mixiユーザー(id:429476)

2012年04月25日16:28

16 view

セザンヌ−パリとプロヴァンス

国立新美術館で開催中の『セザンヌ−パリとプロヴァンス』に行きました。チケットは、毎度お馴染み、新聞屋さんからの貰い物。新聞屋さん、いつもいつも有難う〜。

フォト

セザンヌ。皆さんのイメージではどんな画家でしょうか?おそらく「リンゴと山の絵ばっか描く人」だと思うんですが。私もそう言うイメージですが。
で、ぶっちゃけ、「セザンヌって絵、上手いのか?」って思いません?私は思います。そして、初期の絵を見る限り、私はこう断言します。「セザンヌ、絵、下手だ!!」
某イラストレーターさんに「セザンヌみたいなクッソみたいな絵」と言われたセザンヌ。
でも。きっと、だからこそなんだ。だからこそ、彼は、この表現が出来て、『近代絵画の父』になれたんだね・・と。画家の山口晃氏が仰るように、「もし、セザンヌが、ルーベンスみたいに、ササっと上手く絵が描けたら、こうはならなかったと思う。」だと、私も思います。
無骨で真面目で、頑固そうな、ゴリっと感のある絵。今回は初期から晩年までの絵が見られます。
ポロック展の時も思いましたが、こうやって、初期〜晩年までの絵の展示があると、その画家の軌跡が分かって面白いですよね。

音声ガイドを借りてみました。今回の音声ガイドは良かったです。ちゃんと、書いてある説明以外のコトも教えてくれるし、絵が描かれた背景も教えてくれた。因みに。セザンヌが喋ってる・・ってテイの音声ガイドなのですが、セザンヌの声が、森山周一郎氏。刑事コジャックですよ?セザンヌって、こんな渋い声だったかなぁ〜(笑)。

最初行った時、あんまり人がいなくて「セザンヌって、一応、印象派に組されるのに、あんまり人気ねえよなぁ〜」とか思ってたら、2時半過ぎたら、俄然人が増えまして「あ、やっぱり腐っても印象派だった・・・」って思いました。でも、ぶっちゃけ、セザンヌさんて、印象派って感じします?モネや、シスレーに比べて、その・・・軽やかさがねえっつうか、ゴッホに近いっちゃ近いかなぁ〜・・・。私、あんまり印象派ってイメージねえんだよな・・・。

さて、では、セザンヌの絵画の旅にちょっくら出かけてみましょうや。

まず、セザンヌさん・・って人。エクス=アン=プロヴァンスと言う、今や、南仏の人気観光地で生まれています。親友の詩人ゾラに勧められて、パリ行きを決意するのですが、スゲエナイーブな人だったらしくてね。何か心が折れる度に、エクスに戻って来るんだよ。結果、20回くらい、エクスとパリを行き来してたらしい。この頃鉄道が開通してたから、パリまで20時間くらいで行けたんだってさ。それまでは、パリに行くのに15日かかってたんだって。鉄道って偉大だな。
因みに。お父様は、帽子屋から銀行家にまでなった実業家!なので、セザンヌさんが画家になるコトには大反対。お父さんは、セザンヌさんを、法律家か、銀行家にしたかったみたい。
・・・って、コトからも分かるように、セザンヌさんは金持ちの子です。お父さんが買ったエスクの別荘(ジャス・ド・ブッファンと言うそうな)の3階を自分のアトリエとして長いコト使っていたんだよ。

で、セザンヌさんはお父さんに画家になるコトを認めて欲しかったので、別荘に壁画を描くのですね。西洋絵画の古典の題材に『四季』ってのがあるのだが、その四季の具現化を描いたモノなのですね。女性として描かれていたのだが。
で、今回、その作品の展示もあったのだが・・・。吃驚しました。何にって、その下手さに!(^_^;)
父ちゃん良くコレで、画家になるコトOKしたな・・ってくらい下手だ。そう考えると、ピカソって何て絵が上手かったんだろう・・・。(そのピカソは、セザンヌの絵を沢山研究したんだよ)
『四季 冬』に、うっすら立ち姿の絵が残っている。出来た絵は、座る女性なのだが、どうやら、最初は立ち姿で描いていたらしい。しかも、サインに『アングル』って書いてあるんだコレ。アングルって、ドミニク・アングルのコトね。フランスの、新古典主義の巨匠。どうやら、セザンヌが習ってた絵の先生が、アングルを崇拝しててあまりにアングルを賛美したので、「アングルがなんぼのもんじゃい!」って思って、イタズラでそういうサインを入れたそうです。大人げねえです、セザンヌさん!(笑)

