1989年シーズンを控え、ローラ・カーズは日産との契約を締結し、WSPCシリーズ参戦車「R89C」を開発し、ニッサンに提供しました。
しかし生産精度の悪さや設計の悪さが明るみになると両者の関係は急激に冷え込み、90年は日産の活動方針を受けてR89Cのモノコックを供給するのみとなり、事実上契約は終了してしまいました。
91年グループCカーによる世界選手権がスプリントレースによるSWCに移行すると、ローラはあるプライベートチームから92年のSWC参戦に向けてマシンの開発を依頼されます。
そのチームは90年途中までブルンと共同でF1に参戦していたオランダのユーロ・レーシングでした。
彼らからの依頼を受けたローラが開発したSWC用の3.5リッターCカーが「T92/10」です。
↑現在マクニールエンジニアリングにあるマシン
一見して判るとおり、91年のSWCを席巻したジャガーXJR−14の影響を強く受けた印象のマシン。
個人的にこのデザインはお気に入りではありますが………。
エンジンは比較的コンパクトなエンジンデベロップメント社のジャッドV10GVを搭載、エンジン自体の性能はそれほど悪いわけではなかったので、チーム側もそれなりに期待を持ってシーズンに臨んだようです。
T92/10は92年4月26日のSWC開幕戦モンツァ500kmでデビューしました。
予選ではプジョー、トヨタに次ぐ5位と6位を獲得したものの、決勝では1台はフォーメーションラップ中にミッショントラブルが発生し1周も出来ずにリタイヤ、もう1台も同じくミッショントラブルによりリタイヤを余儀なくされました。
続く第2戦、5月10日に行われたシルバーストーンでも1台がまたしてもミッショントラブルでリタイヤ、もう1台は完走したものの、レース後の再車検で燃料規定違反が発覚し失格となってしまいました。
第3戦は6月21〜22日に行われたルマン24時間。
僅か28台という寂しいレースとなったこの年のルマンでは1台がトップから80周遅れながら何とか13位で完走を果たしました(完走14台)
第4戦は7月19日、ドニントンパークで行われました。
このレースでは1台は車両火災によりリタイヤとなりましたが、残りの1台が4位に入賞しました。
結果的にこれが最高位となりました。
第5戦鈴鹿ではエンジントラブルでリタイヤ、最終戦マニクールではドニントンでの火災の原因が突き止められなかったため車検不適合により出走することが出来ませんでした。
92年コンストラクターズ5位、ドライバーズポイントはハインツ=ハラルド・フレンツェンの13位が最上位となりました。
この年限りでSWCは消滅、更にチームは何と破産してしまい、2台のマシンは競売に掛けられてしまいます。
92年に生産されたT92/10は3台で、3台目はマクニールエンジニアリングに納入され、95年からインターセリエで活躍しました。
競売に掛けられた2台のうち、1台はインターセリエに参戦、一時オープン化されたものの再びオリジナルに戻され、現在は何処かに展示されているようです。
もう一台は当時の姿のまま、ヒストリックイベントで見られます。
このマシンには実現しなかった幻の組み合わせが存在したようです。
それがこちら。
91年まで独自にモディファイしたポルシェ962CK6で戦っていたクレマーレーシングがこのT92/10でSWCに参戦しようという計画があったようなのです。
しかしマシンの戦績、そして何より92年限りでシリーズ自体が消滅してしまったため、この組み合わせは幻のまま終わってしまったのでした。
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