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2011年10月12日16:02

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それだけマルクスが刺激的だった、という事だが。

『レッド』山本直樹著 第3,4巻読了。

古本屋にあまり出回らないから、
纏め読みする事に。
一気読みには辛い内容だねぇ。

連合赤軍がいよいよ結成され(作中では赤色連盟)
都市ゲリラ戦が挫折し(認めないけどね)、
山岳ベースで軍事訓練と武力闘争準備を
始める、という処まで物語はきた。

いよいよ、凄絶な総括という名のリンチと
殺人が繰り返される、訳だ。

つくづく、この『連合赤軍事件』を
描くにこれくらい適した作家はいないだろうな、
というくらい、山本直樹の筆は乾いている。
ウエットになりがちな殺人や暴力にも、
一定の距離を置き、例え固有名詞は
変更した処でこの作品で描かれる
事件は「事実」である事を物語る。

それにしても、つくづくと愚かだ。

団塊の世代と全共闘世代、というのは
重なるようで似て非なるものだ、という
意見がある。

なぜなら、全共闘運動に参加出来た
大学生は当時の同世代人の中の
僅かに15%しかいない。
大半の人間には、「ブルジョワ学生のお遊び」
でしかなかった。自分の両親も丁度この世代
で、高校を市ヶ谷で過ごした、という事も
あり、当時の状況を飲みがてに聞いた事が
あったが、「全く関心がなかった」
「何が起こっていたは知らないし、勝手に
やっていた事」という回答しか返ってはこなかった。

それでも、全共闘に参加した人々は
「連帯」を叫び「労働者の解放」を謳って
いた訳だ。

誰にも届かない言葉で。

そして、それが届かなかったからこそ、
彼らは蛸壺のようなセクトに篭り、
同じ水槽の金魚を殺すように互いを
殺しあった。

「武力闘争」という幻想があったからだ。

さて。

それでは、この彼らが闇雲に叫んだ
「銃による闘争」や「武力革命」とは
一体どんな背景を持って消費された
言葉だったのだろうか?

当然、マルクスへと行き着く。
マルクスの「共産党宣言」の一節だ。

「共産主義者は、これまでのすべての社会秩序の
強力的転覆によってのみ、自分の目的が達せられる
ことを、公然と宣言する」

とある。

この強い言葉に、共産主義者たちは、
そして現況に不満のある若者たちは
酔ったのだ。

だが、これは1840年代の文章である。

全共闘の時代からすら、100年以上昔だ。

それを意識して読まなければ、このマルクスの
言葉は単純なる暴力肯定にしか見えなくなる。
しかし、当時のヨーロッパにおいて、
国民参加の選挙によってその意見を汲む、
という事を行なっていた国はスイスしかなく、
革命を行なう、という事が即ち暴力の行使、
であった歴史的背景を分からなければ
ならないのだ。

現実に、マルクスとエンゲルスは非暴力的な
社会変革に強い共感を示し続けた。
労働者階級に選挙権を与えようという
チャーチスト運動に激励を送ったのは
1846年の事。選挙で血を流さない形の
社会変革を志向していた事の奨励の一つだろう。

こういった前提を踏まえずに、先の
「宣言」だけに溺れると、あっという間に
血の海に沈む事となる。

そして、それが20世紀だったのだ。

結局、レーニンも毛沢東も、ポルポトも、
そして連合赤軍の学生たちも、誰一人
きちんとマルクスを読んではいなかったのだ。

政治的言説、というのはそれだけで自立する物ではない。
必ず、書かれた時代背景や世界の情勢は
関連する。

それを引っこ抜いてただ扇情的な言葉だけを
取り出す事は、書いた人間にも本意ではないだろう。

一人でも、「当時の歴史におけるマルクスの位置と
その思想の変遷」を見据える事が出来れば。

状況は、ひょっとしたら変わったかもしれない。

ちゃんと読んだら分かるんだよ、マルクスは
武装闘争なんて、これっぽっちも想定していなかった、
ってさ。
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