りに、頭上を通過したマイクが触れる・・・。この瞬間をガイドせずに済ましてはいけない。羽飾り=無声映画時代の栄光に、マイク=デミル監督さえトーキーをとっている時代が触れる時、彼女の悲劇の幕が上がるということを見逃してはいけない。ゾクゾクするワイルダー演出!

 驚いたのはハマらいぶの映画フリークの皆さんがこの作品をご覧になっていないということ。ええーっ!と、驚いても仕方がない。ここに日本の映画界の問題点があるなあ。こういう古典をきちんと押さえていないことで、映画の見方が育たないのか。

 改めて見て感動したのは、男が脚本家志望の娘と真夜中のオープンセットの大通りを歩くシーン。若い頃に見た時には二人の恋のエピソードとしてしか見なかったが、ここでは虚構の世界であるハリウッドで生きていこうとする二人の純粋な夢が語られている。一方でその夢にとりつかれ自分を失ってい行く老女優の執念の恐ろしさ、虚しさ。と思っていたら、この時のグロリア・スワンソンは53歳!・・・私より年下じゃん!(笑)今なら「美魔女」でテレビでまくりということだろうが。

 ということで、デミル&スワンソンの代表作「男性と女性」にシュトロハイムの「グリード」、おまけに関係ないけれど「第七天国」もまとめてamazonに注文だ!
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