セザンヌさんって、初期の作品は厚塗りなのですね。ゴッホみたいだった。『砂糖壺、洋なし、青いカップ』。パレットナイフで厚塗りに塗られた絵。クールベの影響があるらしいよ。この絵。お父さんを描いた肖像画の中にも描きこまれてたりする。
この厚塗り時代のコトをセザンヌ本人は「クルヤドル(睾丸の大きな)」と言う名で呼んでたらしい。

『パンと卵のある静物』。黒バックに、でかいパンとガラスのコップと玉ねぎと卵。左に銀のおそらく、ミルク入れ。当時スペイン風が流行ってて、スペイン風に描かれているそうな。スペイン風・・ってコトは、ボデコン(スペインの静物画)だな。マネの影響もあるんだってサ。

『ピアノを弾く少女(「タンホイザー」序曲)』セザンヌさんは、楽団を組むほどの音楽好きで、ワーグナーが大好きだったそうな。へぇ〜、意外。左にピアノを弾く少女。右に黒い服の女性が座って、ピアノ聴きながら編み物してる。少女は妹のローズで、女性は母親って説があるらしい。ここに描かれてる花柄の椅子は、ジャズ・ド・ブッファンでお父さんが座っていたモノだそうな。

セザンヌさんて、お父さん怖かったのかな?凄くお父さんに遠慮してる部分がある・・って思うんだケド。

『林間の空地』。絵の具の色彩のみで描かれた林。黄、緑、黒、茶、青。結構カラフル。

『女神の接吻−詩人の夢(フェリックス・ニコラ・フリリエによる)』。これ、私お気に入りです。なんだ、セザンヌさん、アカデミズム絵画も描けるんじゃん!って思う絵。天使が男の額に接吻してる絵なのだが、男は詩人で、天使は、詩人にインスピレーションを与えているらしい。天使の薄紅の衣も美しい。でも、影の陰影のつけかたは、セザンヌさんだな〜って思った。元は、フリリエさんって人の絵だったんだろうね(模写ってコトな)。

『かくれんぼ遊び(ニコラ・ランクレによる)』。セザンヌさんはパリに行った時、ルーブル美術館に良く通っていたらしいので、模写が結構あるんだと思うんだケド、コレね。セザンヌさんが「無理矢理ロココ調の絵を描きました!」みてえな絵なんだよ(^_^;)。確かにかくれんぼ遊びしてる場面の絵なんだケド、人物が全然楽しそうじゃない。左の女性など顔を覆っていて、苦悶してるのかと思った。どうにも、セザンヌさんは、軽やか思想には、向いてないみたいなんだぁ〜。

次は、風景画を見てみましょう。
パリとルイ=ド=フランスで描いてたみたい。バルビゾン派でお馴染み、フォンティーヌブローに近いムランで『構築的筆触』と言う独自の技法を確立したそうな。・・何すか?その技法?だったんだケド、方向を揃えた斜めの短い筆触が特徴・・と説明にある。あ!セザンヌさんの、筆跡残し、サササ感のコトか!あれ『構築的筆触』って言うんだ。そんな難しい名前がついていたとは・・・(^_^;)。
事物の永続性や色彩の本質を発揮するのは、プロヴァンスで身につけたモノ・・らしい。何でも「自然に即してプッサン(ニコラ・プッサンのコトよね?)をやり直す」と言っていたそうな。

セザンヌさんの風景画ってね。パターンがあるの。垂直の線。横の線が強調されてると思う。道が横で、柱が縦とか。その交差部分とか。何だろう?几帳面なのかな?

