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2015年01月12日14:17

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あなたは生存者ですか? 生活者ですか?



沖正弘先生「生活を正す」より。

<生存者と生活者>
人間の中には生存者と生活者の二者があります。
動物の生き方は生存者的な生き方です。人間は生活者的な生き方でなくてはなりません。生活者であるためには精神生活者でなくてはなりません。

精神生活者になるために必要な心構えとは何かといいますと、それは人間として当然あるべき心の姿、すなわち、すべてのことに感謝を感じ、すべてのものにお詫びを感じ、すべてのことに対して奉仕の心で生きていくということです。

そうした心の持ち主になるためには真理を自覚し得る理解力、すなわち知性を高めなくてはならないのです。

<宗教心が平和をつくる>
このためにまず必要なことは、何故生きているかという事実、その真理から把握していかなければいけません。

私たちがこういうふうに生きていることができるのは、万象万物から守って頂いており、必要なもののすべてを与えて頂いているおかげによってであります。この真実を、ひしひしと絶え間なく感じているというのが、感謝の心であると思います。

いかに私たちが世界平和を願ったとしても、人々の心身が平和にならない限り平和が実現されるはずはあり得ないと私は思っています。

人々の心身の身を平和にするためには、何が必要かといいますと、それは宗教心を身につけることであります。

<宗教心を身につける>
宗教心は愛を行じる心であります。愛の心は何かといいますと、正しく生き合うことに協力する心であります。

私は正しさとは何かということを具体的に把握する工夫に頭を突っ込みました。そうして正しい呼吸とは何か、正しい姿勢とは何か、正しい食べ物とは何か、正しい心とは何か、正しい生活のあり方とは何かということを、具体的に体験を通じて求めました。

その自覚のヒントを与えてくれたのがヨガだったのです。何故かといいますと、ヨガとはバランスという意味だからです。正しさはバランスの中にあると知りました。

<他に心を配る生き方>
生活のバランスを破る根本的なものは、それは人間のあまりにも利己主義、自己本位になりすぎているということです。

自分の利益になることが、同時に相手の利益になるという生き方の工夫、自分の都合のよいことが、同時に相手にとっても都合のよいことになるという生き方の工夫、これが自他一体の境地に到る道です。これが自他のバランスのとれた生き方です。

自分というものを失うことなく、常に相手のことに気を配っていくのが本当の生き方であります。

他に気を配るということを忘れやすいのはなぜか。それは自分が生かされているんだ、生かされて生きているんだという事実を自覚しないからです。

生かされて生きているのだという事実を自覚できた時には、感謝しないわけにはいかなくなります。お蔭を感じないわけにはいかなくなります。

まことの人格というものは、どれだけこのお蔭というものを感じ得る能力を身につけているかで、決まるのではないでしょうか。



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