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2013年07月16日17:48

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性同一性障害特例法成立10周年

平成25年7月14日(日)。
 深夜、冷房を点けている筈なのに暑苦しい。
 外気の方が涼しいと思ったら、外は熱風だった。
 熱帯夜が続く。
 さて、今日の丸美先生は、東京都品川区で開催される、性同一性障害特例法成立10周年記念講演会の聴講である。
 https://gid.jp/html/forum/index.html
 この会では、化け物作家、三橋順子先生の講演もある。
 携帯ラジオで、東京放送(954kHz)の安住紳一郎の日曜天国を聴きながら外に出る。
 北澤功・ユカクマ「爆笑! どうぶつのお医者さん事件簿」(アスコム)
 http://www.amazon.co.jp/%E6%9C%AC/dp/4776207656
 東京放送(954kHz)・受信記録(10:00〜11:20)。安住紳一郎の日曜天国(暑いですね。屋根職人さんの話。動物のお医者さん、ほか)。提供(東京かりんとう。ミヤリサン製薬。ECCジュニア。カルピス学、ほか)。SINPO=55555。
 久々の、JR東日本・山手線、渋谷駅である。
 毎日歩き、慣れ親しんだ筈の通路なのに、すっかり忘れてしまい、迷ってしまった。
 渋谷食べ歩きでは利用しなかったが、山手線ホームの、渋谷駅ラ王ショップを初めて見た。
 日清ラ王 袋麺屋
 http://r.tabelog.com/tokyo/A1303/A130301/13149413/
 11時40分頃の、品川駅方面行きの山手線電車に乗る。
 大崎駅下車。
 記念スタンプがあったので押す。
 会場は駅東側、ゲートシティ大崎・ウェストタワーの南部労政会館である。
 駅を出ると、大昔の大阪万博で描かれた、未来都市の光景だった。
 動かないけれども、チューブ式の歩道橋もある。
 渡ると、花壇があるペデストリアン・デッキ(人工地盤)があり、国際会議に相応しそうな高層ビルがある。
 後に見たら、参加国の国旗を立てるための柱もあった。
 建物に入れば、国際ホテルのロビーの雰囲気だったが、なぜか案内板がなかった。
 コンビニエンス・ストアや飲食店はあるのである。
 宴会場(バンケット・ルーム)や会議室の類がない。
 探しているうちに、駅から見て裏側に、一回り小さな建物があった。
 そこが南部労政会館だった。
 ゲートシティ大崎として同じ時に建てられたようだが、華やかさはない。
 公民館としては最先端なのだろうけど、表側の雰囲気に接したばかりなので、みすぼらしく見えてしまう。
 入ると、ホワイト・ボード式の案内板があり、団体名が記されていた。
 まるで、こち亀の両さんの案内でリゾート旅行をして、豪華国際ホテルを目にし、びっくりした所で、
「お前等が泊まるのは、こっちだ」
 と、裏に連れて行かれたみたいだけど、こちらで正しいようだ。
 迷ってしまったので、開場の12時30分は過ぎている。
 会費の1500円を払い、名簿に名前を書く。
 以前、別の会を聴講した時には、資料がどっさり貰えて重宝したものだけど、今回、貰えたのは、入会案内など数枚だけだった。
 インターネット日記に載せるため、顔が写らないよう、後方から全体の写真を写していいかと聞いて、断られていた人がいた。
 今回は一般公開なので、当事者以外が多いものの、少しでも写ったら洒落にならない人も多いので、気を遣っている。
 こちらも、観光気分が顔に出ないようにする。
 いわゆる、「お鍋さん」の案内で入場する。
 こういう会の場なので、先入観から、いわゆる「お鍋さん」に見えてしまうが、街にいたら分からないと思う。
 会場の折り畳み椅子は、既にスタッフによって並べられていた。
 200席ぐらいはあるのだろうか。
 正面には、
『gid.jp創立10周年記念                gid.jp
 性同一性障害特例法成立10周年記念 フォーラム
 性同一性障害のこれまでとこれから
 主催 一般社団法人 gid.jp 日本性同一性障害と共に生きる人々の会』
 の看板がある。
 会議室2つを繋げたみたいで、なぜか、右と左、1つずつある。
 係りの人に聞いたら、この看板だけなら写して構わないみたいで、写す。
 前の2列が講師席のようで、今回の講師6名ほかのサンドイッチとペット・ボトルのお茶があった。
 食虫植物を思わせる、和服姿の三橋順子先生がいたのでお辞儀をする。
 真後ろに座る。
 帯が朝顔の柄だった。
 三橋先生もほかの講師の人とお話ししていたが、やはり場所が分かりにくかったようだ。
 講師紹介
 山内俊雄(やまうち としお)先生
  埼玉医科大学 名誉学長 元日本精神神経学会 理事長
 中塚幹也(なかつか みきや)先生
  岡山大学大学院保健学研究科 教授 GID(性同一性障害)学会 理事長
 難波 祐三郎 (なんば ゆうざぶろう)先生
  岡山大学病院ジェンダーセンター センター長 岡山大学大学院形成外科 准教授