『首吊りの家、オーヴェール=シュル=オワーズ』。あ、この絵知ってる。有名な絵だよね。第1回印象派展に出品した絵。おだやかな色彩の家と木。空、道。手前にド〜ンて道って構成が面白いよね。この頃セザンヌさんは、バリバリ印象派の影響を受けていて「アトリエで描かれたモノは戸外で描かれたモノに及ばない。色々なものが見られるから。これからは、外でのみ描く。」と友人のゾラに言って、友達になったピサロと行動をともにして、外で絵を描いてたらしい。

『ベルヴュから見たピロン・デュ・ロワ(イル=ド=フランスの風景)』。丘から見た景色なのかな?山があって、中央に公園のような緑の空間がある。例の『構築的筆触』が使われてて、凄く良く分かる。サササ感満載。

『サンタンリ村から見たマルセイユ湾』。赤い屋根が青い海に映えて綺麗な1枚。ゾラに「トランプのカードのようだ」と書き送っているそうな。この頃、エクスとマルセイユを行き来してたセザンヌさん。なんでも、父に内緒でオルタンスと言う恋人を作って(元は、絵のモデルさんだったらしいよ)、しかも息子出来ちゃって、マルセイユで暮らしてたんだって。で、セザンヌさんは、それがバレて父親からお金の援助が打ち切られると困るからって、18年くらい籍入れなかったらしいよ。なのに、結果、父親にバレて、お金の援助打ち切られちゃったらしい(^_^;)。でも、ゾラの援助で助かったらしい。・・・ところで・・・。セザンヌさんて、ゾラしか友達いなかったの?(いや、ピサロもいるケド)頑固そうだし、神経質そうだし、あんまり友達多そうなタイプじゃなさそうだよねぇ〜。

『マルヌの川岸』。何か、止まったような川の絵なんだよなぁ。ど真ん中にドンって木がある構成も面白い。ちょっと浮世絵っぽいか?後ろに家。家と木は直角に交わっていて、あぁ、セザンヌさんぽい。で、この舟、絶対沈むと思う(^_^;)。美術評論家の山田五郎氏が「かつおぶしみたいな舟」と言っていたが、確かに、そうなんだ。絶対、風をきって、颯爽と進む・・・ってコトはなく、このまま沈みそうな重ったるい舟。
1880年代後半にパリ近郊にセザンヌさんは住むのだが、父の遺産を受け継いで、オルタンスとも正式に結婚したらしい。良い時期に描いたんだね。

『水の反映』。水辺の風景を描いた・・んだろうな。最早、抽象画みたいなんだ。白や緑の絵具が一面塗ってある・・って感じの絵。例の斜めの筆跡がある。この絵、綺麗で好きだったが、ポストカードにはなってなかった。

『大きな松と赤い大地』。これ。松か?と思わず言いたくなるシャシャシャ感満載の松。手前に松が描かれ、後ろに赤茶の大地が見える。「自然から絵を再構築する」とセザンヌさんは言っていて、見たままではなく、画家の目を通して再構築されたモノを描いてるってコトなんだろうね。

『サント=ヴィクトワール山』。出たっ!セザンヌお得意の山!サント=ヴィクトワール山。山田五郎氏に「俺、実際見に行ったケド、石灰岩の塊で、殺風景で、何がそんなに良かったのか分からなかった。」と言われたサント=ヴィクトワール山。(山田五郎氏は、セザンヌが好きである)
山の稜線と松の枝が並行になってて、やっぱり、セザンヌさんだなと思う。同じモティーフの『トロネの道とサント=ヴィクトワール山』ってのが並べて展示してあったが、トロネの方は、抽象寄りで、山がせり出してくる感じがする・・と説明にあった。確かに、山が妙に目立つ。

『フォンティーヌブローの岩』。私のお気に入り。岩と松。一面茶色と灰色で地味!でも、好き。ちょっと岩が肝臓ぽく見えるのもお気に入りだった。

『森』。コレも好きだった。殆ど緑に画面を塗りました!って言う絵なんだ。緑の塊。コレ森・・か?って言う。でも、その思いっきりの良さは好きだ。

次は、セザンヌさんと身体。
1870年代。セザンヌの女性観は「恐ろしい誘惑者の女性」と言う感じだったらしく、そんな性との葛藤を描くコトが多かった。でも、プロヴァンスに移ってからは、性との葛藤を避けるように、男女別の絵を描くようになったんだってサ。

『水浴の男たち(大)』。男性の水浴図。ゾラと子供の頃川遊びしてたから、その頃の思い出でもあるらしい。風景の中にどう人物を調和させるかに主題を置いていて、どうも、人物自体が主題とは思えないんだよね。後ろには、やはり勝利の山、サント=ヴィクトワール山。何となく、構図としての人物で、人の身体には、そんなに興味ねえのかな?とも思う。

でも、そんなセザンヌさんもマネの『草上の食卓』には衝撃を受け、マネのコトをライバルと思っていたらしく、レストランでマネと会った時「私は、あなたとは握手はしないよ。1週間も手を洗ってないからね。」って言って、握手しなかったりしたんだって。他の人とはしてたのに。でも、ちゃんと尊敬もしてたみたい。
その頃描いたのが『池のほとり』と言う絵なのだが。水辺の丘に男女が寝そべったりしてる絵なんだが、「この角度で寝そべってたら、絶対、この人、池にずり落っこちるよね?」みたいな絵なんだよ。木と比べて人物デカイし。コレ、わざとなのか、単純に下手なのかが分からないんだよなぁ〜。面白い絵だケド。

『聖アントニウスの誘惑』。中央に裸体の女性。赤い衣の悪魔が左にいて、アントニウスに裸の女を見るように脅迫している。西洋絵画の定番モティーフも、重い色彩でゴリっと感があって、やっぱりセザンヌ風。恐ろしい誘惑者としての女性と言うイメージで描いたみたい。
セザンヌさん、最初の頃、女怖かったのかもね。

で、その横に『永遠の女性』と言う絵があった。こちらは、中央に天蓋つきの椅子に座る女性。目が赤くて怖い。その周りには、楽団や王様、聖職者がいて、女性を取り囲んでいる。崇拝してるのかも知れない。さながら赤目の女は教祖のようだ。画家も描かれてるんだケド、コレはセザンヌ本人かな?セザンヌさんにとって、女って、怖いケド、魅惑的なモノだったのかも知れないね。

『3人の水浴の女たち』。マティスが持っていたコトでも有名な絵。マティスはこの絵に魅かれて、生活費をきりつめて、この絵を買ったらしいよ。木で三角形が作ってあって、その中に3人の裸婦を配置。水辺だから水浴。コレと言った主題はなくて、牧歌的な雰囲気な絵。

次は、セザンヌさんの肖像画を見てみる。
『自画像』。最初見た時「うわぁ!頑固そう」って思った。睨むような挑むような目だし、神経質そうにも見える。事実、頑固で神経質。常に、びんぼうゆすりをしてるような人だったらしい。口髭の厳つい男なんだな。仏頂面で「何?!」って言ってる感じにも見える。
頑固過ぎて、結果、ゾラとも仲違いしちゃうんだって・・・。

『坐る農夫』。手が大きい農夫の絵。肘の角度がひし形で、それが、壁紙の模様のひし形にリンクしてて面白い。ホント、並行とか、縦線とか拘るよな、セザンヌさん。
セザンヌさん「芸術の頂点は人物画だ。」と言ってるらしいんだが、そんなに人物画に思い入れがあったとは思えないんだよなぁ、私。

『アンブロワーズ・ヴォラールの肖像』。茶の服を着て座ってる男。この人、セザンヌの初個展を開催した画商で、この個展が評判になって、セザンヌは成功するから、謂わば、恩人でもあるのだが、何でも、この絵を描くのに、ヴォラールに115回もポーズを取らせたらしいんだ。だからなのか、絵の中のヴォラールさんは何処か「もう、いい加減にしてくれよ・・・」と言う疲れた顔なんだな。115回もポーズを取らされて辟易しちゃったのかな?そこまでして描いたのに、セザンヌ本人は「シャツの描き方だけ満足した。」って言ったらしい。ヴォラール怒らなかったのか?