 百澤 明(ももさわ あきら)先生
  山梨大学医学部附属病院形成外科准教授 埼玉医科大学総合医療センター形成外科 客員准教授
 針間 克己(はりま かつき)先生
  はりまメンタルクリニック 院長 精神保健指定医
 三橋 順子(みつはし じゅんこ)先生
  性社会・文化史研究者 都留文科大学・明治大学・東京経済大学・群馬大学医学部 非常勤講師 早稲田大学ジェンダー研究所嘱託研究員・国際日本文化研究センター共同研究員
 時間の13時になり、歌手の小室哲哉さんみたいな雰囲気の、日本性同一性障害と共に生きる人々の会会長、山本蘭さんの挨拶がある。
 この会は2003年(平成15年)1月3日に設立され、それから10年なのだそうだ。
 丸美先生が、この類の会を聴講するのは、新聞、テレビジョンで大きく報道もされた、平成9年7月19日(土)の会からだけど、その時の会と、この会とは別のようである。
 http://www.tnjapan.com/report/list97/list97.htm
 でも、講演する顔触れは変わらないし、名前だけを変えたのか分離したのか、詳しい事情は分からない。
 講演第一部は、性同一性障害の過去・現在・未来として、まず、山内俊雄先生からのお話を伺った。
 性同一性障害の研究が平成7年に始まって、平成9年にガイドライン発表、平成10年に初の公の手術、平成15年に性別変更の法律ができる、その紆余曲折を語って頂いた。
 専門施設は、平成10年に埼玉医科大学に、平成12年に岡山大学に、平成15年に長崎大学と関西医科大学、大阪医科大学、札幌医科大学に設けられ、福岡大学や山梨大学にも設けられそうで、民間の医療機関もあるらしい。
 今後は経済的補助も必要なので、健康保険証が使えるよう厚生労働省に働きかけているが、理解はされていず、まだ認められていないようだ。
 それはそれとして、丸美先生の目の前には三橋順子先生がいて、大きな体で前のスライドがあまり見えない。
 けれども、今は敬愛する、化け物作家の三橋順子先生のおそばにいるわけで、幸せをひしひしと感じている。
 次は、中塚幹也先生生から、学校現場からのお話を伺った。
 平成18年に学校現場で小2男児を女児として扱う事例があったが、平成23年には小6となり、思春期の身体の変化を抑止するため、抗ホルモン剤の投与を始めたそうだ。
 http://zoku-tasogare-sei.blog.so-net.ne.jp/2013-02-18-11
 丸美先生は、最初、このニュースを聞いた時、一時の気まぐれだと思ったけれども、その後も続いているというのなら、とりあえずは本物なのだろう。
 学校現場の対応については、平成13年に金八先生の第6シリーズでも描かれたように、服装の問題、着替えの問題、お手洗いの問題などがあるとの事であった。
 講演第二部は、性同一性障害の身体治療の現状と今後として、難波祐三郎先生と百澤明先生の話を伺ったが、外科手術の話なので省略。
 最初に血が出るスライドだと断っていたし、丸美先生も、ずっと目をつぶって寝ていたからである。
 講演第三部は、性同一性障害をとりまく状況として、まず、針間克己先生からのお話を伺った。
 近く、国際的に医療関係者の間で、「Gender Identity Disorder(性同一性障害)」の名が消えて、「Gender Dysphoria(性別違和)」になるなど、性同一性障害の扱いが変わるかもしれないという話だった。
 伴って、診断基準も変わるらしい。
 丸美先生は、「障害」と入っているから日本で思い切り理解が進んだけれども、外してしまったら、どうなるかという思いもある。
 最後が、化け物作家、三橋順子先生の講演である。
 今までの先生方は真ん中でお話をして下さったのに、三橋先生は遠く離れ、左端に行ってしまった。
『10周年おめでとう。
 私は性同一性障害という立場は取らない。
 1997年(平成9年)に山内俊雄先生も参加をした公開シンポジウムが開催され、私はその時の司会だった。
 あれからの16年を、野党的立場で語って行きたい。
 性同一性障害の問題は、埼玉医科大学が手掛けるまで暗黒時代だったという考えがあるが、誤りである。
 実は、1951年(昭和26年)、当時の産婦人科学会の権威、日本医科大学が初めてである。
 外国とほぼ同時期だった。
 1965年(昭和40年)に優生保護法に問われた医師も、決して怪しい医者ではなかった。
 埼玉医科大学以前が暗黒時代というのは嘘であり、尊厳を損なう事だと思う。
 2003年(平成15年)に初めて性別の戸籍変更が可能になったとされるが、それ以前に少なくとも、1958年(昭和33年)と1980年(昭和55年)に、全く合法に変更できた。
 こうして歴史を振り返ってみると、過去を切り離す事によって失ってしまった物も多い。
 特に、性別移行の経験と蓄積を持った、ニューハーフを外してしまった損失は大きかった。
 現在の話に移ると、15年前には、性別移行が医療と法律でがんじがらめになるとは思わなかった。
 本来、いろいろなアプローチがあるべきだった。
 今回の講師でも、いわゆる女性がいないのは、おかしい。
 男性視点だけではなく、女性視点もなくてはならない。
 身体を変えれば望みの性別として扱って貰えるというのは、幻想である。
 女性から男性への移行は、ホルモンの影響で違和感がない。
 男性から女性への移行では、どうしても女性として通用するのに難しい人が出て来る。
 社会においては、性自認より、他者から与えられた性別が不可欠である。
 完璧でなくとも、ある程度女性に見えなくては、女性扱いされない。
 世の中の人は顔、身体の形、声を見る。
 手術をした身体を見て貰えば女性だと分かって貰えるのにと、不満を言う人がいたが、実際は見て貰えない。
 世の中は見掛け至上主義である。
 望みの性別として受け入れられるのなら、顔を重視すべきである。
 しかし、戸籍や身体の変更を重視してしまっているようだ。』
 http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-07-15#comments
 http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-07-15-1#comments
 だいたい、このような話を伺った。
 ここで休憩になり、司会の山本蘭さんから書籍の紹介があった。
 谷合規子「性同一性障害―3.11を超えて」(論創社)
 http://www.amazon.co.jp/%E6%80%A7%E5%90%8C%E4%B8%80%E6%80%A7%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E2%80%953-11%E3%82%92%E8%B6%85%E3%81%88%E3%81%A6-%E8%B0%B7%E5%90%88-%E8%A6%8F%E5%AD%90/dp/4846011720
 続いて、第四部、性同一性障害のこれからを考えるとして、出席者によるパネル討論・質疑応答があった。
 三橋順子先生からの、先程の、
「性別移行について、いろいろなアプローチがあるべき」
 との意見に対し、山内俊雄先生は、
「宗教家から何か言って来るのではないかと心配したが、何も言って来なかった」
 と体験を語っていた。
 丸美先生、思うに、天文学で冥王星を惑星から外す動きがあった時も、世界各国の科学者だけでなく、星占い師まで呼んで検討していたが、笑い事でなく、そのぐらい幅広い視点が必要なのだろう。
 あと、三橋順子先生は、手術はしたけれども、社会的に女性に認められない人が増えて来て、そういった人が注目されてしまうと、理解の揺り戻しがあるのではないかと、心配していた。
 質問している人の中に、すっかり女声で、女性経営者として活躍している人がいたのも印象的だった。
 閉会は18時だった。
 エル・トレス EL TRES
 http://r.tabelog.com/tokyo/A1316/A131603/13114208/
 この後、エル・トレスという所に移って懇親会との事だが、既にパーティー券は売り切れとの事である。
 本来、会員の人が優先だし、会場を見ていたら、今にも自殺しそうな顔で聴講している人もいた。
 そういった人にこそ、懇親会に行って、相談相手を見つけて欲しい。
 廊下に出ると、男性から女性に移行した人は、桃色の服が目立つ。
 今まで着れなかった反動もあるけれども、余程、容姿に自信がないと、青系統の服は着れない。
 懇親会場は見に行く。
 現在、高層ビルに挟まれた目黒川は、珍しく首都高速道路に覆われていない川だった。
 ちょうど、屋台船が走っていた。
 エル・トレスは、その畔のお洒落なレストランだった。
「参加したかったな」
 と思いながら、JR東日本・山手線、五反田駅に出る。
 陳麻家 五反田店(チンマーヤ)
 http://r.tabelog.com/tokyo/A1316/A131603/13004465/
 駅前には、ちょうど、しょぼいラーメン店があった。
 良く見ると、ラーメン店ではなく、四川麻婆豆腐専門店だった。
 店に入り、カウンター席に座り、陳麻飯(チンマーハン)を注文すると、店長から、
「辛いですよ」
 と、釘を刺される。
 出て来ると、丸いお皿にカレーライス風に盛られた、麻婆豆腐ご飯だった。
 卓上には、スライスされた乾燥大蒜(にんにく)や刻み葱(ねぎ)があり、乗せて食べる。
 完食はしたが、舌にぴりぴりした辛さが残った。
 駅ファッション・ビルをエスカレーターで上りながら、
「渋谷回りは飽きたな」
 と思っていると、4階にある、東京急行・池上線の、どこの地方私鉄かと思うような小振りな駅の屋根から、
「星薬科大学」
 の広告看板が下がっていたので、改札を通ってしまう。
 この電車は、星新一先生も良く利用していた路線である。
 さっきの麻婆豆腐ご飯も、良く食べていたのかもしれない。
 途中駅で、桃色の服の女子が降りていた。
 目が合ったから、さっきの会場にいた人のようにも思えたけれども、そういう人なのかは、もう、確信は持てなかった。
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