『赤い肘掛け椅子のセザンヌ夫人』。セザンヌ曰く「りんごのようにポーズを取る」奥さん。つまり、モデルをしてる最中全く動かなかったらしい。セザンヌさんは、神経質だったらしく、少しでも動くと「りんごは動かないぞ!」って言って怒ったんだって。そんな無茶苦茶な(-"-)。奥さんにもポーズをとらせる際「りんごのようにおなり。」と言っていたそうな。だったら、りんご描け!って、描くよ、りんご(笑)。
奥さんって、セザンヌさんが29歳の時18歳で出会うらしいので、結構年の差婚だったんだね。
この奥さんの顔も何処か空虚なんだよな。セザンヌさんて、人物画は皆、空虚な表情なんだな。
他に『縞模様の服を着たセザンヌ夫人』って言う絵があったのだが、この夫人は、疲れたような表情をしてる。結婚したのが前述通り18年後だったから、それで疲れた寂しそうな顔をしてるのかな?

で、ここから、静物画!リンゴ出て来るよ〜。

『壺、カップとりんごのある静物』。重そうなナプキン。左に緑の砂糖壺。リンゴも描かれ。中央にカップ。カップの下にコインを挟んだりして、セザンヌは向きに拘ったらしいよ。バランスが崩れると、このりんご転がりそうだよね・・・と思える絵。

『牛乳入れとレモンのある静物』。この絵に描かれたナプキンが、アルミで出来てるんじゃねえか?と思ってしまうほど、重そうで、パキパキ感があるんだよね。

『開いた引き出しのある静物』。皿に盛ったりんごと開いた引き出し。後ろに鏡と洗面器。説明に『鏡には何も映っていない』と書いてあったケド、私には、建物が映ってるようにも見えた。

『りんごとオレンジ』。オルセー美術館にある、超有名な絵ですね。セザンヌは「りんご一つでパリを驚かせたい」と言っていたらしい。テーブルクロスの上に盛ったりんごやオレンジ。でも、何か妙。鉢は斜め上からの視線だし、皿は上からの視線だし。乗ってるテーブルも変に斜めだし・・・。つまり、いくつかの視線から見えるモノを再構築した絵・・と言うコトらしい。それって・・・キュビズムじゃん!だから、セザンヌは、近代絵画の父と呼ばれるんだね。

何でも「すべてのモノを単純化し、輪郭線を中心に持って行くようにする。」と後輩の画家に教えていたそうな。

『青い花瓶』。コレもそうだね。テーブルの横線。壁の縦線。床の斜めの線が配置され、テーブルの上には花瓶、皿、りんご、横に見きれるラム酒の瓶(実際の瓶が展示してあった)。あ、セザンヌさんの絵って・・・幾何学なんだね。そっか、幾何学で絵を描いてるんだ、この人!そう思ったら、何か、謎が解けました。

さて、晩年。セザンヌさんは1906年、外で雷雨の中で絵を描き、失神。荷馬車に助けられ、一命は取り留めるも、次の日アトリエに出かけてしまい、戻って来た時には瀕死の状態。結果1週間後、死亡してしまった。生前「絵筆を持ったまま死にたい。」と言っていたそうなので、ある意味、その通りになった・・と言うコトなんだね。
晩年はエクスから出なかったセザンヌさん。でも、1895年にヴォラールの画廊で開かれた個展が評判になって、批評家や若い画家がエクスを訪れるようになったから、寂しくはなかったみたいだよ。
最後にあった『サント=ヴィクトワール山』。薄塗りで、凄く穏やかに見えて、手前の木々は、抽象表現のようで、筆をカッカッって置いていくような感じで、「あぁ、セザンヌさんは、結果、ここに辿り着いたんだな。」って思いました。

他、セザンヌさんのアトリエの再現などもあります。
お土産は、ポストカード6枚。
ジャムや、ワインも売っていて、南仏らしいと思いました。

6月11日までやってます。近代絵画の父の足跡が知りたい方は行ってみるのも一興かと存じます。
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2012年04月>